さんすうベアナックル 9
夜の色街は、意外と冒険者界隈の情報が流れる。
冒険者稼業は儚い仕事だ。
大きく稼ぐ日もあれば、なしのつぶての日もある。
あるいは、一瞬の油断で命を失うこともある。
だから冒険者の男は大概、夜の街に引き寄せられて儚さを忘れようとする。
そしてその日の稼ぎを失う。
ついでに、誰かの秘密が漏れ出したりする。
ゼムはそんな男の習性をよく理解していた。
そもそも自分がその男の代表格なのだから。
「なるほどねぇ……そんなことがあったんですか」
「まったく、あんな頭の緩そうな女に騙される男が意外といるのよ」
ここはゼムのいきつけの酒場、「春の妖精」亭。
今回はニックに頼まれた仕事をこなすために訪れ、馴染みの女のメリッサに酒を注いでもらっていた。勉強してるカランからは「このタイミングでマジで遊びに行くのか」という驚きと呆れの混ざった目で見られたが、これはこれで大事な仕事なのですよと言ってゼムは店の扉をくぐった。
「ゼムちゃん、あのクロディーヌとかいう女に関わっちゃダメよ? 仲間の男共を用心棒にして美人局みたいな真似しててさ」
頼まれた仕事とは、クロディーヌの素行の調査である。
いきつけの喫茶店で結婚詐欺じみた真似をやるくらいだ、もしかしたら想像以上にクロディーヌの素行の悪さは目立っているかもしれない。ゼムはそうした予測を立てて、様々な店で聞き込むつもりだった。だが手始めにいきつけの酒場で話を聞いたら、まるで穴の空いたバケツのように情報が転がり込んできた。
「それはそれは、悪どい人もいるもんですねぇ」
内心の微笑みを隠しつつ、ゼムはいたましそうに頷いた。
「ったく、ああいうのがいるとウチみたいな安全な店まで「どうせ騙すんだろう」みたいな目で見られて困るのよね」
「被害に遭われたお知り合いなどいらっしゃるので?」
「あー……ナイショなんだけどね。よく週末に来る冒険者のダーフィさんはその口よ。あとはねぇ……」
「あとは?」
「あー、なんか喉渇いちゃったなー」
「仕方ありませんねぇ、好きなものを飲んで構いませんよ」
「ありがとうねー! 冒険者だとケルンさんとロールズさん、あとは鍛冶屋通りのドワーフのジステンさんあたりも引っかかってたっけなぁ」
「4人もですか……ふむふむ」
ゼムは話を聞きながら、にやりと心の中でほくそ笑んだ。
有力な情報がどんどん入ってくる。
「しかし裁判沙汰とか決闘沙汰とかには発展しなかったんですか?」
「決闘沙汰は何回かあったらしいわよ。でもレオンっていうのが強くって、大体勝っちゃうらしいわ」
「なるほど……」
「もしかして、クロディーヌをこらしめようとしてるとか?」
「さて、どうでしょうねぇ」
「もう、しらばっくれて……。でも、気をつけてね? 用心棒で彼氏のレオンとかいう奴、強いよ? あとベッグとかいう仲間もなんか不気味だし」
「そんなにですか?」
「私も詳しくは知らないけど、なんか奥の手があるらしいのよ。それでダーフィさんみたいな腕利きもやられたらしくて……」
「腕利き?」
「ダーフィさんもC級冒険者で弱い人じゃないんだけどね。レオンって男、やたら勘が良いらしいのよ。背中に目がついてるみたいだって言ってたわ」
「でも、殴り合いのケンカばかりじゃないでしょう?」
「ああ、冒険者だとなんか変なテストとかクイズとかやるところもあるらしいわね。でもそれも負けなし。腕っ節も頭も回るなんて反則よね。あ、博打も強くて女には気前良いのよ。まあ恨みも買われてるから、好き好んで近付くのはおつむの弱い子ばっかりだけど」
「なるほど……」
「これより詳しいところは私も知らない。もっと知りたければダーフィさんに直接聞いてね。でもけっこう気にしてるみたいだから、プライド傷つけるような言い方しちゃダメよ?」
「そこはお任せ下さい。元神官ですから」
「悪い神官さんだこと。でも太陽騎士よりは頼りになるかも」
メリッサはそう言って笑いながら、ゼムのグラスに酒を注いだ。
ゼムは美味しそうに酒を呷る。
「そういえば太陽騎士団でしたっけ……このあたりの治安を守っているのは」
「ちょっと強引だし横柄だし、あんまり好かれてないのよねぇ……。あ、でもレオンを狙ってるってウワサもあるけど、実際のところはどうなんだか」
「ふむ、そうでしたか……」
「太陽騎士団はあんまり関わりたくないから教えられないわよ?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます……さて、メリッサさん、もう一杯いかがです?」
「あら? 悪いわねー」
メリッサはいそいそと自分の飲む酒を用意する。
その背中を見ながら、ゼムは思考に耽る。
