第一章1 メイド喫茶
初めましての方。初めましてでない方。メリーです。よろしくお願いします。
街灯の光が夜の街を照らす中、ひっそりと開かれているメイド喫茶で、カメラのシャッター音が響いた。
写真に写ったのは、二つの顔。所謂ツーショットと言うものである。
オタクの聖地とも言う人がいる喫茶店。可愛い服を着た女の子が、役になりきって営業する喫茶店。そんなお店をメイド喫茶といい、今、撮れられたツーショットの写真もサービスの一つだ。
「ディーネたん可愛い、ぐへへっ」
「……その気持ち悪い顔を向けないでください」
「うひょおおおおおおおおおおぉぉぉ!ツンのディーネたんもいいっ!!!」
ディーネたんと呼ばれた女性は、このメイド喫茶の店長である女性であり、定員ネーム『神風』。
ぐへへっと笑うおっさんは、メイド喫茶に二十年通い詰めているオタク中のオタク――佐藤優希だった。
十歳のころから、二十年間皆勤賞のキングオブオタク。開店初日のメイド喫茶で働いている女の子に一目惚れし、恋をこじらせすぎた痛い人。
そんな優希の格好は、破れたジーパンにジャージ姿という残念な服装で、務め会社の帰りとは思えない服装だった。しかも、手荷物のリュックサックはパンパンに膨れているという始末。見ているだけで痛すぎる人であることは、間違いない。
しかし服装や手荷物とは裏腹に、鍛え抜かれた筋肉がオタクにありきたりな見た目とはほど遠くしていた。
健康的な体。服装も破れてはいるものの清潔に保たれ、背筋を伸ばし堂々としている姿。姿勢だけ見れば、かっこいい元スポーツ選手のサラリーマンと思われることもしばしばあるかもしれない。
そんな見た目かっこいい残念イケメンは、先日、三十歳になる誕生日会もこのメイド喫茶で祝ってもらい、無事に魔法使いの仲間入りを果たしていた。見た目だけかっこいいため、きっちりしたスーツ姿の時には、告白もしばしばされたこともある。
優希には、全く伝わっていなかったが……
優希に伝わっていなかったのは不幸か幸運か。
優希は、告白に対する返事をしなくても、告白したはずの人達から距離をとられていた。
なぜなら、優希は女の子の柔らかい体で触られると気絶してしまう体質を持っていたからだ。本人からしてみれば、残念であっても回りの人からすれば、突然気を失い目が覚めればぐへへっと笑う危ない奴である。
想像しなくても分かるだろう。
心配して見て見れば、ぐへへっと笑うおっさんを。
どんなにカッコよくても、恋は一瞬で冷めてしまう。
空気の読める女性からは距離をとられ、会社の独身上司に大人のお店に誘われても何もサービスを受けられない。優希は一人寂しく二十年通っているメイド喫茶でサービスを受け続けていた。
『あいつメイド喫茶に通い詰めているオタクだったのよ』
『え!?うそお!?幻滅なんですけどお。ちょっとカッコイイかもって思っていた気持ち返せし』
そんな噂話をされている怪しい人物は、女性に触れると気絶してしまうような体質であったため、女性の手を握り続けたこともない。女性に対する気持ちが、長い年月と共に拗れ、初々しい心をもったまま三十歳を過ぎてしまった。
一目惚れした人に会うためだけにメイド喫茶に課金し続け、「ぐへへっ」と笑い、「うっひょおおおおお」と喜ぶ三十歳のおっさん。
少しお酒を飲んでいた優希は、念願のツーシヨットが撮れたことで理性と言う抑制が外れ、本能のままにディーネの手を握る。
「ぐへへっ、僕とツーショット。ディーネたん!僕と結婚しようおおおおおおおおおお!」
酔いから来た求愛。
ストーカー行為に近い迷惑な行為だったが、ティーネは優希の本質を知っており、どうすればいいのか困惑していた。二十年間ずっと好きですと言い続ける優希に対して、初めてユウキから手を掴まれたその行動。
ディーネの頬は赤く染まり、ディーネは思わず視線を逸らした。
優希はディーネを見続け、視線が合ったディーネはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……私より。私より、番となる人を一生愛しなさい」
「そ、そんな。写真のディーネちゃんは、満面の笑みを浮かべているのにっ、現実は何て悲惨なんだあああ!!!」
遠回しすることない断り文句。逸らされたはずの視線から繰り出されるジド目。
ディーネの仕草が胸に突き刺さった優希は、大げさに天井に手を向けて膝をついた。
二人の言葉によるやり取りは、このメイド喫茶では既に定番と化してしまっている。
夜の時間帯にもかかわらず、男女のカップルで座っている者たちや女性たちだけで集まっている者たちもいる。
他のお客に笑われながら見られ、初めて見たであろう者は目を見開いて驚いている者もいた。
「毎回やって、よく飽きないわね」
そんなお客の中に混じって女性四人で座っている女性の一人が呟いた。
彼女たちは、月に何度かディーネのメイド喫茶で集まるディーネの知り合いであり、毎回の様に粉砕する優希を見物している。
緋色の女性、瑠璃色のお姉さん、栗色の筋肉少女、金色のロリ巨乳。
緋色の髪と瞳。
瑠璃色の髪と瞳。
栗色の髪と瞳。
金色の髪と瞳。
カラフルな髪と瞳を持つ少女やお姉さん。ディーネの翡翠色の髪と瞳を合わせてみれば、どこぞのコスプレイヤーの集まりだと思ってしまうほどだ。しかし彼女たちは、違和感を他人に与えないほど美しい。
