マンハント 6
「ま、待て待て。ヘイルは逃げ足が速いぞ。バレないように気をつけろよ」
薬をもらった男はゼムが去る気配を察して、焦って引き留めた。
そして、壊れた蛇口のように知っていることをぺらぺらと喋った。閨の詳しい場所。閨の中のどのあたりの部屋にヘイルが居るか。見張りが現れるポイント。女は大体ヘイルに惚れているから俺達のように簡単には口を割らないから注意しろ……等々、必要以上なまでに情報が集まった。ゼムが肩を叩くと、男は嬉しそうな顔をして手を振った。まるで子犬のようにゼムを慕う様子だった。ゼムの妖しげなカリスマの発露にニック達は不思議な感慨を抱きつつも、ヘイルの捕縛のために歩みを進めた。
「……しかし、情報料にしちゃ大盤振る舞いだったんじゃないか?」
「そうかもしれませんね。……あまり、他人のような気がしなかったからでしょうか」
ニックの言葉に、ゼムが自嘲気味に微笑んだ。
「親近感あったか?」
「そりゃありますよ。冒険者にならなかったらここの住民だったかもしれませんし」
「……まあ、ありえん話じゃないな」
ニック自身、ここに居る仲間と出会えず冒険者稼業さえも諦め、ここに居るという未来を思い描くのは容易だった。そうなったときにゼムのような人間に出会えたら、引き込まれるだろう。何でも吐き出してしまうかもしれない。
「ほれ、行くぞー」
キズナに促されてニックとゼムは立ち話を止めた。キズナが先頭になり、【サバイバー】は閨と呼ばれる区域を目指して歩いていく。キズナの探索能力によって、ここの地理と存在する人間の居場所をほぼ完璧に把握していた。あとは迫り来る危機を回避しつつ……あるいは回避できない危機を撃退しつつ進むだけだ。
「ふむふむ……探査とさっきの男の話を統合すると……こっちじゃな」
「こっち?」
「これじゃ。この鉄柱、等間隔に棒が生えておるじゃろう。避難梯子じゃぞ」
「ここを上れってか……」
キズナは、階段ではなくメンテ用の梯子のような場所を上り、あるいは中腰で無いと進めないような通気口のような道を進み、あるいは大きなゴミ箱の後ろに隠されている扉を開けてずんずんと先を進んだ。窓は板が張られ、わずかな隙間も目張りされていて日の光が全く入ってこない。その代わりに切れかけの淫靡な色の魔術灯が明滅し、通路を妖しく照らしていた。昼か夜かもわからない。人工物でありながら巨大な魔物の体内のような錯覚さえ覚える。そんな場所だった。
「おっと、腰を低くして息を潜めよ。見回りが居るぞ」
「おう、わかった」
「あ、こっちに来るのう……避けられぬコースじゃ。また失神させるしかなかろう」
「しゃーねーな……」
「二人組じゃ。頼んだぞ」
ニックが指と手首と肩と肘を奇怪な角度に曲げ、ウォーミングアップを始めた。ニックは格闘を嗜む以上、柔軟性のトレーニングをずっと続けている。たまにティアーナから「軟体動物の生まれ変わりかしら?」などと言われたりする。
「しゃっ!」
その成果が今、現れた。猫のように無茶な体勢で物陰に隠れつつ、腕を鞭のようにしならせて敵の死角から顎を打ち据えることができる。一人目はそうやって倒した。仲間が倒されたことにも気付かず、もう一人の見回りが雑談を始めた。
「そういやウィリアム、見回りが終わったら酒でも飲もうぜ。かっぱらってきた奴があるんだよ」
「ウィリアムとか言う奴は酒を飲む前に寝ちまったぜ」
「だっ、だれ……!?」
ニックは背後からするりと腕を男の首に回し、一瞬で人間の意識を刈り取る。
こうして二人目も傷一つ付けずに制圧した。
「……ふう。人間を相手にするのは魔物とは違った緊張があるな」
ニックが大きく息を吐いた。
「こういうとき、ニックとキズナがいると楽ねぇ」
「魔術を使ったり、大剣を振れる場所でもねえしな。たまにはオレにもこういう仕事させてくれ」
「たまに、だからナ」
カランは、ニックが戦闘で前に出ることについてときどき懐疑的な態度を取る。
今は任せつつも、諸手を挙げて賛成しているわけでも無いといった体だ。
「大丈夫だよ、任せろ」
「べ、別に、心配してるわけじゃなイ」
「おう、ありがとな」
「だから違うっテ!」
カランが恥ずかしげにうつむきながらも、訥々かつ真面目に話を始めた。
「……こういう場所だとすごく頼りになるのはわかル。ていうか、頼っちゃウ。だからこそ気をつけて欲しイ。前も言ったけど、ワタシは倒れても皆なんとかなる。でもニックは倒れちゃダメ」
「うむ、正論じゃの。ここでニックが戦うのは正解じゃが、戦いたがるのは正解ではなかろう」
