其之六 -真相-
佐伯陽介が、当選したばかりの衆議院議員を辞職したのは、それから一ヶ月後の事だった。
彩音の死因が自殺と断定されるのと同時に、西条の山中で、彩音の指紋が付いた凶器と、男の死体が見つかった為である。
マスコミから激しく追及される様子をテレビで見た沖は、一度は留飲を下げたものの、すぐに彩音の事を思いだしてむなしさを感じ、テレビを消した。
自宅アパートを出ると、陽光は秋の穏やかさを帯びていた。
上着を取りに戻ろうかとも思ったが、億劫になったのでそのまま駐車場に向かい、黄色のフィアット500に乗り込む。
薬院から天神方面へ走りつつ外を観察すると、街路樹も微かに色を変えているのが分かった。このところ、事件の調査で気候を気にする余裕がなかったが、もう季節は秋なのだ。
天神駅前で信号を待っていると、車のドアが叩かれ、ほぼ同時に開かれた。
沖はぎょっと目を丸くしたが、ドアを開けた男、天津鞍馬は、構う事なく助手席へと乗り込んできた。
「鍵を掛けないなんて不用心ですよ」
「誰かが乗り込んでくるなんて想定外だ。いきなりなんだよ、降りろ!」
「そう言わずに。キャナルシティまでお願いしますよ。
朱莉の学校の教材を買いに行かないといけないのです」
「タクシーじゃないんだぞ」
「ええ、タクシーなら大半が禁煙ですから、こんなにもタバコ臭くありませんね」
「この野郎め」
悪態を付きながらも、天津を押し出しはしない。
元々、キャナルシティの先にある祇園の事務所に向かうつもりだったし、朱莉の為に運転をしているという解釈も、できなくはない。
「……ニュース、見ましたよ」
「佐伯彩音の件か」
「ええ。あれは探偵さんが情報提供した結果ですか?」
「……お前と飲んだ翌日、彩音が入れ込んでいたホストの本名……山田隆とかいう平凡な名前を調べてから西条に飛んだ。実家に行くと、案の定、帰省していたはずの山田は、現地で失踪してたよ。
警察は、それぞれを別の事件と見ていたようだ。俺がやったのは、
その二件の関連性を警察に伝えただけで、死体を探し当てたのは警察だ」
「それはご苦労様でした。お手柄ですね」
「ホストが死んでたんだ。手柄も何もねえよ」
悪態を付いているうちに、信号が青になった。
ハンドルをキャナル方面へと切って右折する。対向車が直進しようとしていたが、それよりも先に強引に突き抜けた。
「……安全運転でお願いしますよ」
「相手が朱莉ちゃんなら丁寧にエスコートするわ」
「私で悪うございましたね。
……で、ストーカー疑惑のあった権藤氏はどうなったのですか?」
「そいつも行方を探し当てたが、経営している会社が火の車になったそうで、単に遊ぶ余裕がなく疎遠になっていただけだった。まったく迷惑な親父だ」
「迷惑なのは、勝手に容疑者扱いされた権藤氏の方でしょうね」
「ま、否定はしない」
「となると……この事件の関係者は他にいませんね。
報道どおり、山田氏を殺めたのは佐伯様なのですか?」
「ああ。その可能性が高いだろう」
そう告げながら、ポケットに突っ込んでタバコを取り出し、火を付ける作業を、片手で器用に行う。
「……山田の家族からの又聞きだが、佐伯彩音は客の域を超えて、山田に執着していたらしい。
ストーカーは佐伯彩音の方だったわけだな」
「ホステスにはよくある話ですね」
「で、危険性を感じた山田は、店に了解を取り付けて実家に避難していたわけだが、実家が西条という事は、酒の席で佐伯彩音に話していたそうだ」
「で、佐伯様も西条行きを希望されたと。予想どおりでしたか」
「その先も、多分、お前の予想から大きく外れちゃいないだろうな。
……山田隆の家族は、隆の失踪にも焦った様子はなかった。
というのも、隆は本来、半グレのような奴だったらしい。軽犯罪は日常茶飯事。昔は少年院に入りかけた事もあったらしく、家族も快くは思ってなかったようだ」
「ホスト仕事は仮面、ですか」
「みたいだな。で、彩音が西条で再会した隆の正体が、そんなしょうもない奴だったんで、幻滅してグサリ。死体を遺棄した後で自分も自殺したってコースが濃厚だと思う。
しかし、自分も死ぬ必要があったんだろうかね。今後の人生に絶望でもしたか……」
「或いは、私達の『幻滅した』という見方が、少し違ったのかもしれません」
「聞かせてもらおうか」
「確かに、佐伯様は山田氏に幻滅したでしょう。
……自分が心の拠り所にしていた存在が、空虚な男であれば無理もありません。
追っていた幻影を求め、口論か何かの末に山田氏を殺めたとしても……山田氏が物言わぬ存在、外見だけの存在になれば、それは佐伯様が愛した男に戻ったという事でもある」
「つまり、衝動的に心中したってわけか」
「私には分からない感情ですがね」
そこで、話は一度終わった。
窓の外には、昼間の中洲の気だるげな光景が広がっている。
それを横目に、天津の話を頭に浮かべてみるが、想像には難しくない。
山田隆を殺めた事も、自身の命を絶った事も許されはしない、と思う。
だが……そこまで追い詰められた彼女は、ただただ哀れであった。
せめて、家族が亡き彩音を案じてくれれば良いのだが、佐伯陽介にそれは望めないだろう。
「……探偵さん、そこを右に曲がった先で良いですよ」
「分かってる。ところで、お前にはもう一つ聞かなくちゃならん事がある」
「おや、なんでしょうか?」
「調書の件だ」
ハンドルを右に切ると、赤を基調としたアジアンテイストなカラーリングの商業施設、キャナルシティが目に入る。
速度をやや緩めながら、沖は話を続けた。
「……山田隆が事件に関与している可能性は、警察に調書を取られた時点で分かっていたよな」
「もちろん」
「何故、警察に言わなかった? 結果的には間に合わなくとも、あの時は山田の安否は不明だったんだ。山田が心配じゃなかったのか?」
「ああ、そういう話ですか」
天津は即答せず、扇子を取り出すと、タバコの煙を押し返すように扇ぎ始めた。
その行為にイラ立ちを覚えて怒鳴りかけるが、前の車が赤信号で停車しているので、まずは自身も車を止める。
その隙に、天津は勝手に車から降りてしまった。
「簡単な話ですよ。探偵さんの言われるとおり、心配ではなかったのです」
「しかし、佐伯彩音の方は、心配して西条まで飛んだじゃないか」
「佐伯様は、深い悩みをお持ちのお客様。一方、山田氏は客でも何でもありません。
たとえ殺されていようが、私の知った事ではありませんよ」
天津はそう告げて微笑むと、歩道の奥へと行ってしまった。
車を降りて追いかけようかとも思ったが、ちょうど車の列が動き出した為に、天津を見送る。
強い苛立ちを受けるのは、またもやアクセルの仕事となり、フィアット500は爆発するような音を立てて走り出した。
「……あいつは、野放しにはできん」
タバコを噛みしめながらそう呟く。
どうやら、朱莉の意図とは別の形で、今後も遊山屋に入り浸らなくてはならないようである。
そもそも、朱莉の為の買い物という話も怪しい。体よくアッシーにされただけかもしれない、との考えに至ると、苛立ちは更に強まってしまう。
あの男に養われていて、朱莉は本当に幸せなのだろうか。
せめて、彼女だけでも救われる事を祈って、沖は事務所へと車を飛ばすのであった。