白仮面再び 2
ティアーナは、ベロッキオの言葉を聞き終えた。
それは、ティアーナにとって少々信じがたい戦法であった。
そんなことが可能なのか、という疑問がぐるぐると駆け巡る。
だが迷っている暇はない、ティアーナは覚悟を決めて戦場を見据えた。
そこではアリスとカランが戦っている。
初めて行動を共にしているはずだが、それでも見事な連携を作り上げた。
「じゃッ!」
カランが膂力に物を言わせた一撃を放った。次の瞬間には死ぬかも知れない……という恐怖を振り切った斬撃はティアーナを戦慄させた。以前の『白仮面』から一撃で倒されておきながら、どうして迷わずに戦えるのか。
太陽騎士アリスが要所要所で牽制の斬撃を放ってフォローしている。だがそれでも、今の『白仮面』と面と向かって立ち向かえるほどの心強さにはなりえないはずだ。
この子はなんて凄いのだろう。
(……いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない)
ティアーナは、自分の無力さに歯噛みした。
有効な手立てが無い。
迂闊に動けば隙を作るどころか、軽々と反撃されてゼム、ティアーナ、そしてベロッキオの身を危険に晒す。
だから、耐えた。
最高の一瞬を作れる瞬間まで。
◆
「いやあ、きみの剣さばきは見てて気持ちが良い。部下に見習わせたいくらいだ」
アリスの言葉をカランは無視した。
気の利いた返しができる状況ではない。
次の一瞬には首を刎ねられていてもおかしくはない。
それでもただひたすら剣を振るった。
ただ純粋にまっすぐに剣を振るった。
一合、二合と、打ち合った。
ボロボロの、今にも倒れそうなカランは、自分から倒れることを拒否した。
息切れし、動きが甘くなったタイミングはアリスがカバーした。
アリスの手にする剣は細く短い。
千剣峰の道中で生えていた、ただの片手剣だ。
だが正確無比な剣術と奇妙なまでの剣圧が、ガロッソの攻撃を打ち返していた。
「……上手いな。いや、鎧を着てて正解だったぜ。生身じゃこっちがやられてた」
「さーて、それはどうかな? 自分の剣に自信を持ちなよ。キミの必殺の剣は見事だった。あまりにひどいし汚いが、汚い手を躊躇なく使えるのもそれはそれで立派だ」
「殺気が隠せてないぜ」
だが、打ち合う内にアリスの剣の方がぼろぼろになっていく。
そこに、態勢を整えたカランがまたアリスをフォローする。
「喰らえッ……!」
「面倒くせえな……そろそろ倒れたほうが楽だろ」
うんざりした様子のガロッソに、アリスがからかうように声をかけた。
「どうだい、ガロッソ。この純朴な剣を見て何も思わないのかい。それでもキミは剣士か?」
「……剣士じゃねえよ」
「じゃ、武芸百般の門下生としてはどうだい? 何も感じない?」
「うるせえ!」
だぁん! と爆発するような音が響き渡った。
ガロッソの手にした黒い剣は、速く、重く。
そして雑に強かった。
「ぐうっ……!」
地面には、巨大なクレーターのような陥没ができていた。
たった一振りで大地を削り取り、その余波だけでアリスとカランを吹き飛ばしている。
「へっ、お前こそ見習えよ。おしゃべりする余裕はあるのか?」
のっぺりとして清潔な仮面にはとても似つかわしくない、下卑た笑い声が響く。
あたりには土煙がもうもうと立ち上がっている。
「……っと、しまった。生きてるかぁ?」
間延びした声でガロッソが声をかける。
霧が晴れ渡る頃に見えてきたのは、満身創痍のアリスとカランであった。
「……生きてるさ。しぶといのが取り柄でね」
「しぶとい? はしっこいって言うんだよ」
対して、ガロッソの方は多くの剣撃を受けておきながら傷一つ無い。
黒い鎧はますます艶めき、力強さを増している。
「……お前、大したことなイ」
そんな迷宮のボス『ウシワカ』を超えるであろうガロッソの圧倒的な力に、しかしカランは絶望していなかった。
「ああ?」
「前の『白仮面』は、速くて、力が強くて、容赦がなかっタ。本物だっタ」
「へーえ。んじゃ俺に追い詰められてるお前はなんなんだ?」
カランは、ガロッソの問いに答えなかった。
その代わりに、血の混じった唾と悪態を苦々しい顔で吐き出した。
「ぺっ」
「行儀が悪いな」
「お前こそ、こっちを倒せてなイ。アイツは一瞬でこっちを倒したゾ」
「なんだと?」
「お前、中途半端でぎこちなイ。遊んでるのかと思ったんだが違ウ。自分の体を怖がってル。慣れてないんだナ。奇門遁甲とか使って攻撃してきてないだロ」
「……よく見てるじゃねえか」
