迷宮捜査網 1
「お? 早いお帰りじゃねえか」
夕暮れにさしかかった頃。
冒険者ギルド『マンハント』に戻ってきた【サバイバー】を出迎えたのは、腰に二本の剣を佩いた角刈りの男だった。顔も声もにやついていて、ひどく楽しそうだ。
「あー、えーと……」
誰だっけ。
ニックは目が泳ぎそうになるのを堪えつつ、ちらりと仲間達の顔を見た。
他の仲間達も名前を忘れているらしく、小さく首を横に振る。
「流石のサバイバーさんも、建設放棄区域にゃ手も足も出なかったみてえだな。良けりゃあ手取り足取り教えてやったって良いぜ?」
「あー、いや、結構だ」
「強がるじゃねえか。まだ賭けは終わったわけじゃねえが、ヘイルの野郎はすばしっこいぜ? もたもたしてると逃げられちまうだろうよ。ここのベテランだって捕まえられてねえんだ」
ニック達はしらけきった目で目の前の男を眺める。
反論したいところだが、あと一歩のところで名前が出ない。
見るに見かねたヘイルがそこに口を挟んだ。
「……こいつはスコットだよ。双剣舞のスコット。建設放棄区域によく出入りしてるが、足音も声もでけえからうるせえんだよな。あと自慢の剣を振り回すのやめろよ、女からの評判も悪いぜ」
「な、なんだ手前!?」
「俺がヘイルだよ。賞金首の顔くらい覚えとけ。……なあ、逃げねえからコレ、そろそろ良いだろ」
ヘイルが縛られた手を持ち上げると、ゼムが縄をほどく。
ヘイルは、はぁと疲れた溜め息を吐きながら肘や手首を回し、ゆったりとした歩調で受付の方に歩いて行った。
「お嬢ちゃん、俺に三十万の賞金が掛かってるって?」
「そ、そうよ……」
「んじゃ、連中に賞金払ってやってくれ。んで俺はどうすれば良い? 牢屋か? 取り調べか?」
「まずは取り調べが始まるまで牢に入ってもらうけど……」
あまりに従順なヘイルの態度を、職員も賞金稼ぎ達も呆気にとられた様子で眺めていた。
受付の女がおっかなびっくりに奥へとヘイルを案内していく。
「……さて」
何とも言えない沈黙の中で口を開いたのは、ティアーナだった。
にたりと笑みを浮かべて賞金稼ぎ達の顔を順繰りに眺めていく。
「ええと、胴元は誰だったかしらねぇ……ああ、居た居た」
「ひっ」
邪視のごとき視線に射すくめられた賞金稼ぎは驚きのあまり、飲みかけの葡萄酒を自分のシャツにこぼした。そのまま動くこともできず、賭け金の入った袋を守るように抱えて震えている。ティアーナの威圧感によって完全に萎縮していた。
「あなたが胴元だったわよねぇ? おいくらになったのかしら?」
「も、もう決着付くなんて思わなくってよ……まあ待ってくれ、すぐに計算を……」
「どれくらい集まったの?」
「いやそれがな、あの後もけっこう賭けに混ざる奴がいてよ。八十万ディナ近く集まって」
「なら十分ね」
「え?」
ティアーナは問答無用とばかりに、金の入った袋と蓋の開いた葡萄酒の瓶をむんずと掴み奪った。受付の隣のバーカウンターに金の袋をどすんと降ろしながら、葡萄酒を瓶ごと煽る。
「ま、待て、待ってくれ、他にも賭けに勝った奴もいるんだからそりゃ流石に……」
「この金でありったけの酒を持ってきなさい! タダ酒よ!」
そのティアーナの言葉はギルド内に沈黙をもたらした。
だがすぐに困惑に満ちた沈黙は、理解と納得、そして喜びの声へと変貌した。
「話がわかるじゃねえか、姉ちゃん!」
「ヒャッハー! タダ酒だ!」
「おいおい、俺ぁお前らに賭けたんだぜ!?」
「どうせ酒飲んで消える金でしょうが。それとも私の酒が飲めないわけ!?」
ティアーナが一瞬で全員の心を掴んだ。
賭けに負けた者も、勝ったはずなのに金が返ってこない者も、「しょうがねえ」という顔をしている。前に一歩間違えたら侮られ、後ろに一歩間違えたら妬まれる、そんな絶妙なバランスの立ち位置が一気に盤石な物へと変わった。あまりにも上手い。ゼムとはまた違った方向性のカリスマだ。ニックは称賛を抱きながらも、微妙な表情をしていた。
「……ヘイルを捕まえたの、だいたいゼムの手柄なんだがなぁ」
そのニックのぼやきに、ゼムがくっくと笑う。
「まあ良いじゃありませんか。おかげで仕事がやりやすくなりますよ」
「ゼムが良いなら良いんだけどな」
ニックは溜め息をつくと、キズナとカランがぽんと肩を叩く。
「おつかれサマ、リーダー」
「やんちゃの面倒を見るのも大変じゃの」
「やんちゃはお前らもだよ」
◆
「しかしやるじゃない、朝に出かけてその日の内に捕まえてくるなんてね」
次の日、再び『マンハント』に現れたニック達を、受付の女が呆れ気味に褒めた。
「ま、称賛は素直に受け取っとくぜ」
