太陽騎士アリス
ニックとカランは留置所での面会を終えた後、馬車を拾って迷宮都市の北部へと向かった。
迷宮都市の大雑把な地理として、南東に行けば行くほど治安が悪くなり、逆に北西に行けば行くほど落ち着くという傾向がある。北西部は高級住宅が立ち並んでおり、その住民を狙って嗜好品や高級品を取り扱う店も多くなる。
ニックたちがそのような普段歩き慣れない場所へ向かうのには理由があった。煙草屋だ。ニックやカランが煙草を吸うわけではない。以前レオンが言っていた「北側の煙草屋」である。そこで「麒麟の煙管を探している」という合い言葉を言えば盗品の密売所に案内されるらしく、そこでカランが奪われた『竜王宝珠』が無いかを調べるためだ。今まではステッピングマンの件が忙しくて後回しにしていたが、そうも言っていられない状況になっていた。
「……一足遅かったナ」
「くそっ……!」
ニックたちの目の前にあるのは、銀色の胸甲を身につけた男たちが店を取り囲み、中に居た人間を次々としょっぴいている場面だった。おそらく表向きの店主らしき老婆が、捜索されている様子を苦々しい表情で眺めている。また近所の人間が好奇心にかられて近寄ろうとするが、男たちに追い払われていた。彼らは、迷宮都市の治安を守る太陽騎士団の騎士たちだ。
「くそ……せめて手がかりでも掴めれば良かったんだが……」
「ニック、無理するナ」
「いや、そうは言うがな……」
「ここに居たら怪しまれるゾ」
「その通りだね。今は盗品を扱う連中が弱体化してて、そこに付け込んで一斉捜索が始まったんだ。弱り目に祟り目とはまったく同情するよ」
ニックとカランの後ろから、涼やかな声が響いた。
二人ともすぐに振り向き、手を剣に携える。
「おっと、すまない。荒っぽいことをするつもりはないんだ」
そこにいたのは、長身の美女だった。
青い髪を短く切ってはいるが、決して男には見えない麗らかさのある佇まいだ。そして店の前に立ち塞がっている騎士よりも少しばかり上等な装備を身につけていた。胸甲も剣も装飾が多い。
「隊長、何事ですか」
剣呑な気配を敏感に察したのか、太陽騎士たちがニックたちのところへ駆け寄ってくる。
その太陽騎士たちが長身の女を隊長と呼ぶのを聞き、ニックの頬に冷や汗が滴り落ちた。
「ああ、なんでもない。ちょっと友人と会ってね。……悪いが八番屯所に戻る。ここは任せたよ」
「ハッ!」
きびきびとした態度で太陽騎士は自分の持ち場へと戻っていった。
「ニックくん。カランちゃん。少し話がしたい。茶を馳走するがどうかな?」
既に名前も把握されている。
ここで首を横に振るほどニックに蛮勇はなかった。
◆
「いや、本当にしょっぴいてやろうとか脅しつけてやろうとか、そういうつもりはないんだ。そう身構えなくとも良いさ」
長身の女はそう苦笑いしながらニックとカランを喫茶店に招き、手慣れた様子で茶を頼んだ。それなりに高級感のある店だが、洒落た貴族夫人が噂話に勤しむような華々しすぎる雰囲気ではない。むしろ歩き回って汗を流した商人が一息を付くために立ち入るような、良くも悪くも気さくさが漂う店だ。
「屯所に行くって部下に言ってなかったか?」
「ここは通称八番屯所さ」
「……いや、普通の喫茶店にしか」
「符丁だよ。北西地区にある騎士団の屯所は七つだけ。八番に行くというのは『茶を飲みにサボるけど見逃してね』という意味さ」
「はぁ」
「ちなみに九番屯所は競竜場だ。このあいだ部下が同僚の分まで券を買ってきていてね、流石に叱らざるをえなかった」
「……教えて良いのか、そんなこと」
「黙っていてくれよ?」
人差し指を口に付けて、女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さて、あらためて自己紹介と行こうか。私はアリス。アリス=バロウズ。太陽騎士団北西支部、『籠手』部隊の隊長をしている」
迷宮都市の治安を守る太陽騎士団は、北東、北西、南東、南西、そして中央の五つの支部に分かれている。そしてその下部には大小様々な部隊が存在しており、都市内の警護や犯罪の取り締まりといった通常業務を行う部隊もあれば、重犯罪者の捜査を専門に行う部隊、経済犯罪専門の部隊など、特殊な役割を持つ部隊もあった。
「『籠手』隊は盗賊ギルドや窃盗団の取り締まりがメインでね。あの煙草屋も捜査の対象だった。君らのおかげさ。大物が倒れたおかげでチャンスが巡ってきた」
「いや、まあ……」
曖昧に頷くニックを見てカランが口を開く。流石にニックも、騎士団の部隊長クラスと話すのは初めてであり緊張していた。カランはその気配を敏感に察していた。
「……白仮面を倒したのはワタシたちじゃない。オリヴィアのおかげダ」
「オリヴィアの手伝いができるだけ凄いものだよ」
「知ってるのカ?」
「全員知っているわけじゃない……というより、ほとんど知らないかな。でも古株は彼女のことを知ってるよ」
アリスが苦笑する。
丁度そのあたりで三人分の茶が運ばれてきた。迷宮都市では珍しく、紅茶だった。南方の国から輸入されるもので煎茶や麦酒より高い。
「というか彼女の口利きがあるから君らの身柄は大丈夫だよ。私はもちろん、騎士団の上層部だって彼女と事を構えたくはない。こう言えば安心かな?」
「こんなことを言うべきじゃないのはわかってるんだが、すごく安心した」