「お前は乗馬がへったくそな奴にそっくりダ。自分の使ってるものが怖くて、ノロノロ走らせるしかできなイ。びびり。臆病者。みそっかす」
「……危ない、カランちゃん!」
怒りに満ちた一撃が、カランを襲った。
超重量級の剣が大上段から振り下ろされ、カランは奇跡的に避けた。
だが避けた瞬間に思い切り腹を蹴られた。
血を吐きながら真上に吹っ飛んでいく。
「手前に何がわかる! ああ、そうさ! 俺ぁびびりだ! 俺は俺の運命から逃げようとして捕まっちまった! クソみてえな先祖とこの鎧のせいで、魔族の奴隷として何百年もコキ使われちまう! だがだからこそ地獄だって見てきた! 軽率に他人を信じて裏切られて、めそめそと傷をなめ合うような甘っちょろい連中に言われたかぁねえんだよ!」
大絶叫に遅れて、どさりとカランが地に落ちた。
びくり、びくりと体が震えている。
もはや半死半生だ。
放置すれば確実に死ぬ。
「ああ、くそっ。胸くそ悪い。ニックだって殺したくはなかったんだよ俺は……いや、今更か。目的だ、目的を果たさねえと……目的ってなんだ……。くそ、頭が……」
激昂したかと思えば、嘆き、混乱している。
凄まじい力を持ちながら、精神が不安定だ。
それは恐怖として周囲の目に映ると同時に、絶好の機会だった。
「あ……?」
高速回転しながら放たれた剣がガロッソに襲いかかり、すっぱりと切断された。
ティアーナは、気付かれないように静かに魔導弓を装填し、砂煙の中を移動し、物陰に伏せていた。
ここぞという必中のタイミングを狙っていたのだ。
「てんめぇ……よくもやってくれたな……!」
怒りに満ちた声が絞り出る。
「あー、死んだわ私……。こうなるのわかってたからイヤだったのよね。こっから先は私にはどうにもできないもの」
乾いた笑いがティアーナの口からこぼれた。
そんなティアーナを殺すべく、ガロッソは向きを変えた。
それは丁度、ベロッキオに完全に背を向けた格好だった。
「よくやりました、ティアーナさん……《迷宮干渉:蛇鞭剣》!」
◆
千剣峰はどこにでも刃物が生えてくるという奇怪極まりない迷宮だ。
その神秘は人間に触れられることを許さない。
生み捨てられた剣や槍を持つことはできても、その機能自体は魔物のためのものだ。生み出される前の剣を掘り起こしたり、あるいは自分に合った形状の剣を生み出したり……ということはできない。そこまで迷宮に干渉できるのは魔物だけだ。
だがその迷宮の機構が一瞬だけ弱まる瞬間がある。
それは迷宮のボスが倒されたときだ。
ベロッキオは若かりしとき、何度となくこの千剣峰を狩り場にした。
そして様々な実験を繰り返す内に、ベロッキオは裏技を見つけ出した。
地面に魔力を通して、剣として生み出される前の剣を自在に操るというものだ。
この裏技に、ほぼ実用性はない。
ボスが倒れた後の限られた瞬間にしか使えない技だからだ。
迷宮における最大の脅威が去った後にだけ使える高威力の技に何の意味があるだろうか。
「なっ……なんだこりゃあ……!?」
ガロッソの足下に植物のような奇怪な鎖が生え、ガロッソを捻じり上げていく。
それは剣や槍と言った形になるまえの鋭利な金属が、不格好なまま繋がったものだった。ここからより精緻な形状になるはずの、言うなれば剣の卵にベロッキオは自分の魔力を通した。背中を切られて倒れた後、ゆっくりと地面を通して少しずつ魔力を練り上げ、浸透させていった。
「いやぁ……この技に使い道があったとは自分でも驚きですよ……ぐっ」
「師匠! 無理をしすぎです!」
「ここで手を抜いていられますか……!」
倒れそうになるベロッキオをティアーナが支えた。
そうしている間にもガロッソの体に金属が絡みついていく。
飛ばされた腕が再生されようとするところをほじくるように、鎖がよりきつく、よりいやらしく、より強く絡みつく。そして鎖は鎧の中へと侵入した。
「なっ……なんてひでえ技だ……ぅぉおおおお……!」
ガロッソがうめき、もがいた。
断末魔がついに出たのかと一瞬ティアーナは喜んだ。
だが、違った。
じゅうじゅうと煙が鎧から立ち上った。
凄まじい熱がガロッソの体全体から放たれている。
「てっ……鉄を溶かすつもり……!? あんた死ぬわよ……!」
「死にたくても死ねねえんだよな、これが……」
声はくぐもり、ひび割れ、もはや人間のものとは程遠い恐ろしい響きだった。
そして、赤く溶け出した鉄の鎖がぽたりぽたりとガロッソの体から落ちていく。鉄の雫は地面に落ちた瞬間、火花を飛ばしつつも急速に冷却され、鈍い色の鉄の塊へと変貌した。
万策尽きた。
全員がそう思った瞬間、一条の閃光がガロッソの体を貫いた。