師との再会 1
「悪かったって、機嫌直せよ」
「別に機嫌悪いわけじゃないわよ! ……まあ、説明が遅かったのはちょっと怒ってるけど」
火焔鳥峰を攻略して冒険者ギルド『フィッシャーメン』に戻った後も、ティアーナはぶすっとしていた。暑さと疲れを振り払うように、魔術で作った氷をジョッキにどぼどぼと入れ、薄めた葡萄酒がぶ飲みしている。ニックはばつが悪そうにティアーナをなだめるが、ティアーナは一顧だにしなかった。
「だから、次はもっとオレたちに合った迷宮を……」
「そうね。自分に合った場所を攻略する。それは間違ってないわ。でも正しくもない」
ティアーナは不機嫌でありながらも、どこか怜悧な目をしていた。
「どういうことだ?」
「現状の実力とか方向性に合わせて攻略できる場所を選ぶのも大事よ。あの場で私は確かにそう言ったわ。だけど、ずっとそのままで良いかというと別問題よ」
「ん……確かにな」
この迷宮は難しいから避けよう。それはそれで大事な考えだ。だが避けられない道が待ち構えているのであれば、それは何としても乗り越えるしかない。命を落とさないように堅実に稼ぐことは大事だが、冒険をするのが冒険者でもある。冒険心を失い現状に甘んじることをよしとすれば、現状維持さえも難しいという逆説的な結果が待ち受けている。ティアーナは冒険者としての経歴は短いものの、本能的にそれを察していた。
「でも、どうするってんだ? あそこは火の魔力が高いし、空を飛ぶ魔物も多いし……」
「方法がないわけじゃないの。結界っていうのは広くなれば広くなるほど効果は弱まる。狭い結界ほど効果は強いものよ」
「つまり、狭い結界を張る?」
「そうね」
「となると……」
そこでニックはキズナを見た。
キズナはにやにやと笑みを浮かべて胸を張る。
「やっぱり頼りになるのは我というわけよの。大人しくあのとき我を頼っていれば簡単に事が運んだのじゃ」
「いや実際その通りだぞ。その上で客観的なコメントをくれ」
「真顔でそう言われると恥ずかしくなるじゃろ」
キズナが赤面した自分を誤魔化すように、おほんと咳払いをした。
「《合体》を唱えてニック/ティアーナとなればあの程度の結界を打ち破って氷の魔術を発動させるのはわけもないの。いや、そもそもこちらの結界に火焔巨鳥を巻き込んだ時点で大きく弱体化するのではないか? 赤子の手をひねるようなものじゃ」
「それもそうだな」
「そんなことはわかってるのよ。あれを自分一人で使えるくらいにまで上達できれば、私は火焔鳥峰も……あるいは他の迷宮だって活躍できる場面が増えるわ」
「……できるのか?」
「不可能じゃないわ……凄く大変だけど。ただ何にせよ、一流の魔術師だったら多少の地形的な不利くらいひっくり返さなきゃ駄目よ。むしろそういうときに頼りにされるのが魔術というものよ」
「実力を上げりゃ大丈夫ってのはその通りだけどよ」
「ニック、あなたみたいに事前準備をきっちりして勝ち筋を確かなものにするっていうのはすごく正しいわ。でも、いつどこで予想外の出来事があるかわからない。そのためには不利な盤面をひっくり返せるくらいの奥の手くらいを持っておく必要がある」
「だがそういうときこそ《合体》の出番じゃないか?」
「じゃあこの間はすぐに《合体》できたかしら?」
「……あのときはタイミングが合わなかったら死んでたな」
ニックは……というより全員は、白仮面に襲われたときのことを思い出していた。結果として白仮面を完封した形にはなったが、それはあくまでオリヴィアの手助けがあってこそだ。ほんの少しでも歯車がずれていたならば、今頃全員死んでいてもおかしくはなかった。
「……ティアーナの言うこと、もっともだと思ウ」
カランが腕を組み、真面目な顔で頷いた。
「普通に冒険するだけなら今のままで良イ。でも……ワタシは強くなりたイ。白仮面みたいなのが来て時間稼ぎもできないままじゃヤダ」
「とはいえ、焦り過ぎも良くないぞ。いきなり強くなるといってもなれるもんじゃないだろう」
「それはそうだけど、ニックに言われたくなイ」
「う」
ニックは近頃、思わぬ速度で新たな技術を身につけていた。奇門遁甲だ。促成栽培のような短時間で実戦に使うまでの域に達している。カランがじっとりとした視線を送るのもある意味では当然だった。
「ゼムはどう思う?」
視線から逃げるようにニックはゼムに尋ねる。
そうですね、と相槌を打ちながら一拍おいてゼムが答えた。
「間違ってはいませんが焦り過ぎもよくありません、というところですね。がむしゃらに鍛錬などに挑む前に、具体的な目標や方向性を定めてみては?」