くっくとアリスが笑い出した。
それを見たニックは安堵しつつ、フォローを入れてくれたカランに目だけで謝意を送る。
「正直は美徳だね」
「それで……本当に茶を飲みたかったわけじゃあないんだろう?」
ニックの率直な問いに、アリスは頷いた。
「白仮面について、さ」
やっぱりな、とニックは内心だけで呟く。
「記憶してる限りは冒険者ギルドに話してある。ただ言うほどじゃないと思い込んでるところもあるかもしれねえ。質問があればなんでも……」
「いや、そうじゃない。過去ではなく未来について話し合っておきたいのさ」
「未来?」
「私は、本当に奴が死んだかどうか少々怪しいと思っている。気になる点が多い」
「……なるほど」
「死んでいたとしても、盗品を扱う連中にとって君らは憎き仇だ。狙われていると思った方が良いだろう」
それはニックも心配していたところだった。オリヴィアは白仮面のことを調べるために旅立ったが、それはそれとしてニックたちが上げた成果によって店を潰された人間や仕事を失った裏稼業の人間はいるはずだ。
「ま、きみらが白仮面を倒した功績を利用して盗品の販売所や盗賊ギルドに攻勢をかけているのは私たちなんだけどね。私たちのせいで君らが恨まれるのは忍びない」
アリスは苦笑しつつ、懐から一枚のカードを取り出した。
「もし誰かに襲われたり危機に陥ったら、すぐに私の部隊に知らせて欲しい。これを騎士団の屯所に見せれば通信宝珠ですぐに私に連絡が行くようにしてある」
そのカードには太陽騎士団の紋章と、そしておそらくはアリスの部隊を意味する紋章が描かれていた。
「わかった」
「すまないね。ああ、逆に何かこちらに頼みたいことはないかい? 茶を奢る程度でこんな頼みをするのも気が咎める」
「頼みと言われてもな……」
「たとえば騎士団に就職したいなら面接すっ飛ばしてあげようか。体力試験と筆記試験は誤魔化せないが」
「そんなこと言われてもな……。それに騎士って公職だろう? 身分を持った人間からの推薦がなけりゃ志望さえもできないんじゃなかったか」
「その推薦を私がやってあげようか、という話さ」
その言葉は、ニックにとって穏やかならぬものだった。冒険者など所詮は根無し草だ。功績を上げた冒険者が騎士へ転職するのは理想的なステップアップと言える。上級冒険者こそ冒険者の理想像ではあるが、そこに至るまでの競争は激しい。騎士への就職はまだ幾分ハードルが下がるのでまだ現実味がある。だがそれでも弛まぬ努力が要求される道であり、挫折した冒険者も決して少なくはない。
「そこまで買ってもらえるのはありがたいが……他に頼みたいことがある」
「なんだい?」
「『竜王宝珠』の行方を知りたい」
◆
アリスは、竜王宝珠について知るところをすべて話した。というより、竜王宝珠の奪還もまたアリスの仕事の範疇であり、被害者への状況説明が済むのはある意味で一石二鳥であった。まだ容疑者のカリオスという男の足取りも掴めておらず、竜王宝珠の行方もまだ大まかなところまでしか掴んでいない。それでも彼らは恩に着るとしきりに口にしたために、アリスは少々罪悪感を覚えていた。
「あれがオリヴィア様と【武芸百般】のアルガスの弟子ですか。それにしては普通の若者に見えますが」
反対側のテーブルに座っていた商人が、アリスに声を掛けた。
「これから化けていくのかもしれないね……いや、私達が気付かないだけで何かを得ているのかもしれない」
「何かと言いますと?」
「たとえば……奴らの奥義を手に入れたとか、聖剣に認められたとか」
「まさか」
商人は……商人に偽装したアリスの部下は鼻で笑った。
「聖剣は気位が高いものでしょう。野良の冒険者の手に渡るとは思えません」
「そうだねぇ……。あのパラディンの正体とも思えない。ただ何か知っていてもおかしくはない」
「パラディンも捕まえたいのですか?」
「まさか。だがパラディンが迷宮都市を守っていると思われるのは癪だね」
アリスは、冷めた茶を飲み干して立ち上がった。
「よくわからない連中にお株を奪われっぱなしでは面白くない。そろそろ私たちも格好を付けないとね」
アリスはここのところ対抗心を燃やしていた。
それは、カジノを救ったという麗しのパラディンという存在に対してのものだった。
アリスは上級冒険者並に強く、吟遊詩人の如く麗しく、多くの人間が憧れる存在だ。実際、吟遊詩人が歌を捧げるほどである。だが今はその人気はパラディンに奪われたと言って良い。アリスはそれが奪われて初めて、自分を慕ってくれる人間のありがたさ、人気があることの愉悦を自覚した。今のアリスを動かしているものは嫉妬であり対抗心だ。その燃えさかる炎と生来のアリスの冷静さは、一つの結論を導き出していた。ここのところの迷宮都市で起きた事件の渦中に【サバイバー】という冒険者パーティーがあることを。
今日ニックたちを呼び出したのは、本当に茶を奢って知己となるためだけだ。恨まれているから気をつけろという忠告は半分本当だが、半分は信頼を得るためにひねり出した方便に過ぎない。後は回数を重ねていけば自然と謎へ近付くだろう。そういう予感がアリスにはあった。
「迷宮都市の平和を守るのは私達だ。それを思い知ってもらおうじゃあないか」
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