さんすうベアナックル 5
冒険者ギルド「フィッシャーメン」の裏通りは人の気配が少ない。
冒険者同士でケンカが起きたときは、ギルドの外に出るのが不文律だ。となると、自然とこの裏通りに行き着く。逆に言えばここにみだりに出入りするとトラブルを起こしている奴と見られかねないため、冒険者は好き好んで立ち寄りはしない。ニックは周囲に誰か潜んでいないか耳を澄ませて確認しつつ、小さく拳を握り、開き、殴る準備を始めた。
そして、レオンがニックの10歩先を歩いたあたりで振り返った。
「このへんで良いな」
レオンが言い、ニックが頷く。
そしてニックが拳を構えた瞬間、
「いやあ! この間は悪かった! 謝る!」
「……はあ?」
びしりとレオンは頭を下げた。
ニックは呆気にとられてその姿を見ていた。
「いや、正直あんたを舐めてたぜ。クロディーヌがお前のことを大したことないとか言うから侮ってたが、すぐにパーティーを作って稼ぐなんてそうそうできるもんじゃねえ。人を集めて働かせるってのは一筋縄じゃいかねえもんだからな」
「……はぁ」
「それに、クロディーヌの奴に釘を差してくれて助かったんだよ。あいつもはしっこいというかずる賢いっつーか、油断するとこっちも騙されちまう」
「……そうかよ」
レオンは先程までの凶相など忘れてしまったかのように馴れ馴れしく近づき、撫でるような手つきでニックの肩を叩いた。
「それでな、ちょっと提案があるんだよ」
「提案?」
「クロディーヌは、そうだな、お前にやるよ」
その、あまりにも予想外な言葉にニックは呆気にとられた。
「何を言ってやがる……?」
「いやまあ、あいつもイイ女だ。だがそれ以上に悪いオンナだ。わかるだろ? 遊ぶにしても、一緒に仕事するにしても、限度ってもんがある」
「……」
「騙した人間も多いし、あいつを恨む奴も増えた。お前もそうだろう? 俺もあいつと組んでそれなりに美味しい目を見たが、そろそろ潮時ってやつだな。いっそのこと、全部バラしてあいつには恨みがある人間に引き渡そうと思うんだよ」
「……つまり、オレにクロディーヌを買えってか?」
「俺を訴えないって証文を書くなら幾らでも協力してやるよ。面白いだろう?」
「……馬鹿馬鹿しい。今時奴隷商売なんぞに手を出す奴がいるかよ。だいたい、悪党が持て余すような悪党なんざ飼えるわけがねえだろう」
「別に、飽きたら娼館にでも売れば良い。それによぉ」
「なんだ?」
「あの竜人族の娘や貴族みたいな小娘、世間知らずそうな神官。あいつらを仲間にして活動してるんだろ? 俺はわかってるぜぇニックちゃんよ」
「何の話だよ」
「竜人族の娘は騙されたアホだろう、サバイバーとか呼ばれちゃいるが」
「……」
「他の二人も街のことをよくしらねえお上りさんだろう? お前も悪い男だなァ?」
「だからなんだよ」
「おいおい、しらばっくれんなよ。オレやクロディーヌみたいに、あいつらも騙して美味い目を見ようとしてるんだろう? オレにはわかるぜ、お前の気持ちが。一度騙されて痛い目を見たんだ、まさか純真な気持ちで人助けしてやろうなんざ思うはずがねえだろう?」
「あー、うん、なるほどな……っははは……」
「あっはっは! だよなぁ!?」
「あーっはっはっ! いや、面白くって腹が痛いぜ……はは……」
「つーわけでニックちゃんよ。俺にも一枚噛ませてげぶぁ」
レオンが言いかけた言葉は中途半端に途切れた。
顎を殴られ、吹っ飛び、裏路地の壁に叩き付けられた。
「もういっぺん言ってみろこのゲス野郎!」
「てっ……てめえ、ふざけんなよ! 人が優しくしてやりゃあつけあがりやがって!」
よろめきながらもレオンは怒号を返した。
唇を切ったのか、血がしたたっている。
「優しくだぁ? お前、クロディーヌを売るなんて嘘だろう? オレが羽振り良さそうに見えたからもう一回カモにしてやろうとか考えてるんだろうが。見え透いてんだよドサンピンが」
「へっ、そうやって騙されないよう縮こまってるのは弱い奴のやり方だぜ。あーあーイヤだねぇ、背丈も心もチビな野郎は!」
「ハッ、信じてもらえると思ってんのかよおめでてーな。それにクロディーヌを売るって話が仮に事実だとしてもオレはお前をブン殴る方が気持ち良いね。つーかお前、本当に虎人族か? 竜人族より全然弱いぞ」
そのとき、レオンの目に殺気が宿った。
腰に手を回し、曲刀をすらりと抜く。
音もなくニックの懐に飛び込んだ。
速い。完全に殺す動きだ。
「なっ!?」
だが、ニックもいつの間にか短剣を抜き払っていた。
剣と剣のぶつかりあう不快な音が響く。