「なるほど」
「いつまでに何を習得するといった、わかりやすい目標があればなお良いと思います。そして目標を置いた後はどのように習得すべきか、トレーニング計画のようなものが必要でしょう。ニックさんはたまたま師匠となってくれる人と出会えたのが幸運でした。何かを覚えたいのならばその道の先達を見つけるなども良いかと」
ゼムの言葉に、ティアーナとカランの二人とも似たような顔で悩み始めた。
「魔術師は我流の研究だと行き詰まるから、なんだかんだでどこかに弟子入りしないと難しいのよね……」
「竜人族の戦士もそんなにいないシ……」
「魔術は研究所とか流派とかあるだろうが、竜人族はオレも流石に知り合いはいねえな……。そのあたり知ってそうな奴というと……オリヴィアくらいか」
「まあ、生き字引のような人ですからね」
ニックはゼムの言葉に頷きつつも、渋い顔のままだった。
「けどあいつ、どっか行っちまったんだよな。肝心なときにいねえ」
ニックのぼやきに全員がうんうんと頷く。何かと助けられたとはいえ、オリヴィアは未だに秘密も謎も数え切れないほどある。素直に信頼できるような関係ではなかった。
「ともかく、私たちは割と強いわ。上級とか言われる冒険者にはなれると思う。でも、今後来るかもしれない危機を考えると何もしないで良いとも思わない。迷宮を安定して攻略できる強さがあるとしても、それで自分の弱さを忘れては駄目よ」
「その通りです!」
「その通りよ!」
そのとき、あらぬ方向から二人の声が響いた。
一人目の声は、年配らしいしゃがれた声であると同時に、年配らしからぬ大音声だ。
周囲の誰もが驚いて声の主を見ている。
「だ、誰だ?」
ニックが後ろを振り向く。そこには、男と女が並んでいた。男の方は、中年以上老人未満といった年かさの風貌だ。浅黒い肌に銀髪。杖を持ち、古風なローブを纏っている。眼光も鋭く足取りも確かだ。『フィッシャーメン』中堅の冒険者にしてはしっかりしすぎている。
そしてもう一人は、竜人族の女性だった。両腕は鱗に覆われているが、カランとは対照的に青く艶やかな輝きを放っていた。髪も鱗と同じ青色で、緩くウェーブのかかった長髪が網紐で束ねられている。隣の男性ほどではないがどことなく風格が感じられる佇まいだ。
「ベ、ベロッキオ師匠……!?」
「ね、姉ちゃん……!?」
ティアーナとカランが名前を呟き、呆然と2人の姿を見ていた。
◆
『フィッシャーメン』のテーブル席に、七人の男女が真剣な面持ちで座っている。
【サバイバー】の五人と、今突然やってきた男女二人だ。
男はティアーナの、女はカランの知り合いのようだったが、ティアーナもカランも妙に緊張して声を掛けようとしない。ニックは一瞬追い払おうかと考えたが、それはそれで妙なことになる気がして二人に椅子に掛けるよう促した。
「……見たところウチの者と知り合いみたいだが、何か用か?」
ニックがやりづらそうに男を見ると、男は微笑を浮かべながらニックに答えた。
「はい。ああ、畏まる必要はありませんよ。私も一介の冒険者に過ぎませんので」
「そうか」
魔術師の風貌であると同時に、貴族らしい気品ある態度をしている男だ。ニックは貴族への振る舞いをすべきか迷ったが、冒険者だと名乗られては冒険者として扱うしかない。ニックは萎縮するまいと頭を切り替える。
だが、ティアーナの方はまったくもって混乱の最中にある様子だった。男の一挙一動にびくびくし、冷や汗をかいている。
「まずはお詫びを。突然会話中に割って入って失礼しました。改めて自己紹介をさせて頂いても?」
「そうだな」
「私はベロッキオ。王都の魔術学校で教鞭を執っておりましたが、色々あって辞めました。今は見聞を広めるための旅に出ています」
王都の魔術学校、という名前が出た瞬間、ニックは状況を察した。
ティアーナの教師だ。
あるいはもっと密な、師匠と弟子のような関係なのかもしれない。
ティアーナはベロッキオの言葉にますます動揺を深めているが、あえて気付かぬ振りをしているのか、ベロッキオは淡々と話を続けた。
「見ての通り、少々魔術を嗜んでおります。もっとも第一線からは遠ざかっておりまして人に教える側でいた時間の方が長いのですがね。それで……」
老人がちらりと隣の竜人族の女性に視線を送ると、女性は小さく頷いて口を開いた。
「あたしはスイセン。そこの……」
スイセンと名乗った女性は、厳しい視線をカランに送る。
気付けばカランもティアーナと同じく、ひどくばつの悪そうな顔をしていた。
「カランの姉よ」
「ええっ!?」
カラン以外の【サバイバー】の全員が声を上げて驚いた。