さんすうベアナックル 8
「闇狼窟」は仰々しい名前の割に、新入り冒険者向けの迷宮だ。五階層の深さを持つ洞窟型の迷宮で、闇狼という夜目の利くオオカミが現れる。攻撃力も耐久力もさほど高くはなく、テイマー職が鍛え上げた闘犬の方が強いくらいだろう。ただ、闇に身を潜めて気配を消すことと敏捷性には優れており、慣れていない者は不覚を取りかねない。G級冒険者が入れる迷宮の中ではもっとも難易度が高い。
「しゃッ!」
「ぎゃいんっ!?」
その闇狼を、ニックはカウンターで殴り倒した。
哀れな犬のような悲鳴をあげて闇狼は倒れ伏す。
続いて更に二匹、ニックに襲いかかってきた。
跳躍して上から襲いかかる闇狼が一匹。
地を這うように下から襲いかかる闇狼が一匹。
「迂闊に飛ぶと動きが限定される、悪手だな」
狼もかくやという速度でニックは上から来る闇狼を迎撃した。
脚を大鎌のように振り回して踵を叩き付ける。
「ワオッ!?」
そして闇狼を下方へ吹き飛ばし、もう一匹の闇狼へと叩き付けた。
「そらよッ!」
そして拳を的確に闇狼に叩き込む。
三匹があっという間に片付いてしまった。
「……よくやるわねぇ、そんな手品みたいな芸当」
「馬鹿いえ。格闘を極めたような奴は闇狼の背後に潜り込むくらいやってのけるぞ、魔法とか無しで」
「ごめん、ちょっとわからない世界だわ」
今、ニックはティアーナと二人でここに来ていた。
ニックが決闘に向けて、格闘の勘を研ぎ澄ませるためだ。
一人での迷宮探索はできないためにティアーナが付き添っているが、闇狼を倒しているのはニック一人だ。
「普通、そうやって倒すものじゃないでしょう……。最初の攻撃を防いでちくちく攻撃して倒すものよ」
「お前に普通を語られたくない」
「なんで?」
「《魔力索敵》で隠れてる闇狼を見つけて、先制攻撃でぶっ倒せるだろ。お前がいるとザコを倒すのに前衛がヒマでしょうがねえ」
「ふふん、良いことじゃない」
ティアーナが自慢げに微笑む。
「まあ安全なのは良いことなんだがな。おかげでちょっと鈍った」
「だからってこんな無茶な訓練しなくても。短剣すら抜かないで、格闘用のナックルガードだけで魔物倒すなんて」
「なんだよ。蹴ったりもするぞ」
「で、そんなニックがみっちり対策しなきゃいけないほどレオンって男は強いわけ?」
「強いっていうか……なんか妙なんだよな」
と、ニックが曖昧な答えを返した。
「妙?」
「こう言っちゃなんだが、オレは格闘の腕だけだったらかなり良いところまでいける自信はある。まあ格闘でボスを倒せるってほどじゃないが」
「うん」
「けどレオンは、オレを上手く誘い込んで二対一の状況を作った」
「そりゃ、二対一なら不利でしょ」
「そうじゃねえ。周りに誰も居ないのはわかってたはずなんだよ。待ち伏せされてたわけじゃねえ。まるでレオンがピンチになる瞬間がわかってたみたいに助っ人が駆けつけた」
「あー、そこを気にしてるわけね」
「……よくよく考えれば、最初レオンと会ったときもなんかおかしかったんだよな。クロディーヌと話してたときだってオレがパーティーを追い出されたことなんて知らなかったのに、別れ話になった途端にレオン達が現れた。まるで、そういう話になることがすぐ伝わったみたいに」
「……何なのかわからないけれど、油断しちゃいけない何かがある、と」
「ああ」
「それ、格闘の訓練でなんとかなる問題?」
「いや、さっぱりわからん。わからんことだらけだから、体も動かすし頭も動かす」
「頭は動かしてなくない?」
「そっちはオレじゃなくてカランとゼムだ。ゼムにもちょっと調べ物を頼んだ。お前にも頼むかも知れない」
「ま、考えがあるなら構わないけど。さしあたって、今手伝うことは?」
「ようやく体が温まってきたから、ちょっと下の階層まで行ってくる。留守番しててくれ」
「あなた意外と脳筋よね……気をつけなさいよー!」
ニックは軽快に拳を振って答えた。
ティアーナはそれを呆れながらも見守った。
◆
「……ふう、そろそろ戻るか」
迷宮の奥に一人で入っていったニックが戻ってきた。
「ちょっと、汗びっしょりじゃない。ほら」
