神官/冤罪ロリコン/色街通いのゼム 3
「あんた、迷宮都市に行って冒険者になると良い」
次の日の朝。
ゼムは起き抜けにそんなことを言われた。
「あんたほどの治癒の腕があるなら、この宿場町でも十分に稼げる。でもここにはいない方が良い。わかるね?」
「それは……ええ」
結局、ゼムはヴェルキアに押し倒されて女というものを知ってしまった。
なんだかんだ言ってゼムは若い男だ。
この状況を楽しんでしまった。
むしろ楽しみを覚えなければ早晩倒れるか首を吊るかしていただろう。
もしゼムが神官のままであれば罪悪感に苛まれていただろうが、今はただの流浪の元神官だとゼム自身理解している。女の胸に甘えてしまった自分を許す程度の気分にはなっていた。
そして女を知ったばかりの男の口は、穴の空いた酒瓶のようなものだ。
自分の身に起きた出来事を全部ヴェルキアに暴露してしまっていた。
単にゼムの身に降り掛かった冤罪のことだけではない。
冤罪を晴らして名誉ある神官に戻りたいと思いつつも、それがあまりに困難であると気付いていること、悪を許すべき、自分に反省するべき点があると思いつつも、本当は自分を陥れた神官やミリルを殺したいほど憎んでいること、ロディアーヌの街の罪なき人達でさえも深く恨んでいること、この先を生きる希望も無いこと……。
そんな、自分でさえも無自覚なままだった暗い心を赤裸々に語ってしまった。
それを聞いたヴェルキアは、安堵と危惧を抱いた。
おそらくここでヴェルキアがゼムを抱いていなければ、絶望してどこかで野垂れ死んでいたことだろう。
ゼムは裏切られ、痛めつけられ、それでも「他人を癒す」という身に染み付いた信条を捨てることができず、見ず知らずの宿屋の女に治癒を施した。そんな善人が死んでいくのは忍びないものがあった。
そして危惧とは、自分ではゼムの心は完全に救えないだろうということだった。
ヴェルキアは、性に奔放だ。ゼムのようなゆきずりの男と交わることは頻繁ではなくとも、そこまで珍しいことではなかった。転がり込んだ男の面倒を見たことも何度かある。
だがそんな風にゼムをヴェルキアのヒモにしたところで、良い未来は待ってはいないだろう。ひとときの夜を共にするだけならともかく、長い付き合いになればきっと破綻する。ヴェルキアはあまり自分の貞操というものに自信が無い。いつか彼を傷つける日が来てしまう。そしてゼムの方も、女に面倒を見てもらう自堕落な日々を甘受できる性格とも思えない。ぶっちゃけ、ヴェルキアにとってゼムはちょっと重かった。
「仲間を作って、女と恋をして、楽しい遊びをして、まだ見ぬ世界を冒険するんだ。あたしも若いときはいろんな冒険をしたものさ。今は迷宮都市に行くのが良いね、治癒ができるなら幾らだって仕事があるさ」
だからヴェルキアは、ゼムに冒険者になれと薦めた。
別に難しい結論ではない。
ゼムのような訳ありの人間でやっていけるのは冒険者が一番というだけの話だ。
「ですが……僕はあなたに恩返しをしなければ。あなたがいなければ僕は……」
「おあいこだよ、タダで治療してくれたわけだしね。さあ行ってきな。男は前を向いて旅に出るもんさ」
そう言ってヴェルキアはゼムを送り出した。
◆
そしてゼムは、迷宮都市へと辿り着いた。
ゼムが今まで見た中で、どこよりも栄えて活気にあふれた町だった。
商人や冒険者、学者肌の魔術師、見世物小屋で奇抜な化粧をしたピエロ、神官、浮浪者。
普人が多いが、竜人や獣人も珍しくない。
人種と職業のるつぼにめまいがしそうになった。
「冒険者ギルドの前に、宿をとりましょうかね……」
ゼムは今の所、懐に余裕があった。
