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幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File1.波戸真澄(27) 沖縄への現実逃避
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其之四 -沖縄へ……!-

 南国の風が、波戸の全身を包んでいる。

 石垣島を含む沖縄全土は、四月上旬でも半袖の者が目立つ程に暑い。

 むしむしとした熱気と強烈な紫外線は、福岡のそれとは比べ物にならない厳しさで、アスファルトはフライパンのようだ。でも、その分、風は心地良い。


 波戸は大きく深呼吸をして、送迎ワゴン車の助手席に乗り込んだ。

「お世話になります。波戸です」

笹部(ささべ)だ。君と同じバイトだよ。気楽に接してくれ」

 笹部と名乗った男は、運転席で気持ちの良い挨拶を返してくれた。

 かなり大柄な体格で、ゆったりとしたサイズのかりゆしウェアを纏っている。

 年齢は三十代中盤といったところだろうか。顔つきは柔らかいが、隣に座っているだけで暑苦しさを感じた。




「しかし珍しいなあ。つい先日もバイトの子が増えたんだよ。

 なんでも、君と同じ福岡から人材派遣されて来たとか」

 笹部がそう言いながらエンジンを掛けると、ワゴンはドコドコと不安げな音を鳴らしながら走り始めた。

「その話は俺も聞いています。

 ……二人も押し掛けて、申し訳ありません」

 これから長く世話になるかもしれない先輩だから、印象は大事だ。

 しっかりと顔を作って謝ると、笹部はあまり気にした様子もなく肩を竦めた。


「あー、大丈夫じゃないかな。確かにうちは、独立リゾート型の店だから少人数でも営業できるけど、そこは店長が必要だと考えて雇ったはずだよ」

「はあ……じゃあ、俺もガンガン働かなきゃいけないんでしょうか?」

「そこは自分のペースでいいと思う。アルバイトなんだし」

「良かった。……あ、もちろんサボりたいってわけじゃありませんよ!」

「分かってる。そう人目を気にせず、マイペースでいこうじゃないか」

 人目だけじゃなく、天津との制約も気になっているのだが、口外しても変に思われるだけだろうから、それは伏せておいた。




 それからも適当に雑談を交わしつつ、波戸は外に広がる海岸を見ていた。

 沖縄以外ではお目にかかった事のない純白の砂浜と、どこか透明感のある海。

 その結果、海よりも深い蒼色に感じられる空。そして、それらを照らす陽光。

 波戸の望んだ光景が、ここにはある。


 しかし……それほど高揚はしていなかった。

 自宅から福岡空港までは電車と地下鉄で三十分、福岡から石垣島の移動も、飛行機で一時間で済むのだ。二時間弱では、まだ心が完全に沖縄モードに切り替わっていないのだろう、と思う。






