第一章4 魔王と勇者1
「おぎゃあああああああああああああああああああああ!!!」
おっさんの叫び声は、赤子の産声となって木霊した。
夜も更けて、日付を跨ぐまでもうすぐと言う時間帯。産声をあげた赤子は、最後の力を振り絞ったかのような大きな声を上げている。
まるで声を主張するかのような大きさだ。
おっさんの甲高い産声が響き渡る部屋には、四人の大人がおり、ほっとした空気が流れる。
たった今、赤子を生んだばかりの母親の額には大量の汗が溢れており、出産に悪戦苦闘していた。
予定日通りの出産ではあったものの、破水してから長時間にわたる格闘。
最悪の場合、お腹を切り開いて、上位回復魔法で母体の方を回復させる手筈も整っていたが、赤子は自然分娩で無事に生まれた。
私達の宝。
妻の手を握って見守っていた夫は、ありがとうと涙ぐむ。
「ソフィー。よく頑張った。ありがとう」
「ふふっ。貴方の声が私たちの子供の声より小さいなんて、将来この子はあなたより元気になりそうね」
助産していた眼鏡をかけた神官の男は、経った今生まれた赤子の身を魔法で綺麗にすると、ソフィーと呼ばれた女性――ソフィアの横に寝かせる。
「おめでとうございます!元気な女の子です!」
「ああ、この子が私の娘なのね」
母親は赤子の小さな手を指先でツンツンと触った。夫と目が合えば、喜び合うように頬が上がる。
我が子にどんな祝福があるのか、どんな職業をもっているのか。
将来どんな子に育ってくれるのか。
この子がしっかりと育つまで、親として守っていこう。
夫婦は、事前に決めていた決意を振り返り、我が子の輝かしい未来を確認した。
「「『鑑定』……」」
スキル『鑑定』。
物であろうが者であろうが鑑定することが可能であり、鑑定スキルのレベルによって閲覧できる内容が異なる。
夫婦の間でも鑑定スキルのレベルの差はあったが、二人とも名前、性別、種族、職業、技能を確認することができた。
名前:「空欄」。
性別:「女」。
種族:「人」。
職業:「村人」「魔王」「魔法使い」
技能:「丈夫な体」
鑑定で見ることのできるステータスを見た瞬間、夫婦の口からは空気が零れた。
瞳には魔王と言う文字が確認できる。
たった今生まれて来た命には輝かしい未来があり、夫婦は、我が子のため、家族のために生きていこう。
そう誓っていたのに。
赤子の職業は、魔王だった。
「そ、そんな。私の娘が魔王になるなんてっ」
我が子が無事に生まれたことによる安堵。
鑑定によって思い知らされた驚愕。
出産したばかりのソフィアは、気が遠くなる。横になっているにもかかわらず、世界が回るような眩暈が襲った。
「…………………………ッ……」
そんな妻の弱弱しい声を聞きた夫も動揺を隠せない。すぐそばにいる神官につい目線を向けても、その瞳は焦点が定まらない。
――俺たちの娘、魔王なんだけど?
言葉にしなくても、言いたいことが神官に伝わるほど、夫婦の目は泳いでしまっていた。
先程まで妻の手を握っていただけで疲れる要素は気持ちぐらいにもかかわらず、男の額には妻以上の汗が流れる。全身からは冷や汗が滝のように流れていた。
(俺たちは元気な子を望んだ。だが、この子に魔王を授ける必要があるのか?この子が魔王なら世界が動く。でも俺たちには成し遂げなければいけないものがある……。どうすればいいんだっ……)
ここにいる四人は、魔王の伝説を知っていた。
九百年以上前の魔王伝説。聖女になった者に口頭で伝わってきた伝説と予言。
かつて、邪神が混沌の世界を生み出した。混沌の世界で生み出された中でも一番身近にある恐怖は、モンスターの誕生。
人々が生きていくにはとても太刀打ちできるような世界ではなく、対抗するための勢力として魔王と勇者が誕生した。
魔王と勇者は、脅威のモンスターを倒し、ダンジョン奥深くにいる邪神の元までたどりつき、あと一歩のところまで追いつめた。しかし、魔王と勇者は、邪神を討伐することができずに最終的に魔王と勇者が殺し合い、二人まとめて葬られてしまった。
そして神々から、『魔王が再びこの世界に降り立つとき、未知の力を誘うであろう』『魔王が生まれた後、どこかの地で勇者も生まれるであろう』という予言を授かっている。
葬られたその魔王と勇者を最後にして、今まで魔王も勇者も職業として獲得するものはいなかった。
それが、たった今、魔王が誕生した。
魔王伝説通りなら、この赤子が世界に大きな揺るがすことを起こすのは目に見えている。魔王伝説を知っていれば、誰でも容易に考えつく。
(親としてこの子が魔王であることを隠したい……だが、うまくいくだろうか?)