ディーネと仲のいい彼女たちは、顔を赤くさせたディーネをからかうようにニヤニヤ笑う。
緋色の女性は、手で口元を隠し、お腹を押さえた。
笑いを耐えようとしても、耐えることはできない。
「ぷぷっ。あらあらディーネ。顔赤いわよっ。それにそこの僕。ディーネに振り向いてほしいなら何児より強い男を求めなさい。好きになった人より強くあるべしってねっ」
「もう僕って年齢ではないんですけど……それと強い男を求めるんじゃなくて、ディーネたんより強くなるよっ、うわあああんん」
「あらこの子、けっこう酔っぱらっているわ」
ディーネだけではなく、周囲の人からも追い討ちをかけるような言葉が投げかけられた。優希の胸にはグサグサと言葉が突き刺さり、優希は思わず涙をこぼす。
口から出た言葉はもはや何をいっているのか分からない。ガラスのハートも壊れそうだ。
お酒により弱々しくなった優希の心は、深い傷を受ける。優希はその傷に浸透する悲しみを紛らわすように、人肌の温もりを求めた。
普段であれば女性に触られるだけでドキドキが止まらないはずの優希は、自分の体質など気にすることなくディーネの腰に抱き着く。
「きゃっ!?」
「うっひょおおお!!!温かいんだなな」
お酒が入っているとはいえ、優希が今までにしたことのない行動だった。理性という抑制は外れ本能が上回る。
おっさんであるはずなのに子供のようにディーネのお腹に頭を当てた。
既に心臓はバクバク音を立てているというのに、優希は体が知らせる危険信号に気がつかない。ディーネから感じる温もりから離れたくない。このディーネに抱き着いていたい。
ディーネのスカートは、優希の涙で湿ってしまっている。
「「「「きゃああああ、大胆っ!!!」」」」
見ず知らずの人相手に行えばセクシャルハラスメントになる行為で、知り合いでも不快になる行為。
いつも以上に大胆な優希の求愛行動は、見ていた人達にも衝撃を与えた。
見ていた金髪の女性は、頬に手を当て、ディーネの動きを見逃さないと見る。
「……今日だけですからね」
ディーネは周りの様子を見ると、ゆっくりとした動きで優希の頭をそっと撫でた。
優希の好意を断り続けているものの、二十年毎日通い詰め、毎日好意をストレートに表す。ディーネも、そんな彼のずれた一途な好意に戸惑っていた。
「強くなるって年収なのかディーネたん!!!」
「いえ、年収ではなくて、私とあなたでは存在自体が釣り合わないんですよ」
何を言われたのか分からない優希だったが、とどめの一撃に十分な台詞が胸に突き刺さる。
存在自体が釣り合わない。
嫌いな男性に冷たい目線を向ける女性も多い台詞でもあるが、ディーネが向ける目は暖かなそして戸惑っている瞳だった。
普通であれば、女性が断っているはずなのに、ディーネに執着している優希は、別の意味と捉えていた。そしてディーネも喜びを受け取れないもどかしさを募らせていた。
「誰かに脅されているのかい?僕にできることなら何だって言ってくれよ!強さか?僕は一体どんな強さを持てば、ディーネたんと結婚できるんだ!!!」
ストーカーに言われていれば発狂ものの言葉を、優希は平然と投げかける。目から涙を流していた顔は、上に向けられると同時に瞳には闘志が宿る。
その闘志を見た女性たちは、新しいおもちゃを見つけたように笑った。彼女たちは、コップを机の上に置いて立ち上がる。
流石に行きすぎた行為だろう。ここでぎゃふんと黙らせるのか?
――そんな事は一切ない。
緋色、瑠璃色、栗色、金色。
色とりどりの髪が、ディーネと優希を取り囲む。
「あなたたち!?優希は私に言ったのよ!?今出てこないでくれる?」
「ディーネは黙っていなさい。私はこの子に言わなければいけないことができました。汝、他人にされて嬉しい行動をとりなさい。さすればあなたに救いの手が差し伸べられるでしょう。差し伸べられる手が多いほど、あなたは強いということですよ」
瑠璃色のお姉さんは、ディーネの言葉を遮って、優希に微笑んだ。まるで神々が子供をあやすように。
優希の闘志に水がうたれ、優希の心には悟りを開いたかのような透き通った水が浸透していく。
「待て待て。強いのは、我みたいなロリ巨乳である。ロリ巨乳こそが最強にて最高の存在だ!」
「いや、強さを発揮できるのは貴殿のような肉体だよ。女性の身である私も胸より腹筋。ディーネではなくぜひ私の元に来ないか?」
金色のロリ巨乳が優希の手を彼女自身の胸に押し付け、栗色の腹筋少女が優希の手を彼女自身の腹筋に押し付ける。
優希はお酒がまわっていたことで、いつもならしない行動でも大胆にしてしまっていた。
悪酔いに近い。
そんな状態の優希は、更に胸がドキドキしていることに気がつかず、ディーネに抱き着き、欲望の赴くままに女性の体を触っていた。
「これとこれってどっちが強いっていうんだ?そもそも僕が胸の大きさで勝負してもただの胸筋だと思うんだけど?…っ!?」
「こんな巨乳と比べても私の筋肉が強いに決まっているよ。巨乳は運動するのに邪魔でしょうがないでしょ?ちょっと?泡吹いているけど大丈夫?……」
欲望の代償は重かった。
優希の心臓はドキドキしすぎて痙攣し、優希の意識は心臓の鼓動に合わせて低くなっていった。