カランの疑問 1
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小鬼林に獣のような声が響き渡る。
その声の主はゴブリンだ。石を研磨し木にくくりつけただけの石斧や、手入れも随分されていないであろう錆びきった剣を握り、蛮声をあげて人間に襲いかかってくる。そして、そのゴブリンたちと対峙する人間は、決して慌てることなく長剣を気合を込めて振り下ろした。
「せりゃッ!」
剣の先がきれいな円弧を描いたと思うと、ゴブリンの首がすっぱりと両断されていた。
そしてバランスを崩したゴブリンの体がどうとその場に倒れる。
他のゴブリンたちは先陣を切ったゴブリンの死に動揺するが、時既に遅く逃げる間もなく長剣の餌食となっていった。
「ふう……」
すべてのゴブリンを倒したカランは、呼吸を整えた。
深呼吸しただけですぐに平時の状態に戻る。疲労の色はまったくない。
そこに、まばらな拍手が響いた。
「うむ、良いぞカラン。慣れてきおったようじゃの」
「流石、サマになっていますね。そちらの剣も似合いますよ」
キズナとゼムに褒めそやされたカランはにっかりと笑う。
三人は、千剣峰の攻略の訓練のために小鬼林で訓練を兼ねた攻略をしてたところだった。
「ウン。でもちょっと軽いナ」
「店で売ってるものでは一番分厚い剣なんじゃがのう」
ひゅんひゅんとカランは軽やかに剣を振る。
決して小さい剣ではないのだが、カランの扱う竜骨剣よりは細く短い。
「ゼムはどうじゃ?」
「やはり刃物は慣れてる人にはかないませんね。どうも短剣はしっくりきません」
ゼムがやれやれと肩をすくめた。
「ゼムは力がないわけではないが、基本的に打突武器しか扱ってなかったようじゃしのう……。あえて切れ味の鈍くて寸詰まりの剣を、槌のように使うほうが良いかもしれぬ」
「『斬る』を諦めて叩くというわけですか……それはそれで合理的ですね」
「千剣峰では回復魔術は使えるのじゃから、自分のみを守る方向性で考えた方が良い気がするのう。それに支援魔術も使えるわけじゃし」
「そうだナ」
キズナとカランの言葉にゼムは頷く。
「ではこの調子で行きましょうか」
と、ゼムが言ったあたりのことだった。
キズナの表情が変わった。
「む……冒険者が近付いてきておるの」
「おや、新米冒険者でしょうか」
「いや、違う。足取りに迷いがない……というより」
「というより?」
「この間会ったばかりの人間族と竜人族じゃ」
キズナの言葉に、カランの表情に緊張が走った。
「竜人族というとカランさんのお姉さんのスイセンさん……でしょうか?」
「ほぼ背格好は同じようじゃ。竜人族は少ないし恐らくそうじゃろう」
「何をしてるんでしょうね……?」
「我らと同じく、訓練が目的じゃなかろうかの。向こうも条件は同じじゃろうし」
「……どうしましょう? このまま探索を続けたら鉢合わせすると思うのですか」
「どうしようかのう」
ゼムとキズナの視線がカランに集まる。
カランはしばし悩み、弱気な声を出した。
「……ちょ、ちょっとだけ、様子を見たイ」
「構わぬが……」
「じゃ、急いでどっか隠れるゾ!」
そして三人はゴブリンの死体を処理し、大慌てで茂みに隠れた。
◆
やってきたのは竜人族のスイセン、そして剣士のマーカスだ。
スイセンはごく普通の木の柄の先端に刃のついた、ごく普通の槍を握っている。
マーカスはやや大振りの両手剣だ。もっとも、カランの竜骨剣ほどの大きさはない。
「姐さん、流石、動きが達者だ。冒険者に復帰した方が良いんじゃないか」
そして今、ゴブリンの群れ五匹をあっという間にスイセンが倒した。
槍の間合いを存分に利用してどれも一撃で屠っている。
「バカ言わないで。今回だけよ」
