魔術師/婚約破棄された元貴族令嬢/博打狂いのティアーナ 1
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◆魔術師/婚約破棄された元貴族令嬢/博打狂いのティアーナ
この国……ディネーズ聖王国の貴族学校では様々なことを学ぶ。
礼儀作法。
馬術。
剣術。
法学。
哲学。
数学。
歴史。
詩歌。
美術。
だがこの学校で本当に重要視されているのは、
「【雷光撃】!」
魔術だ。
朗々として凜々しい声が貴族学校の魔術の練習場に響く。
そして呪文が空にまで響き渡った瞬間、突然暗雲がたちこめて稲光が落ちた。
どぉんという轟音と激しい閃光。
見物していた教師達が、感嘆の溜め息を漏らした。
「……すばらしい。流石は名門エレナフェルト家」
「水魔法、風魔法ともに熟達していないと唱えることさえできない上級の雷魔法を、ああも自由自在に操るとは」
「女の身に生まれたことが惜しまれるな……」
魔術とは数学、哲学、歴史等、あらゆる学問に通じる総合分野だ。
ただその日を刹那的に生きるための傭兵や冒険者のための武器ではない。
貴族出の魔術師達は、そういう自負を持っていた。
そして今、【雷光撃】の魔法を唱えたティアーナも、自分の魔術に誇りを持っていた。
「……立身出世のためではありませんわ。
私はただ、自分の研鑽のために魔術を学んでいるのですから」
ティアーナは、自慢の栗色の髪をなびかせながら言った。
同い年の少年少女よりも頭半分ほど背が低く、顔も整ってはいるがどこか幼さが残っているティアーナだが、それでも胸を張って堂々と賛辞に答える姿は威風堂々としていた。
「流石です。あなたの腕前と崇高な意志こそ我が校の誇りですよ」
「ありがとうございます、ベロッキオ師匠」
ティアーナは師匠に感謝を述べつつも、少しばかり罪悪感があった。
魔術を自分の研鑽のために学んでいるというのは、半分だけウソだった。
ティアーナにはもうひとつ、大事な目的があったのだ。
「あなたは十分に卒業要件を満たしています。
今日の試験はここまでとしましょう。
お疲れ様でした、ティアーナ」
「はい!」
そしてティアーナはベロッキオに丁寧に頭を下げ、そしてうきうきした気分が表に出ないよう表情を引き締めて練習場を去った。
次に向かう場所は、決まっていた。
貴族学校を出て、王都の貴族向けの喫茶店へと向かった。
華やかな石畳の道路を歩いていくと、香しいコーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。
そこは、ティアーナの想い人の行きつけの店だった。
扉を開けると、扉に付けられたベルが小気味よい音を鳴らす。
うきうきとした気分を祝福してくれるようだ。
「いらっしゃいませ」
「アレックスはいるかしら?」
「あ、ええと……」
店員が口ごもる。
「いるのね」
「あっ、お客様……!」
どうせいつもの場所だろう、とティアーナは見当を付けた。
アレックスは、この店の二階の席を気に入っていた。
ほぼ指定席のようなものだ。
「……アレックス!」
ティアーナは階段を上ると、窓際で談笑する男に声を掛けた。
また女の子に声を掛けられている。
どうせアレックスの顔と立場だけが目当てのつまらない女性だろう。
話しかけるまでもない。
「やあ、ティアーナ……元気そうじゃないか」
「うん? どうしたのアレックス。妙に楽しそうだけれど」
アレックスは、ティアーナの婚約者だ。
男爵家の跡取りであり、ティアーナと同じ学生だった。
女性のように繊細な金髪に、少女と見紛うほどのきめ細やかな肌。
そんな美貌の持ち主が婚約者であることを、ティアーナは密やかに自慢に思っていた。
ただ、最近の彼は学校をサボって喫茶店やサロンにたむろしていることが多かった。
アレックスの、「こうしてコネクションを作るのも大事なんだよ」という言葉を信じて、あえて苦言は呈すことはなかった。事実、彼の周りには多くの人間が集っていたのだから。
……その中に、同世代の女性が多いことについては苦言を呈してはいたが。
だがティアーナには、自分こそが婚約者であるという自負と、見かけの魅力などではないアレックスの本当の良さを知っているという優越感があった。
だから、アレックスがどんな女と話していようが不機嫌になどならない。
「むしろキミの方こそ元気だな。意外だよ」
「意外? なんのこと? それより聞いてよアレックス」
「なんだい、また素晴らしい魔術を唱えて先生達を驚かせたのかい?」
アレックスの皮肉げな口調に気付くことも無く、ティアーナは
「その通りよ!」
と言った。
「私の年齢で、それも女性で【雷光撃】を唱えたのは初めてだって、ベロッキオ師父が喜んでくれたのよ。一年飛ばしで卒業もできるわ!」
「へえ……」
「だから、あのね、アレックス……」
ティアーナは、照れながらもアレックスの隣に座った。
「はぁ……来ていきなり自慢話をなさるなんて。
もう少し気品というものを身につけてはいかがかしら」
長い黒髪の女が、皮肉げな微笑みを浮かべながらティアーナに話しかけた。
ティアーナはようやく、そこにいる人間を視界に入れた。
「……私、アレックスに用があるのだけれど」
「そのアレックス様が私と話していたのが見えませんの?
