神官/冤罪ロリコン/色街通いのゼム 2
ゼムは普段通り、薬草作りと怪我人の治癒に精を出していた。
ゼムの治癒は丁寧で間違いがなく、顔目当ての女以外の患者も多く来る。
今日も多くの人間がゼムの施療室に並んでいた。
今は母子ともども風邪を引いた患者に薬を与えており、母子はゼムを褒めそやした。
「ありがとうございます、ゼムさま。本当にあなたみたいな人が居てくれて助かります」
「いえいえ、これが私の仕事ですから」
「そういえば聞きましたよ、なんでも上級神官に昇格なさるとか」
その言葉に、ゼムは眉をひそめた。
確かにゼムの耳にその話は届いていた。
だが通常、上級神官は然るべき経験を積んだ上でなるべきものだ。
各地を巡礼して幾つかの神殿から推薦状を貰い受けるなど、多くの苦労をしなければならない。
20代で、しかも巡礼の旅に出たこともないゼムが昇進するなど横紙破りが過ぎる。
そのため、ゼムは昇進の話を持ちかけた神殿長には辞退すると伝えていた。
「まさか、私のような若造などには務まりません」
「そうですかねぇ……。私らのような者達にはありがたい話なんですけれど」
ゼムは苦笑いしながら、患者の話を聞き流す。
あまり目立ちすぎても無駄な嫉妬を招くだろう。
ゼムはそう思って、賞賛の言葉をあまり真に受けないことにしていた。
だが、それはもうすでに遅かった。
「どけどけ! ゼムはいるか!」
「な、なんですかあなた達……!?」
人ごみを乱暴にかき分けて、同門の神官5名が突然乱入してきた。
患者達は困惑しながら、入ってきた神官とゼムを交互に見つめている。
「クロア殿にシェイク殿……みなさん、一体何事ですか?」
「ふん、白々しい!」
やってきたのは、ゼムと同格の中級神官だ。
先頭に立っているのはクロアという40絡みの男で、普段からゼムに対して風当たりの強い男だった。
理由は考えるまでもない。誰がどう見ても、異例の速さで中級神官に出世したゼムをクロア達年配の中級神官が妬んでいたからだ。
「……すみませんが、理由を話してくれなければ私からはなんとも言えません」
「まだシラを切るか! この神官の風上にもおけぬ不徳者め!」
「ですからクロア殿……」
埒が明かないな、とゼムは思った。
周囲に居る患者達も不穏な空気を感じつつも、ゼムのことを疑っていなかった。
だがクロア達が持ち出した話は、全員を仰天させるにふさわしかった。
「どうしても自白しないと言うのならば、ここで明らかにする他無いな……。おい!」
「はっ」
クロアの部下の神官が、一人の少女を連れてきた。
その顔は泣きはらしており、髪も乱れて、いかにも乱暴にあったかのような立ち振舞いをしていた。
「ミリル! どうしたのですか!?」
ゼムは驚いて立ち上がり、ミリルの側へ行こうとする。
だがそれをクロアが制した。
「ゼム、貴様にはこの子を乱暴した疑いが持たれている」
「はあ!? 何を血迷ったことを……」
そのゼムの言葉を遮ったのは、ミリルの叫び声だった。
「そうよ! この人が私に乱暴したの……ゼム様のこと、信じてたのに!」
「な、何を言ってるんですか、ミリル……?」
「いい加減に観念しろ、往生際が悪い! 連れて行け!」
周囲に居る人間達は、この強引な逮捕劇を信じてはいなかった。
誰がどう見てもあからさま過ぎた。
「ぜ、ゼム様は今日はずっとここで治療してたよ!」
「貴様、神官に意見する気か!?」
「ひいっ」
だが、神官とは名誉職である。
貴族階級には劣るし義務も多いが、それでも平民に比べれば様々な特権を持つ。
人々を癒し、施すことはあっても、それは神のために行われるものだ。
神官の業務を邪魔する権利など、平民には無い。
「乱暴はおやめなさい!」
ゼムはそう言ってクロアに食って掛かるが、クロアは鼻を鳴らして嘲笑する。
「ならば大人しくついてくることだな」
「くっ……!」
◆
ゼムが連れて行かれるまではあまりにも強引であり誰の目から見ても不自然だった。
ゼムの世話になった人間や、ゼムに思いを寄せる女性達が抗議の声を挙げた。
だが、新たな事実が判明した。
ゼムの施療室の棚に、毒草があったのだ。
人を麻痺させる毒。
興奮をもたらし、媚薬としても使われる毒。
倦怠感をもたらす毒。
こればかりは濡れ衣ではなかった。
実際にゼムの施療室の薬箱に保管されているのを見た患者が居たのだから。
ただし、毒と薬は紙一重だ。
ゼムは書物を開いて様々な薬を調合していた。
あくまで薬のために毒草を利用してるだけだ。
だがそんなことを理解できる平民は少ない。
少なくとも、文字を読むことさえ難しい貧しい患者達には理解できない。
一方で、薬師としてそれなりに知識のある神官達はゼムを妬むか、あるいは火の粉が自分に降りかからないよう口を噤んでいた。
