勝負の前
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『海のアネモネ』で、ニックは珍しく酒を飲んでいた。
木のジョッキに注がれたエールを飲み干し、さらに珍しくゼムにくだを巻いている。
「ティアーナのやつ、これで勝負にでれるわ! なんて自信満々なこと言ってグースカ寝ちまったよ。まったく最後の打ち合わせも済んでねえってのに……」
「あっはっは、彼女は僕らの中で一番の自由人ですからね」
「そりゃそうなんだが、心配するほうの身になって欲しいぜ」
「ありがたく思ってますよ、彼女も」
ゼムがにやにやと笑いながら、ちびちびと静かにエールを飲んでいる。
酒のお供は質素に雑穀粥だ。とはいえ、刻んだ青菜や炒めた挽き肉を乗せておりそこまで粗食というわけでもない。また挽き肉の味付けには豆を発酵させた甘辛い調味料を使っており、エールを呷りながら食べるには申し分なかった。
「ミソとか言ったっけ。慣れると悪くないな」
「南方の方から来たそうですね。豆以外にも麦を使ってるものがあるとか」
「こういうのも悪くないな。今度、野営食で使ってみるか?」
ニックがそう言いながら美味そうに酒を呷った。
すでにゼムより倍以上の酒を飲んでいる。
「今日は進みが早いですね?」
「オレだってたまには飲む。ま、大して強くもないからこのくらいにしておくが……」
「ティアーナさんの件だけで、そうなってるんですか?」
そのゼムの言葉と微笑みに、ニックは苦笑を浮かべる。
「流石に見抜かれちまうもんだな」
「昔取った杵柄ですからね」
「何か懸念でも?」
ふう、とニックは息をつき、空になったジョッキを机に置いた。
「……オリヴィアの残した宿題、あれが一向に解けねえ」
「ああ、そういえばありましたね。なんでもトカゲみたいに壁に貼り付いてたんでしたっけ?」
「いやそうじゃねえよ。その光景を見たくはあるが。あいつ、壁に直立したんだ」
「ちょっと想像しがたいですね……」
「で、その状態からオレの額に触れたんだが、いきなりその瞬間吹っ飛ばされた。あいつが言うにはこれで白仮面のとどめを刺したらしいんだが」
「ほう」
「さっぱりわからん」
「そりゃわからないでしょう」
ゼムがさも当然といった口調で言う。
「見様見真似で一流の域に達するのは天才というものです。まあニックさんも割と天才の部類だとは思いますが、それでも一ヶ月も経たないのに見ただけで覚えるなど到底無理でしょう」
「……いや、まあ、確かにそうなんだが」
「ティアーナさんに触発されましたか? でもあの二人だってあなたに触発されてるんですよ。焦る必要はないと思います」
「そうなのか……?」
「ついでに言えば僕もですね。皆さんが色々と思考してる間に素敵な物をくすねてきましてね」
「くすねた? 何を?」
「ナルガーヴァさんの私物を。薬学などだけではなく魔術絡みの物も多く残されていたのでこっそりと」
そう言ってゼムは、懐からとある物を取り出した。
古びたノートだ。
「それは……」
「ナルガーヴァさんの魔術の研究ノートです。いや、実にわかりやすいですよ。僕も少々土属性の魔術を覚えました。今習得したのは本当に初歩の初歩だけですが、少なくないお金を出して勉強しなければいけないものをタダで覚えられました。他にもちょっとした魔道具なども譲り受けましたし」
「ず」
「ず?」
「ずっるぅ……!」
ニックの呆然とした表情を見て、ゼムがけらけらと笑った。
「いや、くすねたというのはちょっと誤解を招く表現でしたね。ちゃんと譲り受けたものですよ」
「本当かぁ?」
「彼の部屋の遺品整理していた人が処分に困っていたそうです。そのまま騎士団に差し出すと没収されるだけですし、魔道具類は素人が市場に流そうとしてもアシが着きやすいらしくて。で、どうせなら私に使って欲しいと言われて」
「魔道具ってそれ……人を攫うときに使ったやつじゃあるまいな? 証拠物件になりそうなもんを勝手に使ったらまずくないか?」
「そこは大丈夫かと。保管されていて外に出された形跡もあまり無かったようですし。お役に立てますよ?」
「まあ、あのナルガーヴァの残したものとなると確かに役には立ちそうだが……」
ニックは真面目な顔で頷いた。
だがゼムは、ニックが真面目な顔をしていることに疑問を覚えた。
「まだ、勝負に負けるかもと思っていますか?」
「ん、まあ、勝負は下駄を履くまでわかんねえしな。前の【鉄虎隊】との決闘とは違って純粋に力量が問われるわけだし」
「ですが、今回は負けても何とかなると思いますよ。というかティアーナさんもカランさんも、すでにそれぞれの決闘相手と和解したようなものでしょう。むしろウシワカを倒して迷宮を平常時に戻す方がある意味重要な仕事になるかな、と」
「そう、そこだよ」
「そこ……? 和解したところが引っかかってるんですか?」