そんな風に男の人を困らせるのは淑女としてどうかと思いますわ」
「ちょっとアレックス。この子、帰らせてくれる?」
アレックスは眉間を手でおさえ、溜息をつく。
「……やめてくれ。他の客や店員に迷惑だろう」
「だ、だって……」
「だってじゃない!」
アレックスがこんな風に声を荒げている姿を、ティアーナは初めて見た。
「ア、アレックス……?」
「君はいつもそうだ……。
僕のことなんてちっとも見ていない。
猪突猛進にしても鈍すぎるんじゃあないか?」
「どういうこと……?」
「その魔術自慢だよ! もうウンザリなんだ!」
ティアーナは、思わずよろめいた。
魔術の腕を妬まれることは何度もあった。
女だてらにでしゃばって、などと言われることもあった。
だがそれもこれも、愛しい婚約者のためを思えばこそ我慢できたことなのに。
「な……なんで……? 僕は魔術師になるから手伝ってほしいって言ったのはあなたなのに……。私は、あなたのために」
がんばったのに。
ティアーナのか細い声は、アレックスの金切り声が打ち消した。
「僕のために頑張るって? ちょっとは頭使って加減してくれ! きみが一番になって僕がどれだけ影でバカにされてると思う! もう少し加減しろよ! ぼくの生活に役立ってぼくの名誉が傷つかない範囲でほどほどに頑張れば良いってことくらい、空気を読めばわかるだろう!?」
「ちょ、ちょっと待って……どうしたのよアレックス……」
そこで、くすくすとささめくような笑い声が聞こえた。
ティアーナは、きっとその笑った人間の顔を睨みつける。
「あら、怖いですわティアーナ様」
「……まずは声を掛ける前に名乗ったらどうなの?」
「ふん、本当に他人に興味がありませんのね……高慢だこと。
ま、良いでしょう。私はデルコット家の長女、リーネと申します」
「……ああ、思い出したわ。最近学校に来た成り上がりの小娘ね」
デルコット家とは元々商家である。
竜を用いた陸運、海運で大きな利益を生んできた。
三代前まではただの庶民だったそうだが、迅速な輸送が国に利益をもたらしたと認められ、今や男爵の位を手に入れた。
最近は金融業にも手を染め始めた。金に困った貴族に大盤振る舞いをしており、高位貴族でさえ油断ならない力を持っている。その影響力は貴族学校にも及び、多くの貴族子女がリーネに弱みを握られていた。
ティアーナは、リーネと会話を交わしたことはない。
だが顔と名前を知らないわけでは無い。
無視したのはせめてもの嫌味だった。
どうせアレックスの婚約者は私だ。
こんな成り上がりの女にアレックスが本気になるわけが無い。
……そう、思い込んでいた。
「あら怖い……」
「ティアーナ! そういう口の聞き方はやめてくれ!
リーネはただでさえ根も葉もない噂を受けて困っているというのに……」
「根も葉もない、ですって?」
ティアーナは知っていた。リーネが自分の家の権勢を振り回し、多くの学生達を召し使いのように扱っているのを。もはや公然の秘密とさえ言って良い。事実、ティアーナは困り果てた同級生から相談を受けている立場だった。
「ああ、僕は彼女の相談を受けていたんだよ。嫌がらせを受けているとね。しかも……」
苦しい溜息をつくアレックスの手の甲に、リーネが手を重ねた。
「ティアーナ、君がその嫌がらせの犯人だなんて」
「はあ!?」
ティアーナは、思わず素の驚きが出た。
その驚きの顔を見たアレックスとリーネは、にたりと笑った。
「君が権勢を振り回して多くの人間を取り込み、リーネの罪を捏造しようとしたことはわかっている」
「そうよ。そこで救いの手を差し伸べてくれたのがアレックス様なの」
ぎり、とティアーナは歯を食いしばった。
「それにティアーナ様、あなたには学園の教官達を誘惑したのではありませんの?」
「な、なんですって……!?」
ティアーナは、リーネを射殺さんばかりの目で睨み付けていた。
「わかっているの? あなた、私だけじゃなくて学校そのものを侮辱したのよ」
「はぁ……わかってらっしゃらないのはそちらよ。女を主席にするような人達に何かあったと思うのが常識的な物の考え方というものよ」
「……出るところに出て、白黒つけたいのかしら?」
名誉を重んじる貴族社会において、こうした侮辱はれっきとした犯罪となる。
ティアーナの言葉は脅しでも何でも無い。
裁判を申し立てることは十分にできる。
だがリーネは、ティアーナの言葉を聞いて艶然と微笑んだ。
「ええ、大歓迎ですわ。もっとも、その前に学校の教師達が先に白旗を揚げるでしょうけれど」
「……どういうことよ」
ティアーナの顔に、困惑が広がった。
どうせはったりだ。
ティアーナはそう思い込もうとした。
だが目の前に居る女は、多くの人間の弱みを握り、陥れてきた。
そして今、ティアーナの悪い予感に答えを出したのはアレックスだった。
「ティアーナ。この学校の教師陣は賄賂を受け取って入学試験の合格者や生徒の成績を操作した疑いが掛かっている。そして君もそこに賄賂を贈り誘惑をかけた疑いがある」
「そ、そんな馬鹿な話……!」
「だから僕は君との婚約を破棄するつもりだ……二度と僕の前に姿を見せるな!」