マンハント 8
怒号と共に入ってきたのは、この場所には似つかわしくないカソックを着た禿頭の男だった。
ゼムが着ているものとは違い、濃紺のカソックだ。黒であれば天啓神メドラーに仕える神官であることを示し、濃紺は邂逅神ローウェルに仕えることを示している。
そしてゼムと同様に、首には神官が掛けているはずの十字架がない。破門された証拠だった。
だがそれら以上に目立つのは、
「……貴様ら、強いな」
「いや、あんたのことだろう……。その体で神官かよ」
驚くほどの力こぶだ。
カソックからちらりとのぞく二の腕や首筋からは、鋼鉄のように鍛え上げられた肉が見える。
これはまずい。
ぞくりという恐怖がニックの背中を走った瞬間、すぐ全員の目の前に大きく踏みしめた男の足があった。ニックの逡巡を見抜き、ほんの一瞬の隙を突いて距離を詰めた。魔術か体術かわからない。どちらにせよ恐るべき速力だ。上級の冒険者に匹敵するかもしれない。
「くっ……!」
反応できたのはカランだった。
攻撃を諦めて竜骨剣を盾のように構え、全員を守ろうとしている。
その竜骨剣に、男の手の平がぴたりと貼り付いている。
お互いに静止した状態だが、極めて危険な状態だった。
手練れであれば魔力や腕の力をそのまま伝え、カランに致命的なダメージを与えることができる。だがそうなれば全員黙ってはいない。即座にニックは胸元にナイフを突き立てるつもりだ。ひやりとした沈黙が降りる。
「……どこのシマの者だ。閨は中立だぞ」
「待て待て。オレ達はここの住民じゃない。賞金首の捕縛に来た」
ニックがそう言うと、男はヘイルを一瞥する。
ヘイルは気まずそうに目を逸らした。
「ヘイルが何をした」
「殺人以外は大体やったみたいだが。詐欺と奴隷売買は確実らしい。賞金もきっちり掛かっている」
「なんと……まったく、愚か者め」
男は吐き捨てるように呟き、緩やかに構えと戦意を解いた。
ニック達にほっとした空気が流れる。
このまま戦闘に突入すれば負けはしないまでも、深傷や致命傷は覚悟しなければいけなかった。
「ナルガーヴァ先生、助けてくれよ!」
「儂は怪我や病気は治せるが、罪状までは綺麗にできん。賞金の掛かった者を面と向かって庇えるわけもなかろう。儂まで捕まったら貴様、他の患者の連中に恨まれて殺されるぞ」
「ちくしょう!」
ナルガーヴァ、という名前にサバイバーの全員が聞き覚えがあった。
建設放棄区域の入り口に入るときの忠告。
「ナルガーヴァ先生に手を出すな」という言葉だ。
「えーと、引き渡してくれるってことで良いのか?」
「儂にはどうしようもないし、実際こやつが何か悪行をしたのだろう。ここに居着く者のほとんどはすねに傷がある。ツケを払わねばならないというのであれば引き留める道理も無い」
ナルガーヴァは、ふん、とつまらなそうに言い捨てる。
「とはいえ、こやつは儂の患者だ。長く戻れないのならば最後に治療だけはしておきたい」
「はぁ……何の治療だ?」
「黄鬼病だ。ヘイル、咳や吐き気は出るか?」
黄鬼病とは、迷宮都市にはびこる性感染症の一つだ。
重い風邪のような症状が長く続く病気で、大人ならともかく子供や老人は危ない。
ゼムも何度か治療したことがある。決して軽んじて良い病気ではない。
その病名を聞いて怒ったのは、ヘイルに抱かれていた女だった。
「へ、ヘイル! あんた病気もらってたっていうわけ!? ちょっと……!」
「うるせえ! 手前が移したかもしれねえだろうが!」
「違う、違う! あたしじゃない! 人になすりつけないでよ……!」
女は半泣きになって抗議する。
