パイオニアーズ
これで四章はおしまいです。お付き合い頂きありがとうございました。
全員が満身創痍であった。
無事に下山することさえ危ぶまれたが、そこはアリスの部下たちが遅れてやってきたために何とか段取りは付いた。怪我の応急処置を行い、歩けない者は担架に乗せ、そして死んだ者は死体袋へと収められ、迷宮都市テラネへと戻った。
担架で運ばれたのはカランとベロッキオ、体力を使い果たしたニック。それに加えて、冒険者ギルドの幹部のヴィルマとその配下たちだった。全員背中に切り傷があり、明らかにガロッソの手口であった。
「みんな命は無事だよ」
「そうか……すまねえ、お前には頭が上がらねえな」
「うむ、助かる。あのままでは街に帰ることさえ難しかったからのう」
ニックたちが担ぎ込まれたのは、冒険者を専門的に見る病院だ。冒険者ギルド『フィッシャーメン』のすぐ隣にある。外傷や毒、魔術による火傷凍傷など、戦闘による負傷を専門とする治癒魔術士や医者が常に待機しているため、ここが最適と判断していた。病院の職員は幹部であるヴィルマが半死半生で運び込まれたことに血相を変え、大慌てで治療が始まった。
ニックも擦り傷まみれで体力も使い果たしたが、カランたちほどのダメージは負っておらず応急処置も済ませている。そのままベッドで寝かされ、2、3時間ほど経って目を覚ましたときには隣にアリスとキズナがいた。
「後はここの人に任せて、キミもちゃんと休みなよ。ティアーナちゃんもゼムさんも、倒れるように寝ちゃったよ」
「行くところがある」
「え?」
「後で礼は必ずする。じゃあまたな。キズナはティアーナとゼムのところに居てやってくれ」
ニックは猫のようにするりとアリスの側を通り抜け、病室を出た。
アリスとキズナが慌てて追いかけた。
「ほあっ!? 何処へ行くのじゃ!?」
「そ、そうだよ! その体でどこに行くのさ!」
だがニックは一切を無視してずんずんと歩く。
病院の外には常に辻馬車が待機しており、ニックは御者に声を掛けた。
「そこの辻馬車! 乗せてくれ!」
「へい……うわっ、旦那……。大丈夫ですかい? 病院から逃げてきたんじゃねえでしょうね?」
ニックはそこかしこが傷だらけだ。鎧を外して応急処置を受け、インナーも着替えているが、それでも満身創痍であることは隠せていない。
「『パイオニアーズ』までだ。心配すんな、金はある」
「そこの心配じゃねえんですけどね……」
「良いから出してくれ」
辻馬車の御者がニックに押し切られ、嫌そうに馬車を出した。
◆
「今年は魔物の腹ごしらえが妙ですわね。名付きの魔物も例年より数が多くて……。何かの予兆ではありませんこと?」
黒髪の美女が頬杖を突きながら、気だるげに呟く。
「ん」
その向かいに座る、これまた瓜二つの美女が小さく頷く。
「だってのに待機番だなんて、腕が鈍ってしまいますわ……。悪霊を斬るのも悪くないですが、やはり刃物は肉を斬ってこそというもの」
「待機も大事。『パイオニアーズ』、人が少ない」
「はぁ……活きの良い若者でも昇格してこないかしら」
美女が艶めいた溜息を漏らす。
所作も、溜息を漏らす唇も、蠱惑的で扇情的だ。真っ黒いカソックも貞淑や高潔を意味するはずだが、彼女が着ているだけで不思議な色香が漂う。だがその色香に惑わされる者は『パイオニアーズ』には居なかった。
彼女はC級冒険者パーティー【ゴーストハント】におけるエース、キスイ。
彼女含め【ゴーストハント】の全員、均衡神ヴィルジニ派の神官である。この国において信仰される四柱神の中で、ヴィルジニ派はもっとも武闘派だ。秩序と平和を重んじ、盗賊や魔物に襲われた人間の救済を自分らの使命としている。そのため戦闘技術の鍛錬は欠かさず、騎士団や冒険者ギルドとの交流も活発だ。
キスイたちも、神殿と冒険者ギルドとの人員交換や交流を名目として冒険者パーティーとして活動している。だがこのギルドに出入りする冒険者の誰もそんな話は信じていない。「ヴィルジニ派の中でも過激過ぎて持て余され、冒険者ギルドに左遷された」と信じられていた。
「姉様」
「なぁに、タンスイ?」
タンスイと呼ばれた少女は、キスイの双子の妹であった。髪の分け方とカタナの拵えが異なること、そして色香漂うキスイとはうってかわって静か――というよりどこか眠たげな佇まいをしている。だがそれ以外は全くと言って良いほどキスイと瓜二つであった。
「ニックいなくて寂しい?」
「はっ。あんな糞生意気な小僧、居なくて清々しますわ」
タンスイの言葉に、キスイは露骨に不機嫌になった。
「あんな間抜けな話でパーティーを追い出されて、本ッ当に情けない。頭を下げてウチに来れば雇ってあげましたのに未だに顔も見せない。野良犬だってもうちょっと可愛げを見せるものですわ」
キスイには悪癖がある。
気に入った冒険者や新参の冒険者をついつい試し斬りしたくなるのだ。
特に、『パイオニアーズ』に来たばかりの冒険者にはよく因縁を付けた。周囲もあまり止めることはない。【ゴーストハント】はC級パーティー所属でありながらも個人の実力だけで言えばキスイがA級と遜色ない実力の持ち主であり、止めることがそもそも難しい。加えて、本人なりに手加減はしているので大怪我した者がいないためだ。