「悪いな」
「ていうかその格好何よ」
「暑いから脱いだ」
ティアーナが上半身が裸のニックにタオルを投げてよこした。
「三十匹くらいは倒したか。まあ悪くない小遣いにはなる」
「よくもまあ、魔法も使わずにやるわねぇ……。って、腕から血が出てるじゃない」
「ああ、噛まれたわけじゃない。ちょっと岩でひっかいたくらいだ」
「止血するから座りなさい。あと、戻ったらゼムにも診てもらいなさいよ」
「わかってるって。ちょっと休憩だ。息を整える」
「はいはい」
ニックが岩に腰を下ろすと、ティアーナが血止めの薬草と包帯で介抱をテキパキと始めた。
そしてついでとばかりに水筒をニックに渡した。
「サンキュー」
「どーいたしまして」
「……今頃、あいつらは真面目に勉強してるかねぇ」
「カランとゼム? ま、大丈夫じゃない? カランも真面目な子だから」
「そうだな。真面目っていうか……」
「ていうか?」
「純朴でちょっと心配になるな」
「そこはリーダー、あなたの手腕に掛かってるのよ」
「おいおい。そんな頼られても困るぜ」
ニックがやれやれと肩をすくめながらタオルで汗ばんだ体を拭った。
屈強な戦士のような野太い体ではない。
だが脂肪の少ない、引き締まった体だ。
傷痕も多い。
たゆまぬ鍛錬と冒険の成果と言うべきものがあった。
ティアーナは何となく見つめるのが失礼な気がして、あさっての方を向く。
その間にニックは汗を拭き、上着を羽織った。
体の熱が引き、ニックは少しばかり寒さを感じ始めていた。
そんなとき、ティアーナがぽつりと尋ねた。
「あのさ」
「なんだ?」
「あのクロディーヌっていう娘のこと、まだ好きだったりする?」
「んなわけねーだろ! 怒るぞ!!!」
「あ、やっぱり怒る?」
「ぼったくられて見下されて、怒らないわけがねえだろ。あいつと付き合ってた過去そのものを消し去りてえよ……。ティアーナは違うのか?」
ティアーナも、ニックと似たような経験がある。
恋人と思っていた男が別の女と手を取り、自分を陥れた。
そんな暗い過去だ。
「うーん……。私の場合、怒ってると言えば怒ってる。目の前にいたら何をするかわかんないし」
だがティアーナの目にあるのはからっとした怒りであって、粘度の高い執念とは違っていた。
「だけど過去を消し去りたいとか、地の果てまで追い詰めてブッ殺そうとまでは思わないのよね」
ニックは、「いや普通そうだろ」とは言えなかった。
ティアーナは真剣に語っていた。
「罠に嵌めたことは絶対許さない。私だけじゃなくて、学校の先生にまで迷惑が掛かったし、そのことについてはいつか絶対に後悔させてやるって思ってる。ただ、誰かを好きだったってことはあんまり後悔してないのよね……というより」
「というより?」
「私、何かに熱中してないとダメなのよ。恋愛だったり、遊びだったり、冒険だったり。多分、学校を卒業してアレックス……ああ、元婚約者のことよ。その人と結婚して奥さんになっても、何処かで飽きて家出するとか無茶してた気がするの」
「それはなんかわかるな。ティアーナ、お前は若奥様なんてガラじゃねえよ」
「ちょっと、その言い方はないんじゃないの?」
「え、いや、自分で言ったんだろ!?」
「そこは「そんなことはないよ」とかおだてておくものよ。ともかく、真面目な話なんだけど」
「お、おう」
「私は、あんたの元カノが気に入らない。その隣でにやついてた虎男も大嫌いね。だからあの場で啖呵を切ったのよ。ニックのためってわけじゃない。私がそうしたかったから、そうしただけ」
「そこまで清々しく言われると逆に気持ちが良いな」
「でしょう?」
「オレも多分、お前の元彼を見たら殴りたくなるだろうな」
「殴りたい顔してるわよ。だからさ」
「だから?」
「あなたも、やりたいことをやりなさいよ」
「やりたいこと、か」
「もちろん、いけ好かない奴を殴るとか、博打をするとか、吟遊詩人の演奏を見るとかもやりたいことなんだろうけど、それだけじゃなくて。生きる道しるべみたいなものって、何かあるじゃない?」
そう言われてニックが思い出したのは、前に在籍していたパーティーのことだった。
