悪癖の栄え 2
「いけ! まくれ! メテオアロー! まくれ!!!」
ティアーナは竜券を握りしめて叫んだ。
冒険の最中でも見せないほどに血走った目で、竜を応援していた。
だが、競竜場にいる観客は全員そんなものだ。
ティアーナの声は周囲の歓声と一体となって、トラックを走る竜達に熱気となって伝わる。
その熱気を感じたのかどうなのか、メテオアローは咆吼した。
黒光りする鱗に覆われた後ろ足が躍動的に大地を蹴る。
コーナーを大回りしながら前に居る竜をどんどん抜いていく。
最後の直線にさしかかる頃には2着についた。
メテオアローは出足を残していた。
ますます加速し、そして……
「メテオアロー1着! メテオアロー1着! 逆転だ!!!」
「っしゃオラ!!!」
ティアーナは叫んだ。
ここぞと決めたレースだった。
晴れの日が続き、乾燥しきったダートコース。
ゴール前の大きなコーナーと、少しだけ傾斜の付いた直線。
ティアーナの独自の研究は、メテオアローの絶対的有利を弾き出した。
「あっはっは!!! やった、やったわ!!!」
「おお、嬢ちゃん調子良いな。ちょっとその幸運わけてくれよ」
「あら、タケじい。ひさしぶりね」
話しかけてきたのは、競竜場に出入りする予想屋のジジイだった。
本来は競竜場から叩き出される職業だが、年がら年中予想屋をしているわけでもなく、たまに解説めいたことを言う程度であるため見逃されていた。ティアーナのデータに基づいた予想を興味深く思い、気付けば二人は競竜友達となっていた。
そのジジイが紙巻煙草を手で揺らしているのを見て、ティアーナは指をぱちりと鳴らした。《着火》の魔法が発動し、紙巻煙草に火が灯される。
「ふう、美味えな」
「どうしたのよ紙巻煙草なんて。けっこう高いんじゃないの?」
「予想の代金にもらったんだよ、吸うか?」
「……吸い出したらちょっとハマりそうで怖いわね。それにパイプ派だから別に良いわ」
「手入れが面倒くせえじゃねえかよ、パイプは。……んで、最近見なかったがどうしたんでえ?」
「真面目に仕事してたのよ」
「ほーう、仕事見つかったのかい」
「冒険者よ」
「へえ、嬢ちゃんがねぇ……いや、割と似合うな?」
「何よ、貴族サマに向かってその口は。ま、今の方が楽しいけどね……冒険して競竜する生活、けっこう性に合ってるわ」
「へっ、そりゃ何よりだ。でも仕事が上手く行ったからって調子に乗るとまたスッちまうぜ?」
「大丈夫よ。ちゃんと趣味の範囲でやるようにしてるから」
とはいえ、ティアーナはちょっと浮かれていた。
このレースに勝って儲かった分を再び竜券につぎ込んだって大丈夫だろう、と。
多少の利益は確保しておくことを忘れてしまっていた。
まあ、家賃や生活費、冒険などにあてる金は置いてきたため、また博打で金を失って生活に困る……ということは避けられそうだった。ちょっとだけティアーナは学習したのだ。
だがそれゆえに、ティアーナは安心して目の前のレースに熱狂した。
ティアーナの魂は、燃えていた。
◆
冒険者ギルド、フィッシャーメンの近くに、酒場通りがある。
そこは冒険者向けの酒場や屋台が建ち並び、夕方から夜にかけて大きな賑わいを見せる。
カランはそこを通り抜けて歩いて行く。
どんな繁華街でも、パッと見ではわからない隠れた店があるものだ。
名物やセールなどでひけらかすことなく、奥まった場所で営業しているのに、不思議と営業をずっと続けている店が。
カランは、そんな店のドアを開いた。
「……いらっしゃい。一人かい?」
カランは、仏頂面の男の店員に小さく頷く。
ぶっきらぼうな態度のまま「カウンターに座りな」と案内される。
店内は古びているが、そこまで不衛生ではなかった。
樫の木のカウンターは傷が目立つが、汚れは丁寧に拭いているようだ。
カランは満足しつつ、座席に座る。
「酒は?」
「ぶどう酒で良イ」
「あいよ」
このあたりの飲食店で出るぶどう酒は、茶の代わりだ。
そもそも迷宮都市の周辺では気候的に茶を栽培するのが難しく、茶の方が高い。
食前に薄めたぶどう酒を出すのが、ごく一般的な飲食店の流儀だ。
「ほらよ。飯は何を頼む?」
店員はグラスではなく、木のカップでぶどう酒を出してきた。
ぞんざいだが、気取っていない空気は居心地良くもある。
