マンハント 7
そしてまたニック達は歩みを進めた。
粗末な看板が立てかけてある。そこには
「ここが閨か」
そう書かれていた。
それは例えるならば、建材を組み合わせて昆虫の巣を再現したような場所だった。煉瓦の建物に穴が開けられ、あるいは通路のはずの場所に木板やトタン、鉄骨などが組み合わさって壁となっている。天井にも壁にも床にも奇妙な絵や詩が描かれ、上下感覚が失われるような錯覚を覚える。
さらに、この場所に慣れきった人間が思わぬ場所に身をひそめていたりする。見張りの役目を果たしているであろう人間もいれば、そんなことも忘れて男女の営みに没頭する気配さえあり、薄汚れた温もりがほんのりと伝わってくる。邪魔だが、かといってこちらが彼ら彼女らの邪魔をすれば悪目立ちするだろう。ここで賞金稼ぎと言うことが露見したら恐らくヘイルに連絡や合図が行く。ヘイルの息が掛かっている人間は大勢居るはずだった。
だがそれでも、所詮は現代の人間で実現できる程度の警戒網にすぎない。古代の聖剣たるキズナの持つ超感覚に勝てるはずもなかった。そしてニックも妙に格闘の技が冴え渡っている。倒すしかない見張りを音も無く圧倒していた。ニックは自分の実力が発揮できることで少しばかり浮ついていたが、今は引き締まり油断も一切消えた。
「順調だな」
「うむ、その通りじゃ」
「う、ウン」
「そ、そうよね!」
……だというのに、どことなく空気がぎこちなかった。調子の良いニックとは対照的に、ゼムが少しずつ苛立ち始めていた。その苛立ちは歩みが進む度に深まり、今や怒りに満ちた表情のまま無言を貫いている。そして全員がそれに触れられないでいた。ティアーナとカランが、「何か言って」という目線をニックに送ってくる。
「なあ、ゼム。ええと……」
「なんでしょう?」
「なんか怒ってるか? もしかしてさっき何か怒らせるようなこと言っちまったか?」
「おっと、すみません。不機嫌が顔に出ていましたね」
ゼムは、恥ずかしそうに自分の眉間を指で揉んだ
まるで自分の表情を確認するかのような手つきだ。
「不機嫌ってのは……それとも倒してきた見張りの連中か?」
ニックは何度か見張りを殴り倒していた。倒した連中は、最初に襲いかかってきた連中と同様どいつもこいつも人相が悪く、そしてそれ以上に顔色が悪かった。悪い薬が蔓延している。
「連中というより、連中を取り巻く環境そのものですね。不衛生で治安も悪い。一言で言えば希望がない」
「……まあ、そういうところだからな」
「往々にして国や領主の目の行き届かない場所の治安が悪くなるというのはあるものです。ですが、そういうときこそ神殿の出番だと言うのに、ちっともそういう気配がしません。嘆かわしい」
ゼムの重苦しい溜め息に、何故か空気が弛緩した。
ニック達は微笑ましくゼムを見ている。
「な、なんです?」
「お前もなんつーか……職業病だな。そこらの神官より神官らしいぜ」
「破門されてますけどね」
「良いじゃねえか。オレはお前が前に愚痴ってたみてえな手を汚さない神官より、こういう場所にずかずか入っていく奴の方が好みだ」
「もしかしてニックさんに口説かれてます?」
ゼムの言葉を聞いたティアーナがげらげらと笑った。
「あっはっは! ちょっとそれは見てみたいわね!」
「勘弁してくれ。ただでさえ酒場の店員に変な目で見られてんだ」
「優しくしてあげれば良いじゃない。お気に入りとかいないの?」
「まあ、レッドさんは生い立ちとか気になるけどな……」
「に、ニック……そういうのが良いのカ……?」
「いやそうじゃなくて。酒場で働く弁護士って時点で謎が多すぎだろ」
「良いじゃろ、職業選択の自由というやつじゃ」
「そりゃそうだがな」
と、ニックが反論したところでキズナが「しっ」と人差し指を立て口に当てた。
「これこれ。そろそろ雑談は止めて仕事に集中するんじゃよ」
「おっと、もしかして見つけたか?」
ここまでしばらく歩いてきた。
そろそろヘイルが見つかっても良い頃合いだ。
「うむ……と言いたいところじゃが」
「じゃが? 何か問題あるのか?」
ニックがキズナに尋ねてもキズナが言いよどむ。
「こっちとしては仕事がやりやすいんじゃが……その」
「なんだよハッキリ言えよ」
「向こうは取り込み中じゃ」
「取り込み中?」
「アレの最中と言うことじゃ!」
キズナが顔を赤らめながら叫ぶと、四人は「あー……」という呆れと納得の息を漏らす。【サバイバー】が追いかけているのは確かにそういう方面に強い男であり、ここはそういう場所である。
「まあ、うん、そういうことなら」
ニックは、にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「チャンスだな」
「「「「ええー」」」」
◆
「くそっ! なんなんだ手前ら、お楽しみの最中だってのによぉ!」
「賞金かけられてるのに油断するお前が悪い」
ものの五分と掛からなかった。
安宿の一人部屋のような部屋に潜伏していたヘイルと、ついでにヘイルの女を捕縛することはあまりにも容易かった。キズナが《並列》を使って退路を塞ぎ、ティアーナが魔術を打ち込み、ニック、カラン、ゼムがそこに居た男女二人をすぐさま捕縛した。
「流石に卑怯くさくないかのう?」
「そこはまあ、安全重視だ」
キズナが微妙な顔をするが、ニックは毛ほども気にした様子はなかった。
「そりゃそうじゃが」
「大体、へたな魔物より人間の方が強いし怖いんだぞ。器用な手足があって、知恵があって、魔術も使うこともある。弱そうに見えたって常に反撃を狙ってたりする」
「……それは、確かニ」
カランが意味深な顔で呟いた。
他の仲間達も似たり寄ったりの顔だ。
【サバイバー】の全員、人間のこわさというものを知っていた。
「しかし……これで賞金三十万ディナか」
ニックが呟くと、ヘイルに抱かれていた女が目を剥いた。
「ちょっとヘイル! 賞金かかってたなんて知らないんだけど!? しかもそんな大金って、何やったのよ!」
「う、うるせえ! そのくらい誰だってあんだろ! つーか三十万ってなんだ、高すぎんだろ!」
「詐欺に奴隷売買に殺人。むしろ安いだろう。もっと高くったっておかしくはねえ」
ヘイルの怒号に、ニックが呆れつつ罪状を指折り数えた。
「さ、殺人!? んなこたぁやってねえよ!」
「そりゃギルドで話してくれ」
「ほ、本当だ! そりゃ殴ったり蹴ったり売り飛ばしたりはしたが、殺しまではしてねえ! そのはずだ!」
「……あー、色々と余罪もありそうだな」
ヘイルの迫真の弁明は、「殺人以外は大体やっています」という告白に近い。
容赦する必要はあるまいとニックは縄でヘイルを縛った。
「ともかく付いてきてもらうからな」
「見逃せよ! 頼む! 金ならはずむ……」
ここまで往生際が悪いと逆に話を聞く気もなくなってくるな……とニックは感じる。面倒だ、口に布でも噛ませて黙らせるか……と考えたあたりで、ばん! と扉が開いた。
「貴様ら、儂の患者に何をしている!」