また、昇格して気が大きくなっている冒険者に一種の洗礼を浴びせかける役割を持つ者もなんだかんだで必要であるので、キスイはギルド職員からもお目こぼしされていた。
それを良いことにキスイは、別に新参者でもないニックを気に入ってカタナを持って追いかけ回した。男でありながら猫のように柔軟な身のこなしはキスイを夢中にさせた。ニック本人は細く肉が付かないことを嘆いていたが、そこもまたキスイの嗜虐嗜好をそそった。
必要十分な筋肉は付きつつも無駄な脂肪はまるでない。関節は柔らかく体幹は磨き抜かれている。骨格のバランスは芸術的でさえある。まるでバレリーナのように美しい体の持ち主は、女でさえもそうそういない。そんな美しきニックへの斬撃は、キスイなりの可愛がりから求愛行為へと昇華していた。
もっともそれは本人の認識だけの話であって、襲われる側にとっては白昼堂々と刃物を振り回す狂人以外の何者でもなかったが。
「ふぅん」
「何ですの、タンスイ」
「多分、もうすぐ来るよ」
「来る?」
「また昇格してくるみたい。『フィッシャーメン』の知り合いから聞いた」
「タンスイ。あなたもう少し明瞭に説明しなさい」
妹の説明不足に嘆きつつも、キスイには何となくタンスイの意味するところがわかった。あえて注意したのは、いつもこの調子では困るという釘刺しに加えて、はっきりとした言葉で吉報を聞きたかったからだ。
だが、それが説明されることはなかった。
期待されていた当の本人が来たからだ。
ばぁん! という大きな音と共に扉が開かれる。
◆
「邪魔するぞ」
辻馬車に銀貨を投げつけ、ニックは蹴破るがごとく冒険者ギルド『パイオニアーズ』の扉を開けた。
「……ニック!」
そこにいたほとんどが、呆気にとられた様子でニックを眺めていた。
殺気立ち、まるで狂犬の如き雰囲気に息を呑んだ。
唯一喜んで出迎えたのはキスイだけだ。
声に喜悦が滲み出ている。
そして音も立てずにするりとカタナを抜く。
ぎらついた輝きが放たれる。
それを見ていたタンスイは止めようと動くが一歩遅かった。
既にニックとキスイはお互いの間合いの中にあった。
「あなた、どうやったかは知らないけど昇格してきたのね? やるじゃない。腕は鈍ってないでしょうね?」
キスイはまるで立ち話をするような自然さで語りかけると同時に、ニックに斬りかかった。
「悪い、遊んでる暇がねえ」
いつもならばニックは大仰に飛びのけたり、近くのテーブルに置いてあるコップを投げつけて上手いこと逃げる。興奮したキスイをタンスイに止めてもらったり、【武芸百般】の仲間に割って入ってもらうのが、『パイオニアーズ』に出入りした頃のニックの日常だった。
「あら……」
だが、今のニックにはここで止めてくれる仲間がいない。「まあまあ、女にモテて良いことじゃねえかよ」「傷つけられたら責任取ってくれんじゃねえか?」などとにやついて囃し立てたカタナ使いはこの世にいない。
たった数時間前。
ニック自身の手で息の根を止めたからだ。
「何よ、遊んでいきなさいよ……え?」
ニックはするりと白刃を避けてキスイの懐に入り、顎を軽く貫き手で叩いた。
タンスイが驚きの声を漏らす。
「えっ……姉様?」
ニックは壁を駆け上がったときの感覚を応用し、自分の指先で『回転』を発生させていた。その回転の衝撃はキスイの顎を伝い、脳を振り子のように揺らす。一瞬にして意識を刈り取られたキスイは、そのまま後ろから止めようとしたタンスイに身を預けるようにして倒れた。
この『パイオニアーズ』には過去のニックを知る者は何人かいる。だが彼らの知るニックは、実力派のキスイを子供でもあやすように倒せるほどの実力者ではなかった。この場にいる全員が驚愕して、言葉も出せなかった。
「おい、アルガスはどこだ」
ニックはずかずかと受付まで歩いて、職員に尋ねた。
「えっ……」
「聞こえなかったか? 【武芸百般】のアルガスはどこだって聞いてるんだ」
「きっ、聞いてないんですか、ニックさん?」
今にも人を殺しかねない殺気を放つニックに、職員の男は怯えつつも尋ね返した。
「何のことだ。だからアルガスは……」
「【武芸百般】は昨日、解散の届け出がありました」
「なんだって?」
「む、むしろ騎士団に事情を聞かれてこっちも困っていたんですよ。アルガスさんは理由も話さないし行方もわからないし……」
このときニックが抱いたのは、疑問ではなく確信であった。
ガロッソが最期に伝えた言葉が真実であることを意味していた。
『暗殺者としての腕を見込んで俺はアルガスに拾われた』
『ここ数年は休業中だっただけだ。俺も、お前以外のメンバーも……アルガスもな』
『この鎧をもらったのも単に魔神崇拝者がお得意様だからだよ』
その確信が、ニックから力を奪った。
気力と根性だけで支えていたニックの集中が途切れた。
「えいっ」
その虚脱した隙だらけのニックの首に、ソリッドな手刀が払われた。
「がっ……!?」
「ごめんねー。ちょっと回収してくよー」
薄れゆく意識の中でニックが最期に見たものは、あとを追いかけてきたアリスの顔であった。
次の章に入るので次回投稿はちょっと遅いかも