マンハント 1
「んじゃ、換金も分配も終わりだな。おつかれさん」
「うむ、おつかれさまじゃ」
【サバイバー】は迷宮都市のギルドへと戻り、査定や換金、そして最後の報酬の分配をすべて終わらせたところだった。『木人闘武林』を難なく攻略したということで評価も上がり、報酬も色よく、全員が内心の嬉しさを嚙み締めている。荒れ野を踏みしめる冒険は楽しいが、かといって街での猥雑な娯楽もまた捨てがたい楽しみだった。
「さて、それじゃあ僕は失礼しますね」
「おう、ほどほどにな」
「それはお互い様ですよ」
ゼムがニックにそう言い返すと、全員含み笑いを爆笑へと変えた。
ゼムは手を振りながら繁華街へと歩みを進める。
ゼムは今、充実していた。
仲間達は傷を分かち合いつつも良い刺激を与えあう関係だ。
ゼムは仲間を尊重し、また仲間は尊重してくれる。
それに比べて神殿は、どこか孤独で寒々しい場所だった。
師匠と仰ぎ慕う人物もいたが、その人はやがて神殿から離れて旅に出てしまった。
神殿を立ち去る人間は、神殿内の権力抗争に飽いた者ばかりだった。ゼムは彼らを清廉潔白の士だと思っていたが、実のところ必ずしもそうではなかったと気付いた。信仰の価値を見失ったときにひたすら禁欲的な生活ができるほど、人間は強くない。それもまた人間なのだ。二度と会うこともないであろう、自分と同じ落伍者達への敬意は薄れ、そのかわりに共感と祈りを抱いた。彼らもどこかで人生の喜びを見出していますようにと。
逆に、自分を慕ってくれる人間も居た。
だが今は思い出したくはない。自分が真に苦しいときに施しを与えてくれた人間は神殿には居なかった。なにも施しや謝礼が欲しくて神殿の修行や治癒術士としての仕事をこなしていたわけではないし彼らの気持ちもわかる。権威に逆らうことができる強い人間であれば、神殿にひっつくようにして生まれた町に暮らすはずがない。それが彼らの生き方だ。責めるのは筋違いだと、頭の冷静な部分がそう告げている。
ただ、疑問に思ってしまったのだ。
身を削ってまで信仰を守り、人を救う意味があるのかと。
「おお、そこの神官様、助けておくんなせえ」
ゼムが歩いていると、突然声をかけられた。
声の方に視線を送ると、そこにはあだっぽい女が壁に背中を預けて立っていた。
額に青あざができている。
「僕は神官ではありませんがね。どうされました?」
「昨日の夜、乱暴者に殴られてしまって……どうかお慈悲を……」
「打撲の治癒は二千ディナですよ」
「金取んのかよ!」
「あなた、あの酒場でツケでよく飲んでいた人でしょう……お金を返したのですか?」
女は、このあたりでは有名な酔っぱらいだ。
冒険者くずれの用心棒で、酒癖も男癖も悪く評判はすこぶる悪い。酒場に雇われていたものの、気に入らない客は殴るわ、店の酒を呑むわの厄介者だ。足を怪我して冒険者を引退せざるを得なくなり、また、カタギの仕事にもつけずにその日暮らし。殴り合いの才能や気性の荒さを持て余し、こんな状況に陥った、そんな女だった。
「関係ねえだろ、これは名誉の負傷なんだよ! 夜に人さらいと戦ったんだ!」
しかも最近は虚言が多く、酒場の店員達も困っているらしい。
ゼムは溜息を付いてその場から立ち去ろうとした。
だがそのとき、両手を広げてゼムの進路を塞ごうとする人間が現れた。
「ま、待って! お願い!」
「うっ……!?」
ゼムはその姿を見て、冷や汗を流した。
ゼムがこの世でもっとも苦手とするもの。
十三歳くらいの少女だ。
「お金はあります、だからママを助けて!」