「もったいねえなぁ」
「だいたい私は……故郷に帰るのよ」
「ま、そのへんは深くは聞かねえけどよ」
「ともかく勘を取り戻さないと。ブランクも長いし、鈍った腕のままじゃベロッキオさんにも悪いからね」
そういってスイセンは、すう、はぁ、とゆっくりと呼吸を始める。
それを見ていたカランが不審な顔をした。
「……あれ?」
「カラン、静かにするのじゃ」
「う、ウン」
カランたちは少し離れた茂みに身を低くして隠れていた。
声はほぼ聞こえない距離だが、感覚の優れたキズナが聞き、それを耳打ちすることで盗み聞きしている格好だった。
そうこうするうちに、深呼吸しているスイセンの体の周囲に奇妙なもやのようなものが現れた。同時に、清浄な気配があたりに立ちこめる。
「どうかしら?」
「力はかなり感じるぜ。竜人族ってのはすげえもんだな」
「ちょっと斬り掛かってみて」
「良いのか?」
「悪かったら言わないわよ。ゴブリンじゃちょっと弱くて相手にならないし、かといって他の迷宮で練習ってのも危ないから」
「わかった。練習なんだから本気じゃやらんぞ」
「加減は良いけど手抜きはしないでよね」
そしてマーカスが上段に剣を構える。
寸止めでもなんでもなく、そのままスイセンに斬り掛かった。
「ぐっ……硬ってえ……!」
スイセンは自分の腕を盾のようにして防いだ。
真剣の一撃を受けた場所には傷一つ無い。
「……ふう」
「上手くいったな」
「まだよ。数年前ならもっと強かったし、準備も手間取らなかった」
「仕方ねえだろう。だって子供育ててたんだろう?」
「こ……」
「むっ、魔物か?」
一瞬、カランの驚きの声が漏れてしまった。
それがほんの少し届いたのか、スイセンとマーカスが臨戦態勢を取る。
「……お、うりぼうか」
そのとき偶然、イノシシの子供がとてとてとマーカスのすぐ近くを駆けていった。
「こんな森でも意外と鳥とかイノシシとか居るんだよなぁ。まあゴブリンくらいならイノシシの方が強いしな」
「動物でも子供はたくましいものね」
「よし、とりあえずホブゴブリンを倒すくらいはやっておこう。物足りなけりゃ後は手合わせするなり何なり考えようや」
「頼むわ」
スイセンとマーカスがそう言って、森の奥へと去っていった。
「不思議な力ですね。強化系の支援魔術とは少々異なるようですが」
「あれは種族独自の魔術じゃろうな。龍人族以外の種族には恐らく使えんじゃろう」
「カランさんはあれに心当たりありますか?」
ゼムがカランに声をかける。
だが、カランは沈黙を保ったままだ。
「カランさん?」
「あっ、え、えっと、あれは……ワタシの使う火竜斬とあんまり変わらなイ。武器に宿すんじゃなくて、体に纏わせて防御する方向で力を使ったんだと思ウ」
焦ったようにカランは返事をする。
「でも……ワタシは竜骨剣がないと使えないし、あっても防御だけに使うようなのはできなイ。どうやってるんだロ……?」
カランの呟きは、どこか空々しかった。
好奇心が感じられない。ゼムもキズナもそう感じた。
「……他に気になることでも?」
ゼムの言葉に、カランはこくりと頷いた。
「……姉ちゃん、駆け落ちしたんダ」
「そういえば以前聞きましたね」
「……で、赤ん坊もいるって言ってタ」
「ですね」
「じゃあ……ダンナはどこにいル? ていうか、駆け落ちしたのになんで姉ちゃん、帰るなんて言うんダ?」
ゼムも、カランの抱いている疑問にはたと気付いた。
故郷よりも夫のところで暮らすことを選ぶのであれば、カランとともに帰るなどと言うはずがない。ただ顔を見せに一度帰郷したいというだけならば、あれだけカランに強く当たる必要もない。そもそも、スイセンの夫の顔はカランもよく知らないし、スイセンも一度も話をしなかった。
「確かに妙ですね……」