「ちっ、なんで獣人並に反応が早いんだよ……大人しくやられとけ……!」
「手前こそ、オレに一対一で勝てると思うなよ」
「パーティーをクビになった貧弱坊主がほざくんじゃねえ!」
その言葉が終わる頃にニックの前蹴りがレオンの腹に襲いかかった。
だが、再び金属どうしがこすれる音が鳴る。
「くそっ、腹に何か仕込んでやがるな」
「てっ、てめえこそ脚に何を仕込んでやがる……!?」
ニックの足先に残った感触は鉄だった。
鎖帷子などではない、鉄板か何かで守っている。
お互いがお互いを「周到な奴だ」と警戒する。
両者の距離が再び、十歩分離れた。
「ふッ!」
今度はニックが先に動いた。
まるで地を這うがごとく低い姿勢で突っ込む。
「くっ!」
短剣を防ぎきれないと判断し、レオンは一歩下がった。
だがニックはまるで蛇の如くレオンの下半身を絡め取った。
「なっ……!?」
気付けばニックは、短剣を仕舞って両手を自由に操っていた。
タックルの要領でレオンを地面に引き倒し、曲刀を持つレオンの右手を膝で封じた。
「悪いな、オレぁつかみ合いの方が得意なんだよ」
「……へっ、そうかよ」
レオンが奇妙な笑みを浮かべた。
そのとき、ニックの背中にぞわりとした悪寒が走った。
「《風塊》!」
「ぐあっ!?」
空気を圧縮した塊が、ニックの背中に襲いかかった。
ニックはすんでのところで横っ飛びに避けようとするが、完全には避けきれなかった。
バランスを崩しながらもニックは距離を取る。
「危ねえ危ねえ。まさかお前がマウント取られるなんてな」
「ベッグ、ナイスタイミングだぜ」
ニックの背後から襲いかかったのは、魔術師の風体の男だ。
見覚えがある。
クロディーヌと別れ話になったとき、自分の背後を取った男だった。
「てめえ……! 二人がかりとはどういうつもりだ……!」
ニックは、完全に不意打ちを食らった形だった。
周囲の警戒を怠ったつもりは無かった。
だが現に、味方が現れた。
ひやりとしたものがニックの背中につたう。
「へっ、不意打ちを食らうお前が間抜けな……」
そう言いかけたベッグの首に、凶悪な指が絡みついた。
「不意打ちを食らうのが、なんだっテ?」
「……ぐ……あ……がっ……」
そこには、怒りに目を燃やしたカランが居た。
男の体を簡単に持ち上げる。
「カラン! すまん、助かった!」
「だから言っただロ……もう」
カランが、はぁと溜息をつく。
だが、ここで終わりでは無かった。
ベッグと喚ばれた魔術師はともかくレオンの闘志は失われてはいない。
このまま続けば、どちらかが死ぬ可能性がある。
そんな予感がニックの頭に過ぎった、そのとき――
「そこまでだ! この馬鹿どもが!」
老婆の怒号が、全員の動きを止めた。
「げっ、ババア……!?」
「だからヴィルマさんとお呼びって言ってるだろうが阿呆が!」
「いてっ」
ヴィルマが投げたペンがニックの額にあたる。
避けるとそれはそれで機嫌を悪くしそうな気がして、あえてニックは動かなかった。
「けっ、可愛くない坊やだねぇ。人の顔色うかがって避けもしないなんて」
「んじゃどうすりゃ良いんだよ!」
「決まってんだろう。下がりな」
「……すみません」
ニックは渋々頭を下げて構えを解いた。
「レオンと言ったね、あんたもだよ。あとカラン、その馬鹿を離してやりな」
「……ちっ」
レオンが悔しそうにヴィルマを睨むが、結局大人しく曲刀を鞘に納めた。
ギルドの職員を敵に回す厄介さは、ニックもレオンもよく知っていた。
続いてカランが、興味なさげに男の首から手を離した。
ベッグはむせながらもレオンの方に逃げるように駆け寄った。
「……それで、どうするんだい?」
「はあ? 止めに来たんじゃねえのかよ」
「あたしが止めに来たのは真剣での殺し合いさ。武器を使わないとか、ルールを決めるなら止めるつもりはないよ」
このヴィルマの言葉に、レオンがにやりと笑みを浮かべた。
「……そうだな、こんな喧嘩じゃなくてルールを決めて決闘と行きたいところだ。ここはフィッシャーメンの流儀に習おうじゃねえか」
「流儀だと?」
「ああ、ニックちゃんはやったことないのか? だったら教えてやるよ」
にやついたレオンの顔をニックが睨みつける。
だがレオンは意に介さず言葉を続けた。
「算数ベアナックルだ」
その言葉が出た瞬間、沈黙が降りた。
そしてしばらくして、ニックがあきれた顔で沈黙を破った。
「……なにそれ?」
「そういう勝負があるんだよ! 本当だ!」
ニックのあからさまにげんなりした顔に、レオンが苛立った声を上げた。




