さんすうベアナックル 1
書き溜め減ってきたので3日に1回更新になります。
つまるところカランが安宿に固執した理由は、ドレスコードのある料理屋に入るため、もう少し良い服を買う資金を用意したい……という乙女心に見せかけた食い気100%の理由だった。
だがニック達が、「良い服を買っても安宿に置いておいたら盗まれる」、「怪しいハーブの匂いがついたら服が駄目になるぞ」と脅して、ようやくカランを引っ越しに同意させることに成功したのだった。
そして今は、ニックが寝泊まりしている「サウスゲート」という宿場通りに来ていた。
このあたりの宿場の客のガラは悪いが、基本的にカタギの人間ばかりだ。
冒険者と出稼ぎの商人が半々くらいで、慣れた者には住みやすい。
ただ、余所者には少しばかり不親切だ。部屋の使い方、井戸水を使う順番、レンタルで使用できる生活用品など、無言のルールが多い。そうしたルールを利用者が守ることで宿代を安く済ませることができる。脳みそハッピーな人間が昼間からうろついているイーストブランチとはそこが異なっていた。
「つーわけでカラン、キズナ。とりあえずこの宿にしよう」
「高くなければどこでも良イ」
「我も宿代を払うのか? 剣に戻れば……」
「一日1500ディナだ。儲けたんだからそれくらいガマンしろ。あとキズナ、人間の体になるのに負担が無いならできるだけ維持しといてくれ。消えたり現れたりしたら変に思われる。ギルドの連中に怪しまれたくない」
「仕方ないナ……」
「しょうがないのう」
そう言って決めた宿は、木造の年季の入った建物だった。
入り口の看板のペンキははげている。
だが、カランが寝床にしていた場所よりは数段マシだった。
「ここは質の割にかなり安い。ただ、3日以上の払いだけ受け付けてるから注意しろよ」
「ム……それじゃあ冒険する日と被ったらどうするんダ?」
「キャンセル料2割で返金してくれる」
「うーん……もったいなイ」
「スケジュールはちゃんと考える。それに荷物を置いといても盗難は少ない。魔導具の鍵のついた箱が置いてあるからな」
「……本当!?」
「本当だよ。それにここを利用するやつはほとんど中堅の冒険者だから、あからさまに泥棒目的の奴はそう簡単には入って来られない。逆に叩きのめされるからな。下手な高級宿より安心だぞ。どうだ?」
「べ、別に嫌だとは言ってなイ」
むしろカランは、その気遣いがありがたかった。
しかもニックは、恩に着せて何かを要求したことがなかった。
冗談交じりに感謝しろよとは言うが、本気で束縛しようとするのは宿選びくらいのものだった。
カランは、ニックのことを尊敬の目で見ていた。
この迷宮都市に来て憧れた存在が一人飯のフィフスだとしたら、ニックは兄貴分のような存在だ。
「じゃ、ここにするか。それとカラン、夕方にオレの部屋に来い」
「……え?」
兄貴分のはずだが、カランはそのニックの言葉に激しく動揺した。
◆
その日の夕方。
カランは大人しく、ニックの部屋に来た。
「うん、そうだ。上手いぞ」
「こ、こう……カ……?」
「飲み込みが早いじゃねえか……。じゃあ、次はこれだ」
「こ、こんなに大きいの……無理ダ……」
「良いからやってみろ」
「ああッ……」
カランの声から悩ましげな溜め息が漏れた。
「も、もうだめダ……ニックぅ……」
「やれやれ、仕方ねえな。オレに任せろ……」
「う、ウン……」
「二桁の計算と同じだ。良いか。まず、9千8百ディナの剣を5振り買いました。「まとめ買いの場合、5%の割引が発生する」って書いてあるけど、一つ一つ順番に解いていけば問題無い。ますは合計の金額をちゃんと計算するんだ」
ニックとカランは、至極真面目に、算数の問題を解いていた。
本屋で買った入門書を開き、カランが茹だってしまいそうな頭を抱えながらペンを走らせている。
「なんじゃい真面目に勉強なんぞしくさって。つまらんつまらん」
そして、それを眺めていたキズナがぶーぶーと文句をたれた。
「うるせーな、ずるで計算できるやつは黙ってろ」
「ずるじゃないわい! 我の演算機能は生来のものじゃ!」
「ずるいゾ」
「カランまでそんなこと言うか、まったく。計算なんぞできなくとも生きていけるじゃろうが。我を頼れば良いのじゃ」
キズナはえっへんと無い胸を張る。
だが、
「信用できなイ」
カランは一言で切って捨てた。
「ほわっ!? な、なんでじゃ!?」
「別にお前だけ信用してないわけじゃなイ。でも、難しいからって誰かに任せきりにしたら、いつかまた痛い目を見ル」
「……あ、ああ、そういう意味か。びっくりしたわい」
「だからニックにどうしたら騙されないか聞いたんダ。……そうしたら」
カランはニックをちらりと見た。
「カランは計算が苦手だったからな、時間のあるときにきっちり教えようと思ったわけだ」
「……いきなり部屋に呼び出されるとは思ってなかったけド」
カランがほんのり顔を赤くして愚痴る。
「あ、もしかしてなんか予定とかあったか?」
「べ、別にそうじゃなイ!」