カランの言葉に、キズナが乗っかってきた。
ニックも、キズナの箴言には少しばかり思い当たるところがあった。
柔軟体操をしているときは実際、高揚感があったからだ。
「うっ……す、すまん」
「ふふ、心当たりがあったのかのう?」
「……コブシでなんとかなる相手ならそうそう負けないって自信があるんだよな。だから仕事に役立てられるのはやっぱり嬉しいし実感があるんだよ」
「実際、ニックは格闘なら中々の腕前じゃろうしの」
「ただそれだけだと迷宮ではどうしても本職の魔術師とか戦士には劣るからな。やっぱりちょっと、羨ましいんだ」
ニックが、頬を指先でかきながら恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「ふふん。我の《合体》があればそんな気持ちは無用であろう?」
「そりゃお前の力じゃねえか。んで、合体する奴の力でもあるわけだし」
「そうじゃ。そしてチームの力はリーダーの力でもあるのじゃ」
「うーん、まあそりゃそうなんだが……」
ニックは、今ひとつ納得していない態度だった。
そこにゼムが口を挟んだ。
「つまりニックさんは、独力で迷宮に通用する力が欲しい。そういうことですか?」
「迷宮、というより……」
「というより?」
「現実とか理不尽とか人生とか、そういう感じだな」
そうニックが言うと、妙な沈黙が降りた。
その沈黙に、ニックだけがうろたえている。
他の仲間達は若干呆れた様子だった。
「……な、なんか変なこと言ったか?」
「馬鹿ねえ」
「馬鹿ダ」
「馬鹿ですね」
「馬鹿じゃのう」
「な、なんだよ!?」
思わぬ一斉放火にニックがうろたえた。
そこにティアーナが大仰に肩をすくめながら口を開く。
「自慢だけどね、私ってけっこう大したものよ。私の歳で雷属性の魔術を使える子なんてそうそういやしないんだから」
ティアーナがくるりと一回転して髪をかき上げる。あからさまに芝居がかった仕草でも、ティアーナは妙に似合う。
「そういうところ言っても嫌味にならねえところ、純粋にすげえと思うよ」
「うるさいわねえ。ともかく私は、あとカランもゼムも、ていうかニックも、凄腕って言って良いと思うわ」
「そりゃ知ってる」
「知ってるけど、わかってなイ」
そこでカランがニックを指さした。
「ワタシ達はそういうパワーがあっても、負けるときはめちゃめちゃに負けル。これでもかってくらい負けタ。どんなに凄くったって、一人の人間ってやっぱり弱イ」
「みっともなくて情けない。死にたいと思ったこともあります。ですが、負けた後の身の振り方を教えてくれたのはニックさんでしょう」
だがそう語るカランとゼムの顔には、敗北感とか、みっともないとか、死にたいなどと言うような暗さは無かった。むしろ、優しくニックを見つめている。
「ニックさん。あなたは決して弱くありません。ですが、まだ発展途上です。魔術の力にも目覚めつつある。もしかしたらちょっとしたことが切っ掛けで成長して、僕らの力など簡単に飛び越えて超A級の冒険者の実力を手に入れる日が来るかもしれません」
「だと良いんだがな」
「もしそうなったときに、一人で何でもやろうとは思わないでください。信じろとか頼れとか、そういうことは言いません。将来何があるかなどわかりませんからね。……ですが」
ゼムは言葉を切った。
どきついピンク色の魔色灯がニックの顔を照らしている。陽が沈みきる直前の一瞬のような邪悪な色の光は不思議なほどに清涼だった。
「人間の弱さを知るあなたで居て欲しい」
それは、ニックに向ける言葉として全員の総意だった。
ニックは、格好付ける性格だ。
というか、冒険者とはそういうものだ。
格好良い冒険をしたい。
格好良い冒険を自慢してちやほやされたい。
格好良い啖呵を切って拍手喝采を浴びたい。
だから【サバイバー】の仲間達の言葉もたまに格好付けている。
格好付けて、励ましている。
そんな言動が自分に跳ね返ってきたような心持ちで、すさまじく恥ずかしく……だがそれを自分に向けてくれたことが、ひどく嬉しかった。
「そんなものは嫌と言うほど知ってるっての……。けどまあ。忘れねえようにするよ」
ニックは赤面する頬が弛みそうになる口を抑えつつ、あさっての方向を向いた。
その言葉を聞いた全員が、満足そうな表情を浮かべた。
「ほら、さっさと進むぞ!」
ニックが恥ずかしさを紛らわすように通路を先に進んだ。
「こら待たぬか。目的地が近いんじゃぞ、慎重に進むのじゃ!」
「だったらフォローしてくれ」
「まったく、剣使いの荒い奴じゃの……」