ヴェルキアの宿を出てここに来るまでの道中、自分の治癒魔術や薬草の知識を活かして稼いでいたからだ。
ゼムは、無料で治癒をするとあらぬ疑いをもたれたりトラブルの種になると理解した。
相場より若干安い程度の金額で治癒や薬草による処方をして自分の懐に入れていた。それでも、教会に上納する必要が無いために十分以上に稼いでいた。いつの時代も、怪我や病魔と戦う人間は重宝されるものだ。
「では夜の街も期待できますね」
ゼムはにやっと微笑んだ。
ゼムはヴェルキアの宿を出て以降、悪い遊びを覚えてしまった。
女遊びだ。
綺麗どころを侍らせた店で酒を飲み、酌をしてもらう。
良い子が居れば口説いて、そのまま泊まる。
ゼムが神官だった頃には考えられない生活だった。
だがゼムは、もうこうなったからには人生を楽しむだけ楽しもうという開き直りがあった。
治癒魔術で稼ぐことに、もはやためらいは一切ない。
守るべき操もヴェルキアに与えてしまった。
金で女性に酌をしてもらうことへの罪悪感も消えた。
苦しい人間に手を差し伸べる優しさは残ってはいたが、ゼムは立派な破戒僧だった。
唯一消えなかったのは13歳くらいの少女への恐怖くらいだ。
目の前に立たれただけで自分を破滅させたミリルを思い出し、ぶるぶると手が震えてくる。
ロリを避けつつ、ゼムは夜の街を楽しみ続けた。
だが、まだまだ遊び慣れてはいなかった。
火傷をして少しずつ覚えていくものなのだ。
迷宮都市に来てしばらくは楽しくまっとうに遊べた。
サービスも良く安価で、馴染みの店と言える場所もできた。
だが新たに開拓した5店舗目あたりで、洗礼を受けた。
「え、20万ディナ!? それは高すぎでは……!?」
「おい兄ちゃん、ここは田舎の芋くせえ飯炊き女ばかりの店とは一味違う、ホンモノさ。迷宮都市きっての美人揃いの店『ミッドナイト・バタフライ』なんだぜ? 20万ぽっちで遊べるだけ上等と思ってくれないと困る」
「い、いや、最初の説明では2万ディナと……」
「ああ!?」
夜の迷宮都市。
ゼムは酒場の店員に凄まれ、はぁと溜息をついた。
ゼムは、ぼったくりに出会ってしまったのだ。
「ま、良いでしょう。支払いますとも」
「大人しくそうすりゃ良いんだよ」
屈強な店員がにやにやと微笑む。
だが、ゼムはもはや騙されるだけの善人ではなかった。
「ですがね、今日テーブルに付いてくれた女の子……アリーシャさんだったかな?」
「ウチの子がなんだ、文句付けて値切る気じゃあるめえな?」
「目の充血の仕方からして、おそらく病気ですね。本人は酒の飲み過ぎと笑っていましたが、そういうものじゃありません」
「……何を、口から出任せ言いやがって」
「おそらくは黄鬼病です。三日以内に嘔吐の症状が出て、それに触った人は感染しますよ。大人にとっては死病ではありませんが、発病すれば数週間寝込むことになるでしょう。老人や元々弱った人間なら死にます」
「……」
黄鬼病、というのは性感染症の一つだった。
迷宮都市であれどこであれ、色町では嫌われる病気だ。
重篤な症状をもたらす死病ではないが、初期症状を発見するのは困難を極める。
ぶっちゃけ、ゼムは自分の診断が当たる確率を6割くらいと思っていた。
実際、酒の飲み過ぎと区別がつきにくいのだ。
本人にそれとなく「念のため治癒術士に診て貰った方が良い」と告げただけで、この場であえて言うつもりも無かったが、こうなってはこちらが脅す材料にせざるを得ない。
ゼムの言葉は、店員の男を怯えさせるには十分だった。
もし発病してしまったら熱と吐き気に悩まされて寝込む時間が長い。
下手に他人が触れるとそこからまた感染が広がるので無理に働くこともできない。