そして……
「はぁ……困ったものだ」
ロディアーヌ神殿の神官長マディアスは、執務室で副神官長に呟いた。
「どうなさるおつもりですか?」
「嫉妬にかられて動いた人間が想像よりも多い。残念だがゼムは放逐だな」
マディアスは、ゼムの無実を確信していた。
だが、あえて弁護することは避けた。
マディアスは神官長であり、この神殿の最高権力者だ。
もっとも優先されるべき彼の務めは神殿を守ること。
そして己の立場を盤石にすることだった。
「ゼムがミリルのような子供を狙う男だという噂が存外に出回っておりましてな……いやはや、手のひらを返す人間が多くて恐ろしいものですよ」
「あやつはな、美しすぎたのだ」
「ええ、ですので女には人気でしたが、男には不評でしたな」
「そうではない、女にとっても美しすぎたのだ」
「はあ?」
「あまりに美しすぎるものは異性でさえも嫉妬するものよ。お前も綺麗過ぎる女を見ればわかる」
「はぁ……そんなものでございますか」
「ともかく、ゼムは敵を作りすぎたな。上の神官に賄賂を贈るなり、部下からの賄賂を受け取って便宜を図るなりして自分の派閥を作っていれば弁護する神官も居ただろうに、奴は潔癖すぎた。ちょっと揺さぶっただけでこの有様だ。こうなったら仕方あるまい。それに」
「それに?」
「今回、ゼムを陥れた神官どもの弱みも握れる。悪いことでは無い」
「悪いお人ですなぁ……」
そんな思惑のために神殿の上層部は、ゼムにかけられた冤罪を見過ごした。
身近な人間の嫉妬と、多くの民衆の「もしかして」という好奇心。
そして権力者の事なかれ主義が、ゼムの犠牲を良しとした。
◆
3ヶ月に及ぶ投獄の末、ゼムは街の裏門から追い出されることとなった。
これだけ長期の投獄になったことには思惑があった。
冤罪ではないかという疑いと怒りが静まり、ゼムの醜聞があたかも事実であるかのように扱われるようになってからの放逐。こうすることで、神殿が民衆に恨まれることを避けた。
そしてそれ以上に大事なのは、
「あれがゼムの姿かよ……」
「なんてみすぼらしい」
「噂は本当だったみたいだな……」
ゼムが、人を魅了する美貌を失うことだった。
げっそりとした頬。
落ちくぼんだ目。
汚れ、くたびれた衣服。
それでもまだ、一般人より幾分かは美しい。
だがそれまでゼムの美貌に価値を見出してた人間を幻滅させるには十分だった。
「……ゼムが悪いのよ」
ミリルは遠くからそれを眺め、吐き捨てるように呟いた。
自分を受け入れないから悪いのだ。
私の思い通りになるべきなのだ。
そうやって湧き上がる罪の意識を、自分の悪徳で飲み干そうとした。
ミリルと同じ孤児院の少女達は誰もがミリルを疑った。
だがミリルは、完璧な被害者の演技をやり通した。
ミリルが嘘の告発をしただろうと思う者は少なからず居たが、それを公言できる者はいなかった。ゼムの声も、ゼムの顔も、投獄されてから街から追放されるまで一切出てこなかった。そしてゼムが神殿から追放という罰を受けたということは、神殿や神官長は「ゼムに罪がある」と判断したことに他ならなかった。そこに異を唱えられる者は居ない。
結果、「ゼムが裏では悪どいことをしていたのだろう」という憶測が出回ることになった。街の人間にとって「冤罪の人間を見殺しにした」、「嘘で大人を陥れる恐ろしい子供が居る」という罪悪感と恐怖を抱き続けるよりも、「悪人のゼムをこらしめました、めでたしめでたし」というストーリーの方がはるかに受け入れやすかった。
「出て行け! この変態野郎!」
「ロリコンめ! 神官の風上にも置けない奴だ!」
「あんたを信じてたあたしが馬鹿だったよ!」
そしてゼムは誰からも守られることなく、投げつけられる罵声と石を浴びながら街の裏門をくぐった。
聖なる神殿に庇護を受けた街、ロディアーヌは、ゼムを追放した。
裏切り、冤罪、侮辱、暴力。
あらゆる悪徳を押しつけられるが如く、ゼムは外の荒野へと追い出された。
だがこれこそが、ゼムの聖職者としての本当の始まりと言えた。
◆
ゼムは、一人で街道を歩きながら何度も呟いた。
「……どうして、どうしてこんなことになったのか」
同級の神官達やミリルに騙されて以降、ずっとこの言葉を繰り返している。
問いかけに答えを出してくれる者はいなかった。
取り調べがあったのは捕まってから2、3日程度のもので、3ヶ月のほとんどは牢屋に入れられてほぼ放置されたようなものだ。看守もゼムとの会話を禁じられているのか、どんな問いかけにも答えてくれることはなかった。「なぜ」、「どうして」という言葉だけがゼムの頭の中を堂々巡りしていた。
3ヶ月に渡る孤独な獄中生活はゼムの精神を摩耗させ、そして顔つきさえも変えてしまった。やせ衰え、炯々(けいけい)とした目つきになり、ゼムの雰囲気に甘さが消えて凄みのようなものが現れ始めた。
