竜戦士/冒険者詐欺被害者/孤独の美食家カラン 2
そして、一昼夜が過ぎた。
(ん、ん……?)
カランは目を覚ました。
痛む体が悲鳴を上げるが、いつまでも寝てはいられない。
「ここは……?」
あたりを見回すと、ポットスネークの死体が転がっているだけだ。
いや、死体ですら無い。
皮や牙などの素材が向き取られた後の、哀れな残骸だ。
「そっか……夢じゃ、なかったのか……」
カランは、落胆していた。
自分が生き残った喜びよりも、冒険者仲間に裏切られたことの悲しみの方が遥かに大きかった。気を失い、何が嘘で何が本当かわからないまま死んだほうが楽だったかもしれないとさえ、カランは思った。
だが今は、こうして助かっている。
「……あれ、もしかして」
カランは、自分の胸元をまさぐった。
そして何かを取り出す。
「やっぱり、護符が破けてる……」
カランは竜人族の集落を出る際、族長に渡された秘宝というべきものがあった。
まずひとつは、竜骨剣。
ただの大剣ではない。
竜鉄という竜の爪や骨に含まれる鉱物と鉄との合金を鍛造した剣だ。
ひたすらに頑丈であると同時に、竜人族の加護を上乗せすることができる。
カランの必殺技「火竜斬」も、この竜骨剣があって初めて放つことができる。
ふたつめは、免毒符という護符だった。
これを肌身離さず持っていれば、命が危機に瀕したときに強力な『解毒』と『回復』の魔法が発動する使い切りの魔道具だ。
免毒符を打ち破る強力な毒も存在するが、自然界にある毒であるならばほぼなんとかなる。これも強力無比な魔導具には違いなかった。今のカランの命を救ったのは、この免毒符のおかげで間違いない。
「まさか、旅立って一年も立たないうちに使うなんて……」
両親に申し訳ない。
そう思った瞬間、カランは一番大事な最後の秘宝のことを思い出して血の気が引いた。
その名は、竜王宝珠。
宝石であると同時に、竜人族にとって重要な魔道具である。
竜人族は勇者に仕えるという伝統がある。
その伝統になぞらえ、この人こそは、と認めた人物に宝石を贈る習慣があるのだ。
そして宝石を贈られた人物は、贈った竜人族と同様の加護を得られる。
人間の身のままに竜の力を振るうことができるという強力な魔道具だ。
そして同時に、竜人族の女が結婚するときの持参金代わりでもある。むしろ勇者などという存在は数百年確認されていないため、「勇者に仕える」というのは既に形骸化した伝統と言って良いだろう。結婚相手を見つけることの方が遥かに重要だった。
ちなみに、宝石はなんでも良い。
ダイヤモンドでも磨いた石ころでも問題ない。
ただ、カランは竜人族の族長の娘だ。
磨いた石や小粒の宝石などを結婚相手に渡しては竜人族全体が侮られてしまう。
そこで竜人族の族長は、竜人族の持つ宝石の中でもっとも大きく、もっともきらめくルビーに自分自身の手で一年がかりで魔力を込めた。まさに現存する中で最高品質の竜王宝珠であった。
そして今それは、パーティーで使っている宿の金庫の中に仕舞ってある。
「マっ、マズい……!?」
カランは、自分の荷物を信じて仲間達……いや、元仲間達に預けていた。
竜王宝珠のことは誰にも話していない。
だが、竜人族の女が竜人宝珠という宝石を持たされていることを知っていてもおかしくはない。竜人族は数が少ないとはいえ、戦争で活躍した英傑も多い種族だ。冒険者ならば竜王宝珠の話を耳にすることもあるだろう。
「い、急がないと……!」
挫けそうになる心を叱咤して、カランは立ち上がった。
一人でダンジョンを歩くことの寂しさに耐えながら、カランは歩き続けた。
◆
カランがダンジョンを脱出するのに丸3日、そして迷宮都市に戻るのに一週間の合計10日かかった。
行くときに比べて5倍の時間がかかった計算だ。
一人でモンスターをかわしながら慎重に動いた以上、無理もなかった。
「ああっ!? カリオスさんのお仲間!?」
冒険者パーティー『ホワイトヘラン』が拠点にしていた宿屋の主人は驚いた。
カランは死んでいたと聞かされていたからだ。
リーダーのカリオスは打ちひしがれて泣きながらカランの死を語っていた。
それが演技であるとわかったのだ。
昔からよくある手口なので、カランが騙されたことを宿屋の主人は一瞬で悟った。
「ワ、ワタシの荷物はどこだ!? あれは……!!!」
「それもカリオスさんが持っていっちゃいましたよ。故郷に返すと言って。ですが……」
宿屋の主人に最後まで言われるまでもなく、カランは理解していた。
仲間を裏切った冒険者がそんな殊勝なことをするはずがない。
「一応、冒険者ギルドには通報しときますが……。
ありゃずいぶん手慣れた詐欺師ですよ。簡単に捕まるかと言うと……。