「なんかあいつら、すげえなって思ってよ……カランも、気付かない内に強くなってた」
「人間、変わらずにはいられないものですよ」
ゼムの言葉には重みがあった。
人間の変遷や変貌に振り回されてきた男だ。
ニックはそのことをしみじみ実感していた。
「そうだな……。オレも、オリヴィアにもっと話を聞いときゃ良かったなって思っちまった」
「彼女のことは苦手なのでは?」
「まあやりにくいんだが……いきなりどっか行っちまう前にちゃんと聞くこと習うことあった気がしてな」
「大丈夫ですよ。ニックさんは、妙な人が寄ってくる星に生まれてついています」
「笑えねえなそれ」
などとニックは言いながら笑っていた。
「最近はオリヴィアとかアリスとか変な食わせ者が寄ってくることが多い。勘弁してほしいぜ。ただでさえ昔のパーティーが変なことになってるってのに」
「変なこと?」
「あー……もしかしたらの話なんだが」
ニックは、努めて平静を保ちながら言った。
「前のパーティーメンバーが、人殺しをしたかもしれねえ」
「人殺し、ですか」
「太陽騎士団の騎士が盗品を横流しする人間を追いかけてて、カタナで斬られて死んだそうだ」
「それは……」
「【武芸百般】リーダーのアルガスと、剣士のガロッソ。どっちもカタナを使える。二人とも熟練の腕前だ。太陽騎士団のアリスは明らかに疑って、オレに情報を求めてきた」
堅い表情のニックに、ゼムは居住まいを正して真面目な顔で答えた。
「ニックさん。その疑いが事実かどうかは僕らにはわかりません。そしてわかったところでどうすることもできません。僕らが関わっている話ではないんですから」
「そりゃそうなんだが……」
「一応確認しますが、擁護したいのですか? それとも、チャンスがあれば突き出してやりたい?」
「どっちもしねえよ」
「それでは……」
ゼムは顎に手を当て、しばし悩む。
ニックも沈黙したまま、ジョッキに残ったエールを飲み干した。
ゼムがニックに代わりのエールを継ぎながら、ぽつりと言葉を放った。
「知りたい、というところですか?」
「ん……」
「そのようですね」
図星だった。
思っていたことを言い当てられたのではない。自分の頭や心の中で形になっていない物に、形を与えられたと言うのが正しいだろう。ニックはそう思った。
「なんでそう思った?」
「僕はずっとそう思っていましたから。どうして自分が神殿を追放されなければならなかったのか。どうして自分ばかりこんな目に合うのか。どうして無実の者が苦しみ、人から何かを奪う者が栄達を極めるのか」
ゼムの顔に、何か名状しがたいこわいものが走る。
それは自分の経験だけではない。夜の街を遊びほうけ、女と交わり、あるいは男と語り合い、罪深い人間と対話して得たものを鍋で熱してかき混ぜて、真理に触れたのだ。そう思わせる何かがあった。この男であれば何か人生の答えを知っているかもしれない。この男に見られただけで自分の恥ずべき罪を見つけてしまうかもしれない。ゼムの隣ではなく、ゼムの正面に座る人間は常にその期待と緊張を強いられる。
だが、ニックはそれに飲まれて流されてはいけないとも思っている。
自分はゼムに救いを期待するものではなく、ゼムの仲間なのだから。
「オレにはそんな難しいことはわからねえ。だが一つだけ言えることがある」
「なんでしょう?」
「自分がクソみたいな目にあった理由を憎い奴に聞いたところで、クソみたいな答えしか返ってこないってことだ」
「あっはっは……! いや、まったくその通りです」
「だから、こういうときは忘れて気にせず生きてくのが正しいんだと思う。つーかつい数日前までそうしてた。けど、クソみてえな答えだとしても、わからねえまま放置するのも据わりが悪い」
「それは……ええ、同感です」
「だから、真実を知りたい。納得したいわけじゃねえ。だが納得できなかったときにブン殴るくらいはしておきてえ」
「ではそうしましょう」
「そうする?」
「その【武芸百般】に会いに行けばよいでしょう。僕らはD級やC級のパーティーに上がるのですから、いずれは会うことになる。であればニックさんは、自分の姿を彼らに見せて、言いたいことを言えば良いのでは? 今の僕らに何を恐れることがありましょうか」
ゼムの言葉に、ニックは今まで胸につかえていたものがすとんと落ちた気がした。
「……そうだな。いや、あいつらが疑われてるとかは正直どうでも良いんだ。罪を犯して裁かれるっていうならもう騎士団の仕事だしな。オレが悩む筋合いの話でもねえ」
いつも読んでくれてありがとうございます!
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ぜひ書籍版もご覧下さい。
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