そして牢から出たゼムを見て、誰もが手のひらを返した。
自分がどれだけ顔というものに助けられていたのかをゼムは初めて気付いた。
だが、この時点ではゼムは堕落しきってはいなかった。
自分が自分の美の利点に無自覚だったことは恥ずべきことだと思ったからだ。
だからゼムはこの時点で、いつか冤罪を晴らして戻ろうという希望を抱いていた。
そんなゼムが神殿への復帰や名誉回復を投げ出してしまうのは、追放されてさまよっているときに訪れた村でのある出来事が原因だった。
「神官様いらっしゃい、うちの宿へ! 巡礼の旅か何かかい?」
「……ええ。そんなところです」
ロディアーヌの街から徒歩で一週間ほどの距離の宿場町、マレード村。
そのマレード村の宿屋の女将ヴェルキアは、三十がらみの未亡人だった。
子供もおらず、自分の両親の面倒を見ながら宿屋をきりもりしていた。
客は冒険者ばかりだ。丁度ここは迷宮都市と国境を結ぶ線の上にあり、多くの馬車や竜車が行き来する活気ある町だ。ヴェルキアの宿はそうした冒険者向けの宿であり、若い冒険者の面倒を見るのがヴェルキアの仕事だった。
元々ヴェルキアは冒険者であり、女戦士だ。結婚を機に宿屋に転職したが、体格も体力もある。面倒見は良いが、不埒な客の尻を蹴り上げるくらいは平気でやってのける女だ。女手一人だろうと何の問題も無い。
ただ最近は腰の痛みが強く、宿を縮小するべきかどうかを迷っていたところだった。今は冬が開けたばかりで宿の客も少ないが、これから夏にかけては大勢の客が詰めかける。人を雇うか仕事を減らすか、思案のしどころだった。
そんなときに来た客がゼムだ。
ゼムはすぐにヴェルキアが腰を痛めていることを見て取り、提案した。「よろしければ治療しましょうか?」と。
ちょっとした傷や怪我はともかく、腰痛のような慢性的な痛みを治すにはそれなりの技量が必要になる。ヴェルキアは、失敗しても毒にはなるまいと思い、半信半疑のままゼムの申し出を受けた。
そしてゼムがすぐに治癒魔法をヴェルキアにかけ、嘘のように痛みが引いた。
ゼムにとっては「それなりの技量が必要な治癒」など、ごく簡単なものだ。
「まあ!? こんなに楽になるなんて、何ヶ月ぶりだろうね……!?」
「重い物を持つときは姿勢に注意して、あとは寝るときの姿勢なども気をつければ腰痛は減りますよ。お大事になさってください」
「ああ、お待ちよ。こんな素晴らしい治癒をしてもらえたんだ。お礼を……」
だが、そこでゼムは首を横に振った。
「いいえ、気になさらないでください」
「はぁ……それでカネを稼ごうって気はないのかい?」
「無いわけでは無いのですがね。あなたのような素敵な人がこうしてお礼を言ってくれただけで嬉しいですよ」
ゼムはすでに、十分に報酬をもらっていた。
自分の素性を話していないとは言え、無視もせず、侮蔑や見下しもせずに話してくれる人間など久しぶりだった。ヴェルキアと普通に話すだけで十二分に癒しだった。そういう意味での「素敵」だった。
だがヴェルキアはそれを勘違いした。
「へえ……。でもあんた神官だろう? 良いのかい?」
「ん?」
そしてゼムも、勘違いした。
こういうときはお布施を受け取るのが神官の仕事だ。どんな建前があったところで霞を食って生きているわけではない。災害のあった場所での奉仕活動ならともかく、平時で無料での治療は神殿のルール違反だ。元神官のゼムには、そんなルールに縛られる必要もない。
だがヴェルキアは別の形での報酬を要求されてるのだと理解した。ゼムは、「良いのかい?」という言葉が「ゆきずりの女を口説くなんてやんちゃな神官様だね?」という揶揄だったことに、気付かなかった。
「ああ、私は元神官です。その……色々あって辞めてしまいましたので、俗世に生きる身となりました」
「なるほどね」
ヴェルキアは納得した。
そういえば神官が首に下げているはずの十字架も無い。
今はどこの宗派にも属していないということだろう。
だったら、夜を楽しんでもまったく問題ないわけだ。
ヴェルキアにとって、ゼムのような客は新鮮だった。
来る客はどいつもこいつも粗野な冒険者ばかり。ヴェルキアは、自分が男勝りで生意気だと見られていることを自覚している。生来の気質であり、直す気も無い。そんな自分を口説こうとするのは、己の男らしさに自信のある冒険者ばかりだ。自信過剰と言っても良い。
そのため、ゼムのように優しく紳士的に治療を施してくれる人間から口説かれたことは初めてだった。浮世離れしたお人好しの聖職者であればヴェルキアの好みではなかっただろうが、聖職者らしからぬ陰りのある顔をしているところもグッと来た。
その晩。
ゼムは貞操を失った。