 三十分程走った所で、クリーム色をした二階建てアパートの前で停車する。

 波戸が降りた後で、笹部は思い出したかのようにポケットから鍵を取り出し、放り投げてきた。

「ここの101号室が君の住居だ。

 ちなみに、隣の102は、君より先にバイトとして来てくれた土浦(つちうら)君」

「どうも、助かりました。先に送っていた荷物は?」

「室内に搬入済みだよ」

「何から何までありがとうございます」

「気にするなよ。それより、この辺りを案内できれば良かったんだが……」

「申し訳ないですよ、それは。

 笹部さんもお仕事があるでしょうし、自分で歩き回ってみます」

「悪いな。君の出勤は明日からだから、とりあえず今日は好きに過ごしてくれ」

 笹部は茶目っ気たっぷりに敬礼ポーズを取り、車を走らせた。姿が見えなくなることで、ようやく暑苦しさも走り去ったような気がした。



 アパートに近づくと、さすがに扉のサビや壁の色落ちが目につく。

 だが、雨を凌げれば十分だ。深く気にせず101号室の前に立ち、鍵を差し込もうとしたところで……隣の部屋の扉が開いた。

「あ、どうも。土浦……君?」

 聞いたばかりの名を反射的に呼びながら、出てきた男を一瞥する。

 小柄で短髪のさっぱりとした顔立ち。肌はまだ焼けていない。

 年齢は自分よりも少々若く二十代前半といったところだろうか。


「土浦ですが、貴方は?」

「明日からお世話になる波戸だよ。

 ほら、俺もあの胡散臭い旅行代理店に案内されたんだ」

「あ、ああ……聞いてます」

 不安そうな表情を浮かべていた土浦だったが、遊山屋の話をすると、ようやく顔色が落ち着いてペコリと頭を下げてきた。

「とりあえず、これからの一ヶ月、宜しくな。色々助けてよ先輩!」

「ぼ、僕だってまだ、全然で……」

「そんな事言わないでさ。困った事があったら相談させてよ」

「はあ。出来る限りは」

 土浦は頼りなさげに頷いた。


「で、どこか行くつもりだったの?」

「ええ。図書館に、ちょっと」

「図書館? せっかく沖縄にいるのに」

「波戸さんも一緒に行きますか?」

「荷物の整理があるから、それはやめとこうかな」

「じゃあ、失礼します。明日から宜しくお願いします」

「こちらこそ」

 土浦に別れを告げて、ようやく室内に入る。


 事前に大豊不動産で見た写真のとおり、中はフローリングの1Kだった。

 設備はシャワーとキッチン、あとはクーラーしかない。

 部屋の隅には先行して送っていた段ボールが三箱積まれ、その上に笹部と同じかりゆしウェアが置かれている。多分、ダイビングショップの制服なのだろう。


「着いた、着いたぁ」

 手荷物を段ボールの傍に投げ、フローリングに大の字で寝転がる。

 固い板ではあるけれども、不思議と、身体が沈み込むような錯覚を覚えた。


 暫く何もせずにいると、窓の外から、甲高いセミのような鳴き声が聞こえてくる。四月に鳴くセミなんて初耳だけど、ここは温暖な沖縄だ。いても不思議ではない。




「……そっか。俺、本当に沖縄に来たんだな」

 波戸の声は、ようやく高揚し始めた。









 ◇









 サンゴス・ダイビングショップでの勤務は、天国のようだった。

 波戸が担う仕事は、客の送迎やレンタル機材の整備清掃。

 その他の時間は、窓口として座っているだけで良いのである。

 その上、帰宅はもちろん定時。残業を頼まれた事は一度もなかった。

 アルバイトという立場を差し引いても楽である。


 メンバーは板垣(いたがき)という名の店長の他、それを補佐する笹部、波戸、土浦の三人。板垣は気持ちの良い挨拶をする男で、人間関係でも苦労はせずに済みそうだった。




「波戸君は、ダイビングするんだよね」

 笹部は、一緒に窓口対応する時に、よくこんな雑談を持ち掛けてくる。

「大学の頃は、毎年沖縄に来て潜ってましたよ」

「へえ。沖縄本島? それとも石垣島?」

宮古(みやこ)島です。先輩がそこの出身だったので、その縁で」

「じゃあ、お客さんと海に出たくてたまらないんじゃないの?」

 確かに潜りたい気持ちはある。

 でも、ダイビングインストラクターの仕事は、早朝から客を迎える準備が必要なので面倒臭い。それに、昨日経験したのだが、休日に店へ来れば客として安価で潜らせてもらえるのだ。


「それは店長さんの仕事ですからね。

 あとは俺、ライセンスも取ってませんから、今はとりあえずいいですよ」

「今は……って事は、いつかはライセンスも取るつもりなんだ」

「ええ。いつかは」




 話を切り上げてダイビング雑誌を眺めると、笹部も同じ行動を取った。

「店長が客と海に出ている時間はサボって良い」と笹部に教えて貰ったのである。

 彼もあくせく働くタイプではなかったが、波戸にとっては都合が良かった。


 ただ、黙ってページをめくる。

 数十メートル離れた浜辺からは微かに潮騒が聞こえてきた。

 時には、海鳥ののどかな鳴き声や、外を歩く観光客の楽しげな会話も耳に届く。

 そんな海のオーケストラを聞いているだけで、波戸は十分幸せだった。




「笹部さん、波戸さん。昼ができましたよ」

 そこへ、事務室にいる土浦が声を掛けてきた。

 それを受けて笹部を一瞥すると、彼はこっくりと頷いた。

「波戸君、先に食べてきなよ。

 窓口から人が消えるのはさすがにまずいから、俺は後にする」

「自炊まで自由だなんて、良い職場ですよね。じゃあ、お先に失礼します」


 笹部に一礼して事務室に入ると、ゴマ油の香りがほんのりと鼻に届く。

 デスクの上にはゴーヤチャンプルが置かれていて、土浦はわざわざ買ってきたと思われるミネラルウォーターを注いでいた。彼はいつも料理にはこだわる。他人の昼食も作りたがっているし、それだけ料理が好きなのだろう。


「いつも悪いね」

「好きでやってますので、気にしないで下さい」

「いやいや、そのうちお返しに、俺が飯を振舞うよ。仕事もちょくちょく手伝ってもらってるし、申し訳ないもん」

「本当にいいんですよ。自分の分は自分で……」

「水臭いなあ。まあ、そう言わないでさ!」

 そう笑いかけて着席し、料理をガツガツと口へ運ぶ。

 思っていたよりも苦味が強くて、あまり好みの味ではなかった。


「……沖縄料理って、好みが激しいよね」

「駄目な人はとことん駄目ですよね。……もしかして、口に合いませんでした?」

「あー……そんな事ないよ。うまい、うまい」

 そう言って、ほぼ一口ごとにミネラルウオーターを流し込む。

 土浦は複雑な表情を見せたが、やがて自分も昼食を食べながら、話を続けた。


「ところで、もうここでの生活は慣れましたか?」

「こっちに来てから一週間は経ったし、少しはね」

「なら良かった。先日は初めてのお休みでしたよね。何をしてたんですか?」

「もちダイビング」

「お店で?」

「そうそう。土浦君もやるんでしょ」

「それなりには。こっちに来てからは、まだやってませんけど」

「あれは本当にいいよな。次の休みも、潜らせてもらうつもりだよ」

「満喫しているんですね。いいな」

「土浦君こそ、休日はどうやって過ごしてるの?」

「休日も、やっぱり図書館でしょうか。後は、釣りをしている人と雑談したり。……ダイビングは、まあ、そのうち」

「ふぅん」

 どうも、この男は何かずれている。

 図書館の件もそうだが、どうせなら雑談ではなく自分も釣りに興じて、南国を満喫すれば良いのに。職場では雑用を率先して引き受けてくれるいい男だが、それだけに趣味が残念に感じられた。



「せっかくだから、めいっぱい遊ぶのもいいと思うよ。

 石垣島で不満なら、一緒に本島行ってみる?」

「じゃあ、それもそのうち」

「俺、北谷(きたたに)に興味あるんだよね。アメリカ村みたいなのがあるらしくてさ」

「波戸さん……あれは北谷(ちゃたん)と呼ぶんですよ」


 地味な顔をして、突っ込みはキツい男であった。

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