こんな明日も無いような仕事で一ヶ月も休まざるをえなくなれば女は生活が立ち行かなくなるし、女達を雇っている店も首が回らなくなる。
「今のうちに治すのが良いでしょうね。薬と治癒魔術を施しましょうか?」
◆
幸か不幸か、ゼムに酌をした女は確かに黄鬼病だった。
黄鬼病の薬がすぐに効いたのだ。
そして治療が終わった後は、すぐさまその場から立ち去った。
あれこれゴネられて治癒魔術の代金を踏み倒され、20万ディナの請求がびた一文まけられない可能性も高かったので、店員達が油断した隙に逃げおおせた。治療代や薬代は2、3万ディナ程度のもので明らかに20万ディナには到底足りないが、そんなことを気にしない程度にゼムは世慣れしつつあった。
しかし、上手くぼったくりから逃げられたと言っても、遊び続けることにゼムはそろそろ限界を感じ始めていた。
「そろそろ働くとしますかね……」
そして、ゼムは冒険者ギルド「ニュービーズ」にやってきた。
迷宮都市に来た冒険者志望の人間は、大体ここのお世話になると、酒場の女に聞いたのだ。治療術士として稼ぐ手段もあるだろうが、頭の片隅にはやはりヴェルキアとの約束が頭に引っかかっていた。
「……というわけで、冒険者になるためにはパーティーを組む必要があるんです」
「はぁ、そうですか……」
「治癒魔術が使えるのであれば仲間はすぐ見つかると思いますよ」
冒険者の仕事など右も左もわからないゼムは、受付の人に言われるがままにパーティー募集する人達に話しかけた。が、『ニュービーズ』の中で、ゼムを仲間にしようとする者は居なかった。
昨日の晩は結局、酒場で過ごした時間が長く、あとは適当に入った木賃宿で4時間程度の仮眠を取ったに過ぎない。まだ酒の酔いも、女の化粧の匂いも、ゼムの体にまとわりついていた。明らかに神官風の装いなのに「酒場帰りです」といった空気を醸し出すゼムは、滅茶苦茶怪しかった。
そして、そんな遠巻きに見つめる胡乱げな視線は、ゼムに悪夢を思い出させた。それは、ロディアーヌの街から追い出されたときの民衆達の疑惑の目だ。
「……冒険者などなるべきでは無いかもしれませんね。ヴェルキアさんも何故そんな仕事を薦めてきたのやら」
溜息をつきながら仲間捜しをしようとしても、結局悪循環となるだけだった。
そして『ニュービーズ』の閉店時間が近づき、ゼムもギルドから締め出された。
上手くパーティーを作れた人間も、作れなかった人間も、ギルドから締め出された後は隣の酒場に押し込まれる。ゼムはその流れに逆らわなかった。流石に空腹だったのだ。昨日の夜から何も食べていない。
だが、そこでの食事は何ともお粗末なものだった。
教会で出される晩餐よりもひどい。
食事のもの悲しさを一層引き立てたのが、周囲の空気だ。
相席する三人の冒険者は、ゼムと同じように陰鬱な顔をしていた。
ここだけが監獄のように暗い。
それに反して、他のテーブルは明るく賑やかだった。
「わたしは神官やってるの。ローウェル式の回復魔法だから、力は低いけど何回だって使えるわ!」
「頼もしいな! おいらは斧戦士だ! 地元じゃコボルトを100匹は倒してきたぜ」
「この日から俺達はパーティー、いや、家族だ! よろしくな!」
家族。
その言葉に、ゼムは怒りを滾らせた。
神殿で育った皆は、家族のはずだった。
実の親を亡くしたり、あるいは捨てられていても、神の庇護の下で育った子供らは兄弟のはずだった。神殿を統べる神官達は親のはずだった。その家族にこそ裏切られた。牧歌的に喜びを表わす冒険者達の声がうざったくて仕方が無かった。
なにが家族だ。
馬鹿馬鹿しい。
そんな子供じみた信頼なんてものはいつか裏切られる。
「「「「 人間なんて信用できるか!!!! 」」」」