「や、やめろ……僕の目の前に立つんじゃない!」
「そこをなんとか! お願いします!」
「わかった! わかりました! だから近寄らないでください!」
懇願して近づいてくる少女を、ゼムはしっしと追い払おうとしながら呪文を唱えた。
「《快癒》!」
「おっ……悪いねぇあんた」
女がにやにやと笑った。
少女に押し切られたゼムを面白そうに眺めていた。
「言っておきますがね、この子の金は要りません」
ゼムは近寄ろうとする少女を避けつつ、酔っ払いを睨みつけた。
「あなたの借金だ。良いですね、あなたが僕に返すのです」
「なんでえ、細かいこと言う神官だね……はいはい、生きてりゃそのうち返すよ」
女が、まったく悪気のない顔で笑った。
その横で、少女が居心地悪そうにしていたことが印象的だった。
◆
「はぁ……まったく」
酒場「春の妖精」亭に入ったゼムはため息をつく。
「ゼムちゃんどうしたの? 珍しく機嫌悪いじゃない」
「おっと、すみませんね。お酒は楽しく飲みませんと」
「別に良いのよ、無理に笑顔にならなくったって。愚痴なら聞くわよ?」
馴染みの女、メリッサがゼムの杯に酒を注ぎながら言った。
「いやまあ、ここに来る途中のことなんですけどね……」
ゼムは道中で起きたことをメリッサに語った。
「あー、エイダさんかぁ……」
メリッサが額に手をあてて、呆れたように呟いた。
「ご存知なので?」
「まあ、うん……羽振り良かったときはおごってもらったり、乱暴な男を追っ払ってもらったり、いろいろお世話になったんだけどねぇ……。冒険できなくなってからはずっとあんな感じで。娘のレイナちゃんもあの人の世話にてんやわんやみたいでさ」
「そうでしたか」
「もう少ししっかりしてくれると良いんだけどね……最近はなんだか変なこと言い出してさぁ」
「ああ、そういえば人さらいと戦ったとか何とか」
ゼムがそう言うと、メリッサが大仰に溜め息を吐いた。
「はぁ……そんなの見たことある人なんて居ないんだけどね。どうせ怪我だって酔っ払って転んだんだよ。情けないったらありゃしない」
「……あれ?」
ゼムは、違和感に気付いた。
エイダという女の怪我は間違いなく本物だった。
殴打による内出血と擦過傷だ。
ゼムは、転んだ傷と殴られた傷を見間違うことなどない。
「どうしたのゼムちゃん?」
「……いえ、なんでもありませんよ」
まさか、エイダが語っていることが真実ということはあるまい。
ゼムはそのことは頭の片隅に追いやり、酒を楽しむことにした。
◆
ゼムは酒に強い。
呂律が回らなくなったり足がふらつくということもあまりない。
また警戒心も強いため、帰り道には常に気をつけている。
明かりのない場所や不審者がひそめるような場所は避けている。
だがそれでも酔いというのは体を鈍らせる。
普段歩く道路が陥没して歩きにくく、別ルートを行ったところ裏路地についつい入ってしまった。
そして、
「……剣の音?」
危なっかしい金属音や、人間の駆ける足音がゼムの耳に届いた。
まさか、と身構えて振り返るが、そこにはなにもない。
「酔いましたかね……」
そこでゼムは、酔い覚ましに薬草を口に入れて噛んだ。
「木人花」という花だ。
木人の体の一部に咲く花で、幻惑を破ったり鎮静効果をもたらす薬草だ。
森はどうしても毒を持つ魔物が多い。
毒の鱗粉を持つ蝶や、幻惑をもたらす花粉を出す花など。
木人はそうした毒や幻惑の耐性を持ち、そうしたものに左右されず格闘の腕を磨く。