「ん? ああ、なんかすまん」
ニックはカランの動揺にも気付かずに、おざなりに謝る。
それを見たキズナが、ふぁーあとつまらなさそうにあくびをした。
「マメじゃのー。そんなに算数が大事かの?」
「計算が苦手なやつを狙って騙す野郎が居るんだよ。冒険者は孤児だとか田舎から出てきたとか、ちゃんと勉強できなかった連中がどうしても多いからな。オレもガキの頃はよく騙されたから、ちゃんと覚えねえと死活問題だった」
「悪どい連中もいるもんじゃのう」
「全員悪どい連中に騙されたクチだろうが」
「そういう心を抉る物言いはやめてくれまいか」
「オレも言ってて悲しくなってきた……ともかく大事なことだ」
「うむ。あいわかった。……じゃがそれはそれとして」
「なんだ?」
「どこか遊びに行きたいぞ。連れてゆくが良い」
「それが本音か」
はぁ、とニックが溜息をつく。
「そうじゃそうじゃ。どうせ今日も明日もヒマじゃろうが。冒険にも行かないんじゃろ?」
「まあ、雨降りそうだし2、3日は休みだな。お前を迷宮から引き上げるっつー重労働が終わったばっかりだし」
「報酬もたんまりもらったであろうが。ならば外の世界に繰り出そうとは思わぬのか。我にとって何年ぶりの娑婆と思うておる」
「んー、まあそれも悪くないか……。カラン、そろそろ休憩しないか?」
「ウン!」
カランの目が輝いた。
流石に疲れが溜まっていたらしい。
「よし。じゃ、このへんでメシにするか」
◆
ニック達三人が宿を出る頃は太陽が沈みかけ、通りを赤く染めていた。
周辺は宿の客向けの酒場が多い。
そこかしこで灯りを付け始め、呼び込みをしている。
「このへん呼び込みしてるところはハズレだから期待すんなよ。まあ、あからさまなぼったくりも無いが」
「ウン」
「なんでも良いぞ。ああ、ただし大麦や雑穀の粥は嫌いじゃ。パンか炊いた米が良い。塩っ気の強すぎる魚も避けよ」
「なんでも良くねえじゃねえかよ。んじゃ、肉にするか」
ニックが酒場通りを抜けて歩いて行く。
少し静かになったあたりの店を指さした。
「ここならうるせえ酔っ払いも少ない。昼間は喫茶店だからな」
「オシャレなところだナ」
煉瓦作りの建物の入り口に、ガラスの燭台が暖かみのある光を放っている。
扉には黒板に今日のメニューがイラストと共に軽妙な筆遣いで描かれていた。
「そうだな。だって……」
だってこの喫茶店「フロマージュ」は、クロディーヌとのデートに使った店だからだ。
「あー……嫌なこと思い出しちまった」
元カノ……もとい、美人局のクロディーヌの顔がニックの脳裏に過ぎった。振り返って思い出してみれば、あんな悪どい女に貢いでいたという過去があまりにも恥ずかしくて死にたくなる。今ではゆるふわルックのブロンドの女を見るだけで軽くイラっとする有様だった。
「どうしタ、ニック?」
「あ、いや……」
「腹が減ったのじゃ。そなたら、さっさと入るぞ」
別の店にしようか、と悩むうちにキズナが店の扉を開いた。
扉に据え付けられたベルが控えめな音を立てる。
「いらっしゃいませ」
「あー……三人だ」
「どうぞこちらへ」
給仕の男に案内されてテーブルに通される。
クロディーヌと来たときにいつも見かけた店員の青年だ。
違う女を連れていても驚いた様子も見せない。
それがありがたかった。
「ほうほう。メニューも豊富じゃのう。我、ふわとろデミグラスオムライスを所望する」
「早いなお前……。つーか意外と娑婆の知識あるんじゃないか」
「知識だけはあるぞ。冒険者ギルドの通信宝珠をちょいちょい傍受しておったし」
「程々にしろよ。カランはどうする?」
「太刀魚のポワレ、柚ソースがけ。付け合わせはクスクスが良イ。葡萄酒は店員にお任せで」
「……お前本当にグルメだったんだな。つーか太刀魚ってどんなのだ? 食べたことねえや」
「海に棲む細長い白身魚だゾ。味はそんなに濃くなイ。南方料理好きなら薦めるが、そうじゃないなら面白みは感じないカモ」
「へぇー……つーかここ、海の魚食えたのか」
クロディーヌはわかりやすい見た目の料理しか食べなかったな。
そのときとはまったく違う料理を頼んで、昔の印象を消すのも悪くない。
ニックはそう思って、カランと同じものを頼むことにした。
店は混んでいないせいか、軽い談笑をしているうちに料理がテーブルに届く。
「どうだ、美味い……カ?」
ニックが一口食べたあたりで、カランが妙に不安そうに尋ねてきた。
「なんでお前がおっかなびっくりなんだよ」
「だ、だって、人に料理薦めるの……初めてダ」
「ああ、美味いよ。お前の舌は確かだな」
口当たりは確かに味が薄いと感じたが、ゆっくり味わってみると繊細な味わいが広がる。香りも良い。前に来たときは、目の前に居る人間を喜ばせようと上滑りしていて、こうして味わう余裕も無かったなと、ニックは自嘲した。
「そうだゾ。ワタシはグルメだからナ!」
「まったく、食費のかかる奴め」
カランのにこやかな笑みが、ニックのもやもやとした気持ちを晴らしていった。




