さんすうベアナックル 11
「クロディーヌ! 相手の方を見るんじゃ無いよ!」
カランを凝視したクロディーヌに、審判のヴィルマから警告が飛んだ。
慌ててクロディーヌは視線を外し、問題用紙に目を向けた。
だがそれで焦りが無くなるわけではない。
「くっ……なんでよ……?」
田舎者の中でも、竜人族は特に頭が良くないことをクロディーヌはよく知っている。
あらゆる獣人と比較しても一、二を争うほどに恵まれた肉体と魔力。
魔族との戦争で活躍した英傑も多く、一目置かれている。
だがその優秀さにあぐらをかいている者も多い。
対して、クロディーヌはただの人間だ。
顔のつくりは決して悪くないと自覚している。
だが吟遊詩人のような華やかさは無い。
生来の手の器用さはあるが、男のような力強さも、魔術師のような魔力も無い。
家も資産も無い。
親は駅馬車の職員だったがケチな横領に手を染めて失職し、親から奴隷として売られそうになったところを命からがら逃げ出した身だ。竜人族などのように頼れる一族などあろうはずもない。
自分の手には世の中に通用する武器があまりにも少ないという事実を、嫌というほどわかっている。
だから、妬んだ。
世の中に通用する武器を持っている人間を。
天から与えられた何かを持っている人間を。
だから、開き直った。
才能の無い人間が卑劣な手段に頼るのは当たり前のことなのだと。
ニックが決して侮れない冒険者であることは、本当はクロディーヌはわかっていた。
どこか自分を卑下しているが、道具や戦利品の目利きは確かで、頭も回る。
腕力が足りないと嘆いているが、あの「武芸百般」で足手纏いにならない時点で並大抵では無い。
少なくとも、ごく普通の女の体しか持ち合わせていないクロディーヌよりは遥かに強い。
だから、ニックが「武芸百般」から追い出されたときに、思ってしまったのだ。
「こいつは私と同じレベルに堕ちたんだな」と。
「私の方がマシだ」と。
ニックを嘲笑うのは、心地が良かった。
そうだ、人間は平等なんだ。
誰だって、いつの日か、絶対に、残酷なこの世の中に挫けて負ける日が来るのだ。
きっとこいつは私にも裏切られて、ゴミクズのように汚れて絶望する。
弱り切って死んでしまう寸前になれば、少しばかり温情を恵んでやっても良いだろう。
今までかすめ取ってきた物を少しばかり返してやったって良い。
そして弱い人間が生きるための獣道を諭し、導いてやるのだ。
この猥雑で悪徳に満ちた街を生き抜くために。
だがニックは、クロディーヌの思惑とは全く別の方向へと進んだ。
新たな仲間を募り、中堅冒険者達が目を見張るほどの活躍を始めた。
しかも、自分の詐欺の獲物さえ助けた。
止せば良いのに。
勝ち馬に乗り始めた人間など相手にせず、自分が勝者になれる世界だけで生きていけば良いのに。
頭の片隅では愚かなことをしているとわかりつつ、自分を棚に上げていることも理解しつつ、それでもクロディーヌはニックに復讐してやろうと思ってしまった。
本当は馬鹿な商人の息子から金をせしめ、さらにレオンも裏切って都市の外に高飛びする計画だったが、それすらも放り投げた。他人と力を合わせてまっとうに生きるニックが、許せなかった。恐らく自分の裏切りの兆候に気付いていたであろうレオンも、何故か私の復讐に乗ってきた。恐らくレオンも気付いたのだ。ニックが、欺されてどん底に落ちて、私達と同じ獣道を歩むべき人間が、私達とは違う日の当たる場所へ行こうとしてることに。だから、
「こんなアホに……負けるわけにいかないでしょ……!」
クロディーヌの呟きを聞いたカランが、溜息をついた。
そんな嘲笑など相手にしないとばかりに。
「アホをアホのままだと思う、お前がアホってだけダ」
そのつまらなさそうな口調に、クロディーヌは切れた。
