やくざ神官 2
「……お前や冒険者のようなヤクザ者を雇って何の利益がある」
「黄鬼病の予防や早期発見。その他の伝染病なども幾つか」
ゼムの言葉に、ルパードの表情がますます険しくなっていく。
だがゼムは構わずに話を進めた。
「ナルガーヴァさんが何を目論んでいたかはともかく、医師としての実力は確かでした。彼の残した手記は今、騎士団に渡っている。騎士団からあなた方へすんなり渡るかというと難しいところでしょうね。正直言ってこれは金のなる木と言えましょう。ですが今、未だ病気が蔓延している建設放棄区域でナルガーヴァさんの手記を元に病気の伝播を沈静化できたならば」
栄達は思いのままではありませんか? とまではゼムは言わなかった。ゼムはまだルパードがどういう人物かは図りかねていた。単純な目先の損得だけに転ぶ人間かどうかはわからない。だが目の前の餌を蹴るほど自尊心が高い人物とまでは思わなかった。一種の賭けに近い。
「何もずっと僕を雇って欲しいと言うわけではないんですよ。建設放棄区域を歩くノウハウを手に入れたならば僕とはすっぱり手を切っても構いません」
その言葉に、ルパードはようやく眉を緩めて溜め息をついた。
「英雄だな。病の苦しみに喘ぐ貧民を救済し、栄達や立身出世をつまらぬとばかりに捨てる」
「そんなつもりもないのですが」
「儂の嫌いな人種だ」
ルパードはそう言ってじろりとゼムを睨む。
「英雄じみたことが嫌いなのではない。英雄じみているくせに責任を他人におっ被せようとするところが嫌いだと言っておるのだ」
「それは、責任は責任ある立場の人間が取るべきものでしょう。破門された神官が取れる責任など、自分の命か財布のはした金しかありません」
「ならば責任ある立場にしてやろう」
「え?」
今度はゼムが驚く番だった。
ルパードはゼムの表情を見て嬉しそうに微笑む。
「別に冒険者を辞めろなどと言うつもりはない。神官の身分で冒険者をやる者など幾らでもいるからな。だが身分を示す必要があるときにこれを使うが良い。使いたければな」
そう言ってルパードは席を立ち、とある物を持ってきてゼムに渡した。
鎖のついたメダルだ。そのメダルには麦穂が描かれている。ベーア神殿の神官のみが所有することを許されている物だ。つまりこれは、神官であることを示す身分証に他ならない。
「……僕に、ベーア神殿に入れと?」
「だからそうは言わんよ。だがこれを一度使えば、我が神殿に入ったということになるなぁ?」
「さきほど、功績が認められれば神官への復帰も叶うかもしれないと仰いませんでしたか? 功績も出していない人間にこのメダルを与えるのは筋が違うのでは?」
「とぼけるな。お前のやったこと、お前がこれからやろうとしていること、どれも十分な功績と言えるではないか」
ゼムが渋面を作る。
それを見て、くっくとルパードが面白そうに笑った。
「それは僕が破門された経緯を知った上での言葉ですか?」
「知っておるとも。破門神官が出入りしている話を聞いて儂も軽く調べた。おぬしが問題になるのであればまたここから破門すれば良いだけのこと」
「しかしですね……」
もしゼムがベーア神殿へと入って再び破門されることがあれば、ルパードも同じく何かしらのペナルティを受けることになる。身分や職責というのは、与えられた者と与えた者の連帯責任であることが世の習いだからだ。既に一度破門された人間を取り立てようとするのはあまりに酔狂すぎる。
「お前が権威を欲する日を楽しみに待っているぞ」
ゼムの目の前に座る男は、思った以上に懐の広い人物であると認めざるをえなかった。
観念したかのようにゼムはふうと溜め息をつく。
「……いやはや、試すようなことをして申し訳ございませんでした。人を試すならば試されることも覚悟するべきですね」
「そういうことだな。ともあれ、お前の目論見通り動いてやろう。実際に利益のある話だからな。お前が欲望に転ばない限り、責任も名誉も儂のものだ。分け前が欲しければいつでも来るが良い」
そして二人は、意地悪く笑った。
客人用の茶を持ってきた見習いらしき少女の神官が「なんだこの人たち、気持ち悪い」という目で二人を見つめていた。
◆
「すさまじく疲れました」
「お、おう……お疲れさん」
ゼムが死んだような顔をして、ぐったりとカウンターに突っ伏している。
その姿を見たカウンターの犬人族の女もどこかおっかなびっくりな様子だった。
「この人がこんな顔してるの初めてなんだけど、何かあったの?」
「いや、まあ、忙しくってな……。とりあえず酒でも頼もうか」
そうニックが言うと、犬人族の女がすぐに用意をしてきた。
魔物の特殊な骨を加工した小さなグラスにぶどう酒が注がれている。
そしてその隣には、皿の上に丸い棒状の木の枝が置かれていた。
「なんだこれ」
「かじり木だけど? あ、プレーンじゃなくてレモンフレーバーのほうが良いかしら?」
「いや、そうじゃなくて……」
頭に疑問符を浮かべるニックだが、ゼムがその木の棒を掴んだ。
「あ、我々のお通しはナッツやクルミで大丈夫です」
「おっと、そういえば人間族はいらないんだっけ。歯が弱いのも悪くないわね」
犬人の女性は別の小皿を差し出してきた。
素焼きにして塩をまぶした豆やナッツが乱雑に盛られている。
シンプルだが、酒のあてにするには悪くないなとニックはひとつまみする。