その木人の体にたまに咲く花には、摂取した人間にも幻惑や毒を打ち消す効果をもたらすのだった。酔い覚ましにしては少々高いが、安全には変えられない。
「さて、それでは……ええっ!? エイダの娘さん……!?」
花を口に入れた瞬間ゼムの目に入ったのは、黒ずくめの男が少女を担いでいる姿だった。
明らかに、誘拐だ。
「き、きさま、俺の姿が見えるのか!? くそっ……!」
男がゼムに襲いかかってくる
ゼムも反射的に自分に強化魔術を付与して迎撃の構えを取る。
「《剛力》!」
「なにっ!?」
ゼムは元神官であり治癒術士だが、かといって争い事が不得手な青瓢箪ではない。
迷宮での探索中は後衛に控えているが、ゴブリン程度なら戦うこともできる。
それに今は、ニックに簡単な護身術を習っていた。
たまたま習ったばかりの掌底を相手に打ち込んだ。
「がはっ、貴様っ……!」
「たっ、助けて!」
戦っているゼム達に気付いた少女が声を上げる。
だがゼムは、それに応える余裕がない。
「ちっ……!」
男はどうやら剣士らしく、付け焼き刃のゼムは防戦一方となった。足下に転がっていた棒きれを拾って、なんとか切られまいと振るう。だが付与魔術によって底上げされた膂力があっても、武器の差は大きい。
「ひやりとしたが、付け焼き刃のようだな……悪いが死んでもらうぞ」
「ちょっとそこをどきな!」
そのとき、女の怒号が迸った。
ゼムは反射的に伏せる。
「ぐがっ!?」
投擲された投げナイフが、黒ずくめの男の腕に突き刺さった。
「あなたは……エイダ!?」
「ふう……間に合ったか……!」
ゼムが振り向くと、昼間の酔っぱらいのエイダが立っていた。
「へっ、嘘じゃなかっただろ。わたしゃこの街を……」
「危ない!」
「なっ……!?」
腕に投げナイフが刺さったまま、男がエイダに突進してきた。
「くそっ、こんなところでドジを踏むとは……! 貴様だけでも!」
エイダは足が悪い。
遠距離から武器を投擲したり、屋内の狭い場所での殴り合いならばまだ何とかなる。
だが、屋外の広い場所での戦いとなると分が悪い。
「がっ!?」
エイダは黒ずくめの男の剣に切りつけられた。
切りつけられた勢いで吹っ飛び、血を流しながら地面に転がる。
「死にぞこないめ……次は貴様か」
「くっ……!」
剣がゼムの方に向けられた。
これはもう、観念するしか無いのか――そう思った瞬間、
「……ぁぁぁ」
「うん?」
「ぬわあああああああー!?」
奇妙な絶叫と共に、剣を構えた美少女、あるいは美少年が飛び込んできた。
まるで砲弾のごとく一直線に黒ずくめの男にぶち当たり、ふたりともそのままもんどり打って道路に放置された空樽に突っ込んでいった。
「キズナさん!?」
「なっ、なんだ貴様ら……!? なぜ《透明化》をしているこちらのことが見える!」
「いたたた……そんなこと言うわけなかろうが」
黒ずくめの男は形勢不利と見るや、驚くほどの動きを見せた。
その場から跳躍し、家屋の屋根へと飛び移る。
「深追いは無理だな……大丈夫か、ゼム」
「おお、ニックさん! ありがとうござ……!」
と言いかけて、ゼムは怪訝な顔になった。
「……ええと、ニックさん。その格好は?」
ニックは青色の半纏に、蛍光色に光るライトを握っていた。
「お前がピンチだってキズナが言うからライブから直行したんだよ!」
「あっ、す、すみません」
「まあ、それはともかくだ……」
ニックがちらりと辺りを見渡す。
そこに居たのは、ゼム、エイダ、そして誘拐されそうになっていた少女、空き樽につっこんだキズナだ。
「……どういう状況だ?」
「僕にも何が何だか」