(色々と役立ちそうな話も聞けましたし、明日も動き回ってみますか。陰謀めいたことが得意になるとは思いもよりませんでしたがね……)
自分を陥れた人間と似たような行動をしているのだろうと、ゼムは自嘲気味に思う。
だが不思議なことに、ゼムは不愉快な気持ちにはならなかった。
陰謀に立ち向かうための陰謀は、悪くない。
◆
そして瞬く間に時は過ぎ、決闘の日がやってきた。
できる限りの準備を整え、ニック達は決闘の場所へ赴いた。
その場所は、冒険者ギルド「フィッシャーメン」の屋上だ。
そこに二つの試合会場が用意されている。
一つは、ごく簡素なものだ。
床に白線を四角く引いただけの場所。
「ここからは場外」を示しているだけの、無骨な佇まいだ。
別に場外という反則や減点は無い。
ただし、場外に出たら立ち会う人間や観客達に無理矢理場内に連れ戻される。
負けを認めない限り逃亡を許さない。
そんな野蛮なルールのための白線だ。
そして両端に、決闘する人間二人が思い思いに待機している。
「久しぶりだなぁニックちゃん? よく逃げずに来れたな」
「こっちの台詞だ」
ニックと、レオンだ。
既に二人とも、今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。
今回、武器の持ち込みを禁じられている。
さらに、防具どころか上着と靴の着用さえ禁じられていた。
二人とも半裸のような姿で闘志を燃やしていた。
「やっちまえ!」
「レオン、ぼっち野郎にでけえ顔させるなよ!」
「ニック! 卑怯なネコ野郎の尻尾をぶっちぎれ!」
ニックの珍妙に見える行動を良く思わない冒険者がレオンに味方し、あるいはレオンの所業を知っていると思しき人間はニックの応援をしている。当事者のみならず周囲のボルテージさえも昂ぶっていた。
男達がそんな荒々しい気配を漂わせている一方で、むっつりとした難しい顔をしている人間達も居た。その人間達は、白線の外の場所に居た。机と椅子が二組、向かい合うように置かれている。その椅子に座るのはどちらも女だった。
「……はぁーあ。さっさと始めてほしいんだけど。ねえ、あなたもそう思うでしょお?」
「うるさイ」
一人はふわりとした栗色の髪の、まさに少女らしい少女だった。
鉄虎隊のクロディーヌだ。
今はつまらなさそうに自分の枝毛を抜いていた。
もう一人は、カランだ。
クロディーヌの話など一切耳に入っていない。
目を瞑り、集中している。
今まで突貫工事で勉強した内容を、頭の中で反芻していた。
「……あんた、クソ真面目ねぇ。つまんない」
「無駄な挑発は止めな。そろそろ始めるよ。まずは男共の方からだ」
ヴィルマの声が屋上に響いた。
太陽は丁度真上にさしかかっている。
男どもの影がくっきりと床に浮かび上がっている。
「目と金的への攻撃、魔法や武器の使用は禁止。倒れてテンカウント、失神、降参で決着とする。当然、殺しは駄目だよ。あとは殴ろうが蹴ろうが投げようが、好きにやりな」
「おう」「いつでも良いぜ」
「……始めっ!」
ヴィルマの凜とした声が響いた瞬間、ニックは即座に踏み込んだ。
猛スピードのフックがレオンを襲う。
だが、
「っとぉ! 危ねえな!」
レオンはそれを予期していたかのように避けた。
バックステップして距離を取る。
「……来ないのかよ」
「そう焦るなよ。勝負はまだ始まったばっかりだぜ?」
レオンが挑発する。
ニックが再び踏み込み、左のジャブを繰り出す。
レオンは堅くガードして防いだ。
レオンが強いのではない。
レオンは、攻撃を捨てて防御に専念していた。
「……ちっ」
ニックが更に細かく刻むように拳を繰り出す。
それをレオンが腕を上げて守りを固め、致命的なダメージを避け続けた。
ニックの拳が打ち止めになったあたりで、レオンが下半身を狙って蹴りを繰り出した。
「おっと!」
だが、ニックは一歩引いて無難に避ける。
「お前……」
「へっ、なんだい。蹴りはお嫌いか?」
ひゅう、と呼吸音が聞こえた。
その瞬間、レオンの中段蹴りがニックの腹に襲いかかる。
獣人のばねや瞬発力は普人を軽く凌駕する。
ニックは脇を締めて腕でガードする。
「くっ……やっぱりかよ」
「なんだよ?」
「時間稼いでるだけだな?」
今、ニックは、あえて蹴りをガードした。
ほんの少し体勢を崩し、隙を見せた。
だがレオンは決して近付いてこない。
それどころか更に一歩引き、こちらの様子をうかがっている。
「さあて、何のことだ?」
恐らくレオンは、攻撃の意志がないと取られない程度に攻撃し、あとは徹底的に防御と回避するつもりだろう。次の勝負に持ち込むために。
そんな膠着状態が続き、あっという間に試合時間が過ぎた。
ヴィルマが鐘を鳴らす。
終了の合図だ。
勝負の行方は、カランとクロディーヌの手に委ねられた。