夫婦の不安は大きくなる。
出生手続きはこの世界に生まれ落ちた瞬間、世界のスキルによって自動的に行われてしまっている。閲覧する方法を知っているものが一人一人調べていけば、魔王である人物にたどり着くかもしれない。魔王がいると確証があれば誰が魔王なのか突きつけることも簡単だ。
(この子が魔王であることを隠し通すことは簡単ではない。この子が魔王と分かれば、まず間違えなく反邪神教団と魔王軍が動くだろう……俺はどうすればいいんだっ……)
ソフィアの夫――リュウゼンは魔王を隠す方法を考えても、いいアイデアは思い浮かばない。
魔王の存在を隠さなければ、我が子の安全は守られない。この世界には、魔王を狙うものはたくさんいる。
この世界は、邪神の加護を得ている魔物や悪意のある悪魔によって世界は蹂躙されている。
魔王の存在は、今の世界バランスを崩すのに十分な材料であり、反邪神教団や魔王軍は喉から手が出るほど欲している。
魔王を放置するわけがない。
反邪神教団と魔王軍が動きだせば、悪魔が介入してくる可能性も捨てきれない。
せっかく生まれて来た小さな命が、世界の混沌に巻き込まれてしまうのは、親として看過できなかった。
「「「…………………………」」」
「「すぴー」」
リュウゼたちは寝息を立てる二人のうち、大人の方に視線を向けた。
神官の妻が寝息を立てている。
彼女は、彼女こそが魔王伝説の伝承を伝えられた聖女だった。
ソフィアが横になっているベッドの隣のベッドで眠る中、つい数分前までほっとしていた空気は消え失せていた。
緊張感に包まれている。
「ゴグリ」
リュウゼンは唾を飲み込んだ。
聖女を起こして聞きたくても、その聖女は、出産の予定日が明日に控える妊婦。
友人の妻であり村の守りの要である聖女に、出産以外の負担を強いることはしたくない、
リュウゼンは、静かに神官の言葉を待った。
「ふむ……」
聖女の夫である神官の男――ノークスは、静かに考える。
「「「……………………………………………………」」」
「「すぴー」」
緊張感が高まる部屋では、赤子と聖女の寝息が静かに響いていた。
ノークスが無言を貫く短い時間が、ソフィアには長く感じる。
魔王を処分するのか、魔王を生む可能性がある夫婦を処分するのか。それとも他のことを述べるのか。
ノークスは神官長として勤めていたこともあり、神々が関わることの判断は間違えない。ノークスが魔王の存在を危険と感じれば、他の神官も危険と感じるだろう。
ソフィアは、ただ我が子の事を守りたい一心で、自分の混乱を押し込めた。
(お願い。私たちの宝が生き残る方法を。底のない闇に消えていかない方法を。教えてほしい。ノークスなら出来るでしょう?)