ヘイルはそれを見てうざったそうに溜め息をついた。
その場に、じわりと怒りの気配が漏れ出た。
誰から、というわけではない。
【サバイバー】の全員からだ。
「よせ。ここの連中はこんなものだ。賞金稼ぎならギルドに突き出せばそれで良かろう。そこの女は儂が診ておく」
その気配を、ナルガーヴァがいなした。
「ともかく二人とも、薬を渡しておこう。寒気を感じたらすぐに飲め」
「なら助けてくれよ……」
「往生際が悪い。儂にはどうにもならんと言ったはずだ」
だがナルガーヴァは、自暴自棄になるでもなく真面目にヘイルを診察した。
「……ま、悪化はせんだろう。好きに連れて行け」
そして真面目に診た患者を、素直にニック達に引き渡した。
思わずニックの口から疑問が湧き出た。
「本当に良いのか?」
「何がだ?」
「いや……オレ達がこいつを連れて行ったら治療が無駄になるかもしれないわけだが」
ニックの言葉に、ナルガーヴァがふふっと笑った。
「おい小僧。それは……」
「いえニックさん、それは違います」
そこに、ゼムが口を挟んだ。
「無駄かどうかなど誰にもわからないのですよ。もっとひどい罪状が明らかになって死刑になるかもしれません。あるいは牢で他の囚人といさかいになって死ぬかも知れない」
「お、おい、不吉な話はやめろよ!」
ヘイルが慌てて抗議する。
だがゼムは気にせずに話を続けた。
「ですが、冤罪だと判明して放免されることもあるかもしれませんし、運良く平和な獄中生活を送るかも知れない。あるいは突然王が崩御して、新たな王が生まれて大赦が来ることもありえるでしょう。無駄かどうかなどを考えても仕方の無い話です。もっと極端な話をすれば、人間は誰しもいずれ死ぬものです。それを理由に目の前の治療が無意味だと言っても、それは詮無い話です」
「……なるほど」
ニックが感心する横で、ナルガーヴァが興味深そうにゼムに話しかけた。
「若いの。お前も神官か」
「破門されましたがね」
「儂もじゃ。ローウェル神殿から破門を食らった」
「何故、ここで診療を?」
「……娑婆は面倒だからな。おぬしは? 賞金稼ぎが本業か?」
「僕は神官としての仕事はしていません。冒険者ですので」
「それも良かろうな」
「あなたは神官に戻るつもりなのですか?」
「どうじゃろうな。戻りたい気もするが、面倒という気もする。どちらにせよ、今までの生き方を変えられる歳でもないしの。神官の真似事をする生活からは逃れられん」
「ぼくはこりごりですね」
「羨ましい。儂は無理じゃな……どうしても無理じゃ」
「それでここで治療を? 黄鬼病をすぐに見分けて治療できるなど、引く手数多ではありませんか?」
「ここに居るからすぐに見分けられるようになったのじゃ。教えぬぞ」
「教えてすぐにわかるものでもないでしょう」
「そうじゃな、経験が物を言う」
どこか淡々としていながら、疲労の色が滲む会話だった。
ニックは何となくゼム達の会話に口を挟む気になれず、見守っていた。
だがそこに口を挟む者が居た。
「手前も神官かよ……ならなんで賞金稼ぎなんてやってやがる!」
それは、縛られているヘイルだった。
◆
酒場は本当に糞野郎しかいなかった。
そのおかげでヘイルは金を稼ぐ術を身につけたにしても、美化されることのない過去だった。
巷ではよく「女は怖い」、「女の敵は女」などと言われる。
実際、ヘイルとて女の恐ろしさはよく知っている。
だが、男はそれ以上だ。
ヘイルにとって女とは獲物であり商品だが、男は客であると同時に敵であった。
単純に殴る蹴るのみならず、女以上に陰湿なやり方を幾らでもやってくる。
