パラディンの伝説 2
ルーレットはシンプルだが奥深いゲームだ。
ホイールと呼ばれる回転盤を回して球を投げ入れ、円形に並べられたポケットのどこに球が入るのかを当てる。ただそれだけのゲームに過ぎない。だが賭け方は何通りもある。ポケットの番号をピンポイントで指定することもできるし、大雑把に赤と黒といったポケットの色で賭けることもできる。隣り合った数字のどちらかと言った、細かい範囲でも決められる。そして、
「ホイールの中で球が回っていても、ディーラーが止めるまでは賭けを追加したり変更したりできるわけ。良いわね?」
「まあ、わかったが……」
ニックの目は良い。
殴り合いや掴み合いを制する勝負勘もある。
自分の頭より二つ三つ大きいオーガに向かうクソ度胸もある。
が、ここでは完全に雰囲気に飲まれていた。ちびちびとしみったれた枚数のチップをアウトサイドベット……倍率の低い場所にばかり置く。ディーラーや周囲の客の顔には、初心者を見る微笑ましささえ浮かんでいた。
ただし、隣の美少女だけはいらいらした雰囲気を隠さずにニックにがなりたてた。
「あなたねー! もっとバーンと賭けなさいよバーンとぉ!」
「あのなぁ、他人の金で馬鹿みてえに賭けられるわけねえだろ!」
「ったくもー。スロットの方が良かったかしら」
「だから、あんまり引きずりこまないでくれ」
「何よ、人を冒険者だの決闘だのに引きずり込んでおいてその言い草」
「うっ、それを言われたら立つ瀬がねえんだが……」
ばつが悪そうに目をそらすニックを、ティアーナはにやにやしながら眺める。
「ウソよウソ。ただちょっと気晴らしに付き合ってってだけの話」
「……気晴らしか。まあ、そういうことなら」
「さ、次のゲームが始まるわよ。ちゃんと集中して見なさい」
「おう」
ニックはホイールの中を高速で回転する球を眺めた。
ボールは、思わぬ動きをしながらもどこかのポケットに吸い込まれていく。
少しずつ賭け方が変わっていった。
ホイールを眺めるのではなく、ディーラーの指や目を見るようになった。
これは物理現象と戦うゲームではなく、人間と戦うゲームとニックは気付いた。
「そうそう、悪くないわよ」
くるくると盤上にボールが回って行く。
ボールが落ちるであろうポケットの範囲を絞り込み、探るようにチップを積み重ねる。
思えば、拳闘も細かい駆け引きと大胆な勝負の連続だった。
最後まで考え抜き、必殺の機を伺う。
ディーラーの顔から微笑ましさの皮がめくれる。
目の奥に隠した鋭さが見え隠れする。
そしてディーラーが鐘を鳴らした。
ノーモアベット。賭けはここまでというサインだ。
「……よし!」
「やるじゃない!」
ティアーナがばしばしとニックの背中を叩いた。
三十五倍の配当のチップがニックの懐に入る。
「おめでとうございます」
ディーラーが満面の笑顔で祝福しながら、重ねられたチップを差し出した。
口が笑顔過ぎてちょっと怖い。
その上、目の奥にちらちらと見える悔しさをニックは垣間見てしまった。
だが、それこそがゲームだ。
本気で相手を打ち負かそうとしてからが本番だ。
◆
ニック達はしばらくルーレットに没頭していた。
そう、没頭だ。
考えるべき頭がどこかに飛んでいってしまっていた。
「全部巻き上げられちまったじゃねえか!」
「あっはっは、流石プロね。本気にさせただけ偉いものよ!」
「はぁ……素人が手ぇ出して良い遊びじゃねえな」
ニックががっくりと肩を落とすが、ティアーナはげらげらと笑い、存分に楽しんでいた。
ティアーナが痛くなるくらいにばんばんと背中を叩いてくる。
「でも、気晴らしにはなったでしょう?」
「気を晴らすには犠牲が大きかった気がするがな」
「貸しにしとくわよ」
「おっ、おま、奢るって言っておいてそりゃねえだろ!?」
「ウソよウソ」
ティアーナがからからと笑いながら、通りすがった店員から飲み物をもらった。
酒では無くノンアルコールのジュースのようだ。
ニックも渡されて口を付ける。
柑橘系の爽やかな酸味が喉を通り抜けていった。
「……なあ、ティアーナ」
「なに?」
「鉄虎隊は、どこでしくじったんだろうな」
ふと、ニックの口からそんな言葉が出てきた。
「どうしたのよ、藪から棒に」
「いや、あいつらって賭場でイカサマしてたって話だろう。ここにも来てたのかなって」
「……さあね。私達にはわかりようのないことだし、わかっても仕方の無いことよ」
「そうなんだがな。ただ、あいつらってオレ達とちょっと似てた気がするんだ」
「似てる? どこが?」
「レオンと殴り合う前にあいつ、オレにクロディーヌを売ろうとしてたんだよ」
「……はあ? 仲間でしょ?」
ティアーナが呆れ切った声を出した。
「だがクロディーヌはクロディーヌで、レオンから手を切って一抜けしようとしてた」
「そういえばそうね」
「あいつら、仕事でのコンビネーションはけっこう上手かったと思うんだよ。念信宝珠を使ってたとはいえ、オレも不覚を取りそうになったし。でもあいつらは同時に、お互い一線引いて信用してなかった」
「……あなたも言ってたわね。オレを信じるなって」
「多分だけどさ」
「なに?」
「……どっか間違えたら、オレ達もああいう風になる可能性はあるんだろうなって」
「ニック」
「ん?」
完全に油断していたニックの額に、ティアーナがでこぴんを放った。
「いって!? おまえ手加減しろよ!?」
「そういう馬鹿なこと言うからでしょ。あなた自分で言ったこと覚えてないわけ?」
「な、なんだよ?」
「『自分の身の潔白を認め合うのが信用だってオレは思う』、忘れたの?」
「あー」
「あーじゃないわよ、まったく」
ティアーナが芝居がかった身振りで、大仰に肩をすくめた。
「ったく、仕方のないリーダーね。あなたが馬鹿なこと考えないか、いつも疑ってあげるわ」
「おう、頼む」
「間違ったら煙草の火で手の甲を焼くか魔法で凍らせてあげるから、安心してやりたいことやりなさい」
「おっかねえ」
ニックはそんなことを言いながらも、晴れがましい気分だった。
レオンやクロディーヌに勝ったという爽快感は、あまり無かった。
昔の女が護送されていくのは奇妙な後味の悪さがあり、それに皆を付き合わせたという後ろめたさがあった。
ティアーナには、そんなことお見通しだったのだろう。
おっかない女だというのは、ニックの本音だ。
だが、仲間で居てくれて良かった。
「さて、そろそろキズナを連れて帰るわ」
「あらそう?」
「楽しかったよ、サンキュ……」
と、ニックが言いかけた瞬間。
があん、という金属がひしゃげる音がカジノ入り口の方から響いてきた。
「うわーっ!?」
「はっ、はやく逃げろ!」
遅れて、人々の悲鳴が聞こえてくる。
厳重に警備されているはずのカジノでは、まず聞こえてくるはずのない声だ。
「な、なんだ……!? 強盗か……!?」
「ばか、強盗なんてカジノなら撃退できるわよ、これ、魔物の気配……!?」
「んな馬鹿な!?」
ニックの疑問の声に答えてくれる者は居らず、ただ悲鳴と轟音が響き渡っていた。