「山猪の焼き飯」
「あいよ」
この店は、野生の獣の肉を使う料理屋だった。
冒険者の間ではあまり好まれない。
迷宮探索のついでに狩った獣肉より、迷宮都市内で出回る食肉用の豚の方が遥かに美味いからだ。
半分は正解だ。だがもう半分は、専業の狩人でないために正しい捌き方を知らないがゆえの誤解だった。
この店は、そうした風潮が気に入らない冒険者が趣味で開業している料理屋だ。だが料理の腕前はプロ並だ。贅を尽くした美食とは少し違うが味は確かで、まさに通好みの店だった。一人飯のフィフスが出入りしているという噂もある。
(……ちょっと匂いが独特だナ)
獣臭が混ざりつつも香ばしい匂いがカランの鼻孔に届く。
そして、それはすぐに丼に入れられた形でカランの元に差し出された。
「焼き飯、お待ち」
香辛料で黄色く染められた、さらさらとしたインディカ米、香味野菜、そしてごろごろと入った肉が皿の上に鎮座していた。米料理はカタナなどと共に南方から伝来したものが多いが、この料理は西方の遊牧民から伝わったものだ。味わいが少しばかり南方風とは違っている。そして皿の隣にはスープが添えられている。骨から出汁を取り、ネギだけを具にしたものだ。
まずは一口、匙ですくい頬張る。
(美味イ……)
肉は脂身が少ない。そして旨味が強い。
特徴的な味わいだが、スパイスの効いた米、酢漬けのショウガや干しブドウと言った個性の強い具と共にかみ締めると不思議と調和した味わいになる。そして、一人で食べる飯を邪魔する人間は何処にもいない。これは、当たりの店だ。カランはつかの間の自由と快楽を、存分に堪能した。
◆
「あらーゼムちゃん、久しぶりね。でもそろそろ真面目に働いた方が良いんじゃない?」
酒場の女、メリッサは嬉しそうにやってきたゼムに声を掛けた。
「大丈夫、真面目に冒険者の仕事をしてきましたよ」
「本当にぃ?」
ゼムは、行きつけの酒場に久しぶりに顔を出した。顔が良く、治癒魔術は使えるものの基本的に堕落しているゼムが真面目に働いたという話は酒場の女の子達を驚かせた。事実、ゼムは迷宮都市にきてから今までの貯蓄を切り崩すだけの自堕落な生活をしていたので、メリッサは「いつか金が尽きて野垂れ死ぬんだろうな」と少々失礼なことを思っていた。
「まっとうなお金なら遠慮無くお代を頂こうかしらね。気前よく飲んでってくれる?」
「じゃあボトル入れちゃいましょうかねぇ」
「「「キャー!!!」」」
ゼムは隣にメリッサを座らせて酒をあおる。
さほど忙しくないのか、ボトルを入れるという気前の良い言葉に刺激されて暇な女達もゼムのテーブルについた。
「ねえねえ、どこに冒険行ってきたの?」
「わたしも聞きたーい!」
「おおっと、仕方ありませんねぇ子猫ちゃん達は」
そしてゼムは、自分の冒険を語った。
と言っても、自分の勇壮さをひけらかしはしなかった。
「うっかり滑って転んでしまって」、「なんとそこで、居眠りしている大鬼が居て死ぬかと思いました」、「あわや大ピンチかと思いきや……!」などと、まるで子供におとぎ話を言い聞かせるように、女の子達を楽しませた。これはゼムの手慣れたやり方だった。
元々ゼムは孤児の面倒を見ることも多く、寝る前に物語を読み聞かせるのを何度もやってきた。自分の経験談を面白おかしく語るなどお手の物だ。そして、酒場は、男の自慢話を聞くことは飽き飽きしていたが、こんな風に「まるで子供の頃のように」お話を聞くというのは意外と無かった。ゼムのどこかシニカルでひょうきんな、しかしながらまっすぐな冒険譚は、女の子達の胸をときめかせた。
「さあて、今宵はここまで」
「ええ、いいところじゃないのさ」
「さて、サービスしてくれたら話すかもしれませんねぇ」
「まったく、調子良いんだから」
メリッサはゼムの空いた杯に酒を注ぐ。
「……しかし、なんか顔つきが変わったわね?」
「おや、そう見えますか?」
「なんていうか、どっかの物好きのヒモにでもなりそうな顔をしてたけど……今は普通の顔してるわ」
「ふふっ、そうですか。褒めてもらえてるんですかね?」
「さあて、どうかしら」
そして、夜は更けていく。
だが盛り場の女と遊び人にとってはこれからが盛り上がる時間だ。
ゼムは、心の底から楽しんでいた。