酒場では競争が激しい。
売上の奪い合いもするし客の奪い合いもする。
だが一番多いのは足の引っ張り合いだ。
油断すればどん底にたたき落とされる。
酒場の外も似たようなものだ。
冒険者くずれもやくざ者も身分ある者も、気風の良さがあるなどという顔をしながら誤魔化し、嘘をつき、暴力で黙らせる。
その中でも一番信用できないのは、自分は清廉潔白です、などという顔をしている人間だった。
神官は特に酷い。
表では教会で高尚な説法をしながら、裏では女を買い漁る神官も居た。
高利貸しを営む者も居た。
金に糸目を付けない者もいるが、往々にして注文はうるさく上客とは言えない。
今、賞金稼ぎに身をやつす目の前の男も、そんな奴に違いない。
ヘイルに掛けられた疑いの内、幾つか冤罪らしきものがあるが八、九割は事実だ。長く臭い飯を食うことになる。せめて目の前の男の顔を歪ませてやるくらいのことは言って良いだろう。そんな自暴自棄が、ヘイルの口と舌を滑らかにさせた。
「へっ、答えられねえのかよ。賞金稼ぎの神官さんよぉ」
「そもそも神官ではないですよ。元神官でして、今は冒険者に転職しました。何か問題でも?」
だがゼムはヘイルの文句に、歯牙にも掛けない様子だった。
「冷酷な野郎だ。こんなところに居る連中は大体訳ありだぜ。お前も元神官って言うなら訳ありなんだろう」
「ええ、否定はしませんよ」
「だったら手前、仲間を売ってるようなもんだぜ。ナルガーヴァ先生を見習えよ。つーか心が痛まねえのか、ああ?」
「……面白いですね、きみ」
「ああ?」
ヘイルの襟首が、ゼムの手によってぐっと掴まれた。
目が合った。
何故かそらすことができなかった。
ぞくりと冷たい何かがヘイルの背中を走る。
「自分を棚に上げて他人には聖人であれと望む。あなたは女性を陥れるときに何を考えていますか? 後ろめたさは感じる? 背徳感や愉悦は? それともただのビジネスですか? あなたが逆に誰かに騙された被害者であったとき、誰かに助けられたことは?」
「し、知るかよ」
ヘイルはそっぽを向いて吐き捨てるように言った。
だがそんな悪態などゼムには届かなかった。
「大体、関係あるかよ手前に……! ナルガーヴァ先生みてえに治癒してくれたならともかく、何もしねえ神官に用はねえ!」
「気が合いますね。僕も無償で人を治癒するのが嫌いですから」
「ハッ、それが神官かよ」
「神官だったからですよ。無償で人を癒やすときに常に悩む。癒やして救った人間は果たしてその価値があったのか。救われた命を無駄にしたり罪を重ねたり……そうした悪行を手助けしてしまうこともあるかもしれない。本当に、救うに値する命であったのか、突き詰めたくなる……。そんな疑心暗鬼に囚われるくらいであれば小銭でも何でも、対価をもらう方が遥かに楽だ。無償の施しは恐ろしい。きみもそう思いませんか?」
ヘイルは、施しを与えてきた人間を搾取してきた側だ。
与える側の憎悪や絶望を鼻で笑ってきた。
だが今は何故か笑うことができない。
「僕は答えが知りたい。あなたが、あなたのような人間が、只の無感情なだけの愚鈍な畜生なのか、それとも悪徳に身を浸すしかなかった救うべき被害者なのか。どっちですか?」
ただこの世の辛さをこぼすだけの女々しい愚痴とは違う。
本気で、こんな禅問答のような質問をしている。
何の意味がある?
何のために?
ヘイルには、まるで意味がわからなかった。
「がっ、ぐ……?」
「答えろ……おまえは何だ!」
その声は、地獄のように恐ろしかった。
ヘイルは苦悶と恐怖の中で、子供の頃を思い出した。