「……道しるべ、か」
「そうそう」
「ティアーナは何かあるのか?」
「私? そうねぇ……賢者になることかしら」
「賢者?」
「魔術師として、学者として、両方で認められると賢者って称号を魔術師協会からもらえるのよ」
「へぇ……S級冒険者みたいなもんか?」
「そうね。まあ国から俸給が出るわけでもないから名誉資格みたいなものだけど。でもそれがあればどんな研究所にだって就職できるし、王侯貴族と直接面会できる権利も出るし。狙ってる人が多いのよ」
「今も狙ってるのか?」
「とりあえず、冒険とギャンブルの合間に論文でも書いて出そうと思うの。魔術師協会で認めてもらえる可能性がほんのちょっとはあるし」
「すげえな……天上の世界だよ」
ニックが感嘆の溜め息を漏らした。
「なによ、S級冒険者だったらあなたにも可能性あるじゃない。知ってる? A級以上は爵位が与えられるからあなたも貴族になれるのよ」
「ああ、そりゃ知ってる。俸給は無いけど、迷宮都市ならデカい顔できるぜ。名士様みたいなもんよ」
「なんだ、知ってたの」
「ああ。でもそれ以上に、A級とかS級とかってのは、ヒーローなんだ」
「ヒーロー?」
「普段はすげえ強い冒険者ってだけで、C級やD級の延長だ。でも瘴気が大発生して魔物が溢れたときは、A級以上の冒険者は率先して魔物を討伐するんだ。あるいは賞金首の大悪党を捕まえることもある。迷宮都市の人間はみんなそいつらを尊敬してる。まさにヒーローさ」
「詳しいじゃない。……もしかして、A級冒険者目指してるとか?」
ティアーナの言葉に、ニックは寂しそうに首を横に振った。
「……いや、オレ自身は別にそういうつもりじゃなかったんだが」
「だが?」
「オレさ、古巣のパーティーのランクを上げたかったんだよ。全員熟練の戦士で、決して夢じゃなかった。魔術師が居ないと攻略不可能って言われるような迷宮でも、力業で乗り切っちまうような連中でさ」
「……うん」
「だから、ちゃんとやることやればA級だって、もしかしたらS級さえ行けるかもしれない。そのくらい強かった。リーダーを、もっと世間から評価されるようになって欲しいって、そう思ってたんだ」
気付けばニックは、普段のような蓮っ葉な言葉遣いが消えていた。
「オレの親は行商人で、町から町へ旅をしてたんだ。物心ついたときはずっと色んなところを歩いてた。でも盗賊に襲われて親父もお袋も死んじまった。そんなときに盗賊を倒して助けてくれたのがアルガス……武芸百般のリーダーだ。その後も、何にもできないガキのオレに冒険の仕方とか戦い方なんかを教えてくれた」
「そうだったの……」
「それで、恩返ししたかったんだよ。オレなら武芸百般に足りないものを補えると思った。つーか実際に補ってたと思う。けど……」
その先の言葉を、ニックは言わなかった。
「……じゃあ、後悔してる?」
「後悔?」
「そのアルガスって人のために頑張ってたこと。何もしない方が良かった?」
「いや……どうだろうな」
ニックは難しい顔をして、そして間を開けて首を横に振った。
「独りよがりだったのかもしれないけど、何もしなかった自分ってのは、よくわからない。すれ違ってたとか追い出されたとかは結果論で、オレにとっては誰かのために何かをやるってのが、必要なことだったんだ」
「そう」
「ま、今となっては、あいつらを見返してやる! って気持ちだけどな。あの恩知らずのアホが後悔する日が楽しみだっつーの!」
ニックはそう言って笑った。
ティアーナは、それを見て微笑んだ。
「良いじゃない。見返してやるってのも大事よ。あなたがA級とかS級の冒険者になって、オレの方が正しかっただろって、上から見下ろしてやれば良いわ。あなたが街のヒーローになるのは、とっても面白そうよ」
「……それも気分が良いな」
「その意気よ」
「んじゃ、お前にもビシバシ働いてもらうからな」
「はいはい。でも今回の決闘はあなたが主役よ。頑張りなさいな」
ニックは痛いところをつかれたとばかりに、明後日の方を向いて頭をかいた。
ティアーナは、微笑ましい気分でそれを見守っていた。