あっ、お客さん! ちょっと!」
カランは、宿の主人の言葉を最後まで聞くことなく立ち去った。
困っていた自分を助けてくれたことも、共に迷宮と冒険したことも。
頼りにしていると肩に手を置かれたことも。
すべてが。
「ウソだったのか……カリオス……」
そのとき、迷宮都市の空に雨が振り始めた。
夏を目前にしたこの季節、迷宮都市の天候は変わりやすい。
思わぬ大雨に降られることもある。
今日もその突然の大雨に襲われた不運な日だった。
宿の周辺は露天が数多く立ち並んでおり、慌てて誰も彼もが店じまいを始めて通りから人が慌てて消えていく。
だが、それはカランにとって幸運だった。
幼い少女のように涙を流す自分を、誰にも見られることがなかったのだから。
◆
カリオスが出入りした場所を探し歩いて、カランは再び絶望した。
誰もカリオスの行き先、あるいは身の上の詳細を知らなかったのだ。
協力者がいる空気はなかった。
カランが人に話しかけても誰もが「ああ、こいつは騙されたんだな」という同情の目をするか、厄介事はごめんだとばかりに追い払われるかのどちらかだった。
仲間達がどこに行ったのか、まったくわからない。
冷静に考えるならば、迷宮都市からは脱出している。
『竜王宝珠』は、冒険者パーティーであることを捨てるくらいの価値はある。
まだ都市の中にいたとしても数十万人が暮らす迷宮都市は広大だ。
世間知らずなカランがカリオス達を見つけられる確率は恐ろしく少ない。
ここで、カランは心が折れた。
自分の欲望……空腹に正直になった。
迷宮都市は竜人族の集落と違って、騒がしくて汚い。
カランはどうにも好きになれないところが多かった。
ただそれでも、好きになったことがある。
「メシ、食うか……」
いろんな国、いろんな部族の料理が食べられることだ。
今までは宿の手配もメシもカリオス頼みであり、何を食うか自分で決めたことがなかった。自分の財布には銀貨と銅貨が何枚か入っている。カランはあまり計算が得意ではないが、一週間くらいは困らないはずだと思い、どうせなら食べたいものを食べようと開き直った。
だが、問題があった。
露天商や屋台で売ってる物は買えるが、一人でレストランに入りにくい。
カランは意外と格好つける性格だ。
竜人族の女、それも冒険者丸出しの格好のままレストランに入れば物笑いの種にされるのではないかと恐れたのだ。
だが、食べたい。
丁度カランの目の前にある店からは、とても良い匂いが漂っている。
日はまだ沈んでおらず、客足も鈍い。
入るなら今のうちだろう。
だが入ってもちゃんと注文を受けてくれるだろうか。
今まで元仲間に生活のあれこれを任せていたツケが、今一気に来ていた。
これからはメシを食うのも宿屋に泊まるのも、一人で何とかしなければいけない。
そのとき、背後から声をかけられた。
「ちょっとごめんよ、どいてくれるかい?」
「ン? あ、ああ……」
冒険者風の中年男性だ。
短い黒髪でがっしりした体つきの男だ。
一人だけなのだが、何も頓着することなく男は店の中に入っていった。
「ポークジンジャー定食ひとつ」
「はーい」
男は、誰を気にすることもなく一人で飯を楽しんでいる。
カランは変な男だと思いつつも、堂々としたその様子に好感をもった。
更に、周囲の人間が少しざわつき始めたのがわかった。
「おい、あの男、確か……」
「間違いねえ、S級冒険者、【一人飯のフィフス】だ!」
一人飯のフィフス。
カタナという南方の剣を振るいつつも、魔法にも長けた万能の戦士だ。
様々な国を旅しており見識も広い。
そして、決まりきったパーティーに参加せず、「冒険者はパーティーを組むのが当たり前」という常識を覆してソロで活動する珍しい冒険者だった。
迷宮都市の冒険者ギルドでは、ソロ活動は推奨されていない。
少しばかり腕っぷしがある程度では無謀すぎるからだ。
B級以上の上級パーティー経験者でしか認められておらず、ソロで活動できるのは一種の名誉であった。
その名誉をもった有名冒険者の一人が、カランの眼の前でレストランに入ったフィフスであった。
「か……かっこイイ……!」
このときカランに、ほんの少しだけ希望が灯った。
あんな風にすれば、一人でメシを食べても格好悪くないんだという希望である。
カランは、レストランの扉を開けた。
窓越しに見えたフィフスのように、堂々とカウンターに座る。
「いらっしゃい」
店員は特に何も言わず、メニューを寄越した。
もっとも、カランは文字が読めない。
だからフィフスと同じように、
「ポークジンジャー定食一つ」
と言った。
そのポークジンジャーは、疲れ果てたカランの体に染み渡っていった。