「その後が大変だったけどね……。酔っ払いをたたき出すの苦労したんだけど?」
「あら、ごめんなさい?」
ティアーナがまったく悪びれてない声で謝罪する。
とはいえ、受付の女も冒険者の性質というものをよく理解してるようで、それ以上責めることはなかった。既にこのギルドの身内と見られ始めている。周囲の冒険者達からの見る目も違っていて、最初来たときには感じなかった親しみと畏敬の空気が伝わってくる。
「お、サバイバーじゃねえか。仕事熱心だな、あいつらも」
「しかし、冷静に考えて連中、けっこうやるな……どうやってヘイルの野郎を捕まえたんだ?」
「ティアーナの姐御! 仕事困ったら言えよ!」
「姐御って誰の事よ!」
ティアーナが野次なのか応援なのかわからない言葉に即座に反論した。
げらげらと言う笑い声と、「お前だよ」という声がすぐに返ってくる。
「ティアーナ、まず仕事終わってからだ……。で、昨日受け取り損ねてた報酬を頼むぜ」
ニックが催促すると、受付の女は肩をすくめつつ金貨の入った袋を差し出した。
「ほら、受け取りな。次は馬鹿な使い方をするんじゃないよ」
「仕事の報酬ではやらねえよ。……やらねえよな?」
ニックが一瞬不安そうな顔をしてティアーナを眺めるが、ティアーナが「やるわけないでしょ!」とぷんすかと怒る。
「だ、そうだ。それで、オレ達はまず調べ物がしたいんだよ」
「ああ、ステッピングマンだっけ? 今持ってくるよ」
受付の奥の棚からバインダーを引っ張り出すと、ニックの目の前にどさりと置く。
かび臭い誇りがふわっと舞い上がり、カランが顔をしかめる。
「今の懸賞金は……あら、上がってるじゃない。百万ディナになってる。最近懸賞金を掛けた物好きがいるみたいね」
「誰だ?」
「鍛冶屋通りにいる質屋よ。ステッピングマンに質草を盗まれたってさ。ま、本当かどうかは知らないけどね」
受付の女が鼻で笑った。
「……本当に活動してんのか?」
「さあねー」
ニックは受付の女の悪びれない返事を流しつつ、借り受けた資料をめくった。
賞金首の資料には、賞金額、これまでの賞罰、特徴などが記載されている。
が、ステッピングマンについては具体的なことなどさっぱりわからないと言って良い。「屋根には穴を開けるが、雨樋の壊れた場所を直してくれる」とか、「生木を炊いて煙を出せばその家には近寄らない」とか、フォークロアで語られる妖精のような特徴ばかりが列記されているだけ。賞金をかけた人間も都市伝説が好きな好事家ばかりだ。本当に捕まえてほしくて賞金を掛けたわけではない。
だがニックとゼムは、その中に幾つかの本物と思われる情報に気付いた。「姿を誤魔化す何らかの道具を使っている」、「魔物や幽霊の類ではない。身軽になっているだけで、中身はただの普人と思われる」、「子供がさらわれた事例がある。目的は不明」。これらは、ニック達が目撃したステッピングマンの特徴と重なる。
「……もっと普通の賞金首追った方が良いんじゃないの? ヒマじゃないのよね、こっちも」
「こっちだって伊達や酔狂で聞いてるわけじゃねえんだ。ま、手が空いてるときゃ普通の賞金首も捕まえる」
「そうしてよね」
はぁ、と受付の女が溜息をつく。
そのとき、突然ニック達の背後から怪しげな女が割って入ってきた。
「その通り! 化け物狩りは遊びや酔狂ではないんですよ!」
「な、なんだ……?」
メガネをかけ、耳にペンをかけた女だ。
緑色の髪を短く切りそろえて一見真面目そうに見えるが、薄汚れたコートや使い古した杖からは妙な凄みがある。「マンハント」に馴染んでいる奇妙な雰囲気を漂わせていた。
「ちょっとオリヴィア。仕事の話に割って入るのはやめてって言ってるでしょ」
「あなた達もステッピングマンを追っているんですか?」
受付の女を無視して、オリヴィアと呼ばれた女はニックに食ってかかる。
「あんまり近付くナ」
そこにカランが割って入り、オリヴィアを引き剥がそうとする。
が、一瞬カランの目が泳いだ。
「お前……けっこう重いナ?」
「んまー!? なんと失礼な! いやまあダイエットも疎かにしてはいますけどね」
オリヴィアが怒ってそしてガッカリと肩を落とした。
せわしない奴だ、とニックは呆れ気味に眺めた。
「ご、ゴメン」
「ともかく、あなた達に乱暴するつもりとかじゃあないんですよ。ですが私もこの手の話には目が無くてですねぇ……。あ、どうぞ。名刺です」
懐からオリヴィアが一枚の紙を出した。
名刺だ。
ニックがそこに綴られた名前を読み上げた。
「……月刊レムリア編集部、記者兼冒険者、オリヴィア=テイラー?」