『……ベッグ! 奥の手よ!』
『おう。こっちは大丈夫だ。参考書も算盤もある』
『今から問題を言うから解いて頂戴』
クロディーヌは、自分の懐に隠した宝珠にこっそりと魔力を込めた。
止せば良いのに。
何らかの気配を察したカランが憐憫さえ抱いていることに、クロディーヌは気付かなかった。
同時に、決闘を見守っているはずのサバイバーのメンバーがこの場から消えていることに、クロディーヌは気付かなかった。
◆
ベッグは「鉄虎隊」に所属する魔術師だ。
魔術師のくせに「深く考えない」、「シンプルに生きる」が信条の男だった。見知らぬ知識を得ることも、魔術を嗜むことにも、美味い酒を飲み、女をはべらすことも、すべては自分が楽しいからやる。宵越しの金は持たず、無ければ借りる。そんな野放図で享楽的な男が借金地獄に落ちたのは道理というものだった。
そして借金取りによって身ぐるみ剥がされ鉱山送りになりそうなところを、レオンに救われた。奴隷として買い取られたのだ。ベッグはてっきりレオンが男色家なのかと思ったがそうではない。単に魔法を使える鉄砲玉が欲しかっただけだ。そしてベッグはレオンの部下となり、危ない橋ばかり渡らされてきた。クロディーヌが男を騙したときの用心棒役になることもあった。あるいは、レオンがイカサマをして他の冒険者から金を巻き上げるときもコンビ役にもなってきた。
そこにベッグの自発的な意志は無い。だが不満も無い。レオンは詐欺師のくせに、報酬をさほどケチることも無かった。言われた仕事を忠実にこなせば悪くない報酬が貰えて、美味い酒が飲める。結果として悪事をなしたとしても、それはそれ。そもそもベッグ自身、誰かに騙されて痛い目にあったこともある。だったら自分が欺す側に回って、何の問題があろうか。クロディーヌやレオンのように詐欺をする人間と仲良くして何の問題があるだろう。
ベッグは、レオンやクロディーヌのような闇は持たなかった。持たないだけではなく、興味さえ沸かなかった。自分の快楽以外はどうでも良い。そんな自己中心的でありながらも他人にとやかく言わないからっとした性格が、レオンとクロディーヌに気に入られた。
『なるほど、なるほど……ちょっと計算するから待ってろよ』
『さっさとしてよね!』
『へいへい……』
「念信宝珠」を介して、クロディーヌが見た問題の答えを計算していく。
ベッグは決して頭は悪くない。むしろ頭の回転は早く、計算を解いたり調べ物をしたり、頭を回すことは苦痛ではなかった。ただ単純に、興味が無いことに対しては果てしなくどうでも良かっただけで。
「よし、と。しかしクロディーヌも心配性だな」
そんな独り言を呟きつつ、ベッグはコーヒーを啜った。
今、ベッグは冒険者ギルド「フィッシャーメン」の近隣の喫茶店に居た。
《念信》で聞き取った問題の答えを、参考書を開きながらひねり出していく。
しかしベッグは、奇妙に感じた。
妙に問題の難易度が高い。
相手の竜人がすらすらと解けるというのは不可解だ。
「……あ、くそ、計算間違ったな。やり直しだ」
「ほほう、そんなに大変な問題なのかのう。手伝ってあげても良いぞ?」
「お、そりゃ助か、る……?」
ベッグは問題に集中するあまり、個室に誰かが入ってきたことに今更気付いた。
「ああ、そのまま動かないで。懐から宝珠を出して下さい。壊しても無駄ですよ。それが絆の迷宮で手に入れた念信宝珠であることはわかっていますから。大丈夫、僕らは手荒な真似はしません。大人しくしている限りは」
そこに居たのは白髪の美少年。
そして神官風の男と魔術師の女だった。
全員がベッグの逃げ道をがっちりと塞いでいる。
「で、どうするの? 手荒な真似、して欲しい?」
魔術師の蠱惑的な笑みだけで、ベッグは反抗する気力を失った。