「いきなり木を出されたのは初めてだな……」
「ここは店員も客も犬人族や兎人族が多いんですよ。なのでかじり木をお通しにしてるんです」
「だからかじり木ってなんなんだ」
「歯が成長する種族は、堅いものを齧って歯が伸びすぎないようにするんですよ。特に都市の食事は柔らかいものが多いですから、定期的にこういう木などをかじらないと歯が傷んだり歯の病気になったりするんです」
「へえ……知らなかったな」
「こういう店じゃない限りあんまり見せないからね。他の種族に見せると獣っぽいとか馬鹿にする人もいるし」
「なるほどな」
「かじってみる?」
にやっと犬人族の女性が笑いながら、引っ込めようとしたかじり木をもてあそんでいる。
「よし、物は試しだ」
「え、本気?」
「試さなきゃわかんねえだろう」
「物好きねぇ」
ニックが木を咥えるのを見て、女がけたけたと笑った。
「どう? 美味しい?」
「犬人族になった気分だ」
「つけ耳でも付けてあげましょうか」
「それはいらねえ」
ニックは囓った木を皿に戻し、ごく普通に酒を飲み始めた。
「とりあえずわかったことは、人間は歯磨きの方が大事ってことだ」
「大事な悟りを得られましたね」
「ゼムは噛んだことあるのか?」
「ありますよ。犬人族や虎人族の歯を診ることもありましたからね。こういうのを自分でも試しておけば話に説得力が出ます」
「お前すげえな……歯も治せるのか?」
「いやいや、流石に治せはしません。これもちょっと専門的な魔術が必要になりますからね。でも人手が足りなすぎて虫歯の治療や歯石取りを手伝ったことは何度かありますよ」
「そりゃ大変だな」
「専門外だと言っても土下座される勢いで頼まれることが多いんですよね……」
はぁ、とゼムが溜め息を吐く。
「今回も大変だったな。無事終わったのか?」
「ええ。ナルガーヴァさんが使ってた診療室に、近くの神殿の神官が出入りすることになりました。まあ僕も何回か手伝うつもりですが、最終的には完全に任せようかなと」
「さらっと言ってるが凄くないか、それ」
「さて、どうでしょうね」
「謙遜するなよ。しかしこのままナルガーヴァの後釜に座るのも面白かったんじゃないか?」
ニックの冷やかすような声に、ゼムは真剣に頭を抱えた。
「そういうわけにもいかないんですよね……。実際そういうスカウトも受けましたし、報酬も提示されました」
「報酬?」
「ええ、それが問題でした。この子を好きにして良いと、年端もいかない女の子……」
「おいおい」
「……に見える、エルフの女性を紹介されました。これなら子供が怖くても大丈夫だろうと」
エルフは人より少しばかり寿命が長い。二百歳や三百歳を生きるというのは風聞に過ぎず、実際のところは百二十歳から百四十歳くらいだ。そのため、実際の年齢が四十代くらいでも十代の人間を装うことはできる。
「……ゼムはそれ、大丈夫なのか?」
「大丈夫以前に断りました。それに実際の年齢としても見た目だけロリだとしても僕はNGです」
「こ、怖い顔するなよ。悪い、変なこと聞いちまった」
ゼムの剣呑な目を見てニックはすぐに素直に謝る。
だがゼムの悩みは晴れないようで、重苦しい溜め息をつく。
「ただでさえ子供に慕われることが多いのでつらいんですよね」
「慕われる?」
「どうも僕らがステッピングマンを倒したということで評判が良いんですよ……特に子供に。ニックさんも商店街や繁華街を歩くとモテますよ」
「いやいや、オレが行っても大したことねえよ。お前はやることやったから評価されてるんだ。建設放棄区域に神官が安全に出入りする仕組みを上手く作りだしたってことだろ。そんなことができた奴なんざ聞いたことがない」
「いえいえ。僕などまだまだですね」
ゼムは笑いながら首を横に振った。
「素寒貧でどん底の人間三人ほどを更生させた人が近くにいますので」
そこで話の矛先を向けられたニックは、むせそうになるのを堪えて妙な表情をした。
「おいおい」
「おや、なんでしょう?」
「オレの場合は巡り合わせだよ。そんなことを言うより自分のやったことを自慢しやがれ」
「そうしたいところですが、至らないことばかりですから」
涼しい顔でゼムは言った。
言葉で言うほど悔やんでいる顔ではない。
ニックはふと気になって、前々から尋ねようと思っていた疑問を口にした。
「……ゼムは神官に戻ろうとか考えないのか?」
そのニックの言葉に、ゼムは心外だという顔をした。
「なんです、戻って欲しいんですか?」
「い、いやそういうわけじゃねえよ。ただ、やっぱりそういう仕事をしてるのはけっこう似合ってるとは思ってな」
「ま、自分でも悪くないとは思いました。ですが……」
ゼムは暇そうにしている犬人の店員を見て、ちょいちょいと手招きをした。
「あら、どうしたのよ」
「奢りますから、一杯付き合ってくれません?」
「まったく悪い人ねえ」
などと言いながらも、犬人の店員は嬉しそうにグラスに酒を注ぐ。
かんぱーい、と言いながらゼムと犬人の店員は美味そうに酒を飲み干した。
「……こういう風に遊ぶのも中々難しくなりますから」
「違えねえ」
「まだまだ冒険者を辞める気はありません、よろしく頼みますよ」
ゼムが杯を掲げると、ニックは笑いながら自分の杯を合わせた。
杯が打ち合う軽い音がカウンターに小さく響いた。