ソフィアは、手を胸の前に当て静かに見守る。
ノークスが口を開いた瞬間、ソフィアの口からは不安が零れ出た。
「あなた。私のせいなの!?」
ソフィアには、少しずつ大きくなる不安を押し込めることができなかった。
ソフィアは、涙ぐみながら我が子を大事に抱える。
リュウゼンは、ソフィアが手を震えさせながらも子を守る姿を見て、大きな手を握りしめた。
「そんなことはない!ソフィーのせいではない!この子が魔王なのは、俺が精霊から最も嫌われていることが原因かもしれないんだっ!!!決してソフィーのせいではない!!!」
一体どうしたらいいんだろう。
ソフィアとリュウゼンは、神の使いでもある神官に助けを求めるように一斉に振り向いた。
ノークスの口から大きな息が吐きだされると、ノークスは手におえないと言わんばかりに手の平を上げる。
「なんか、二人してこっちを睨みながら泣いていますが、私の妻の予定日が明日なんで、もう寝ていいですか?」
「「え?」」
リュウゼンとソフィアはノークスが言ったことを理解できなかった。
これから魔王を亡き者にする。魔王の死体とばれないように処分する。そのための長考だと思っていれば、第一声が「寝たい」という言葉だった。
ノークスは、二人が理解できる前に、結果を言い放つ。
「いや、私が神官であるとはいえ、先天性職業が魔王だからっていってすぐに殺すわけがないでしょう?だってその子の先天性職業は、魔王以外にもありますので」
神官の呆れた表情を見て、娘にかけられた鑑定結果をもう一度見て、ソフィアは肩の荷を下ろした。
「本当だわッ。この子を殺さなくて済むのね、よかったっ……ぐすん……」
この世界の人々は、職業と呼ばれるさまざま才能を持ち、それら職業の生き方をすることで成長していく。
剣士であれば剣を、農家であれば農具を。専用の装備を使用すれば、ステータスが鍛えられていく。職業は生まれつき持っている先天的な職業もあれば、並々ならぬ努力によって新たに獲得する後天的な職業もある。
だからこそ、生まれ持った先天的な職業は一人に一つであるとは限らなかった。
ソフィアとリュウゼンの娘には、確かに魔王であったが、魔王の他に「村人」と「魔法使い」という職業を手にしていた。
職業の順番が、村人、魔王、魔法使いであり、村人が一番先頭に表記されている。
名前のある生物を閲覧した時、表記される職業は一番先頭に表記されている職業。
二番目以降の職業を見るためには、実際に触れて鑑定を使用しない限り見ることはできない。
魔王であっても、すぐには狙われることはない。
ソフィアは、未だにつけていない名前をリュウゼンに尋ねる。
「ねえあなた。この子の名前はもう決めているのでしょう」
「ああ、誰にでも優しくあって、人類の希望に育ってほしいと思ってユウキがいいと思っていたんだが、魔王であるものは、名前のどこかに『マオウ』とつけないと名前として認められない決まりがあったはずだ」
「そう言えば、そんな決まりあったわね。すっかり忘れていたわ」
「ああ」
「うおっほん」
二人の世界に入りかけているソフィアとリュウゼンを見たノークスは、咳払いした。
魔王であってもすぐには殺されないことに安心したのだろう。ノークスは、長時間無言だったことに申し訳なく思いながらも、今回はただ見逃しただけだとは口が裂けても言えなかった。
「……二人だけの空間を作らないでください。またマーベルに悪影響があったらどうするんですか?ソフィアさんにはヒールも十分にかけましたし、もう大丈夫でしょう。出血した血は戻りませんから、しばらく貧血が続くぐらいですし……」
「ありがとうノークス。マーベルも近い時期に悪いな」
「本当にそうですよ、あの日のことは思い出したくもない。あなたたちがマーベルを唆したせいで、私も羽目外し過ぎてしまいました……」
ノークスは語尾を濁した。
同じ村に住んでいて、予定日が一日違いになることなんて滅多にない。
色恋沙汰に興味津々のマーベルに大人の知識を吹き込んだソフィアがいろいろと計画した結果、一日違いの予定日になっている。
ソフィアの子が魔王と言うなら、同じタイミングで同じ場所にいたマーベルの子はどうなるのだろう。
聖女の子も魔王だろうか。
ノークスが葛藤していると、ソフィアはノークスの父親としての不安を感じとった。
ソフィアは、マーベルのお腹を見る。
「私の娘が魔王だったら、マーベルの子供は勇者だったりして」
「はははっ、そんな都合のよさそうな話しはないだろう」
リュウゼンは、ソフィアの言葉を笑いながら流した。
ソフィアは気が利くけれど棘が隠れている。
リュウゼンは、ここぞという場面での戦闘では頼りになるが、頭まで筋肉でできていると思われるほど気が利かない。
二人の短いやり取りをみたノークスは、いつの間にか手汗が出ていた。
赤子を取り上げた時よりも、緊張していることを自覚したノークスは、眼鏡をかけ直す。
「そうですね。そんな偶然があったら、私はマーベルのいうことを一つだけ叶えてあげてもいいでしょう」
ノークスは、開いているベッドで仮眠をとるため、横になった。
明日になれば、今度はマーベルの出産が控えている。
村にいる唯一の神官として、命は必ず守って見せる。マーベルに対してそんなことは口が裂けても言えないだろうが、ノークスは密かに思っている。
ノークスは、毛布を被って瞳を閉じだ。