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幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File3.佐伯彩音(22) 消息不明の現実逃避
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其之四 -天津朱莉の告白-

 調書を終えるまでには、少々手間が掛かった。


 沖が担当者から又聞きした『顧客の様子を見に行った』という天津の行動理由は、

 一応は警察の理解を得たらしいが、当然ながら無実の証明には直結しない。

 結局、彼は解放されたそうだが、訝しまれているのは想像に難しくない。


 それよりも面倒だったのは、沖の方だ。

 沖もまた、佐伯彩音を探していた理由を尋ねられ、

 やむなく依頼人・佐伯陽介の名前を挙げたのだが、それがマズかった。

 佐伯陽介は電話口で依頼を否定し、一時は沖のアリバイでっち上げが疑われて、調査に時間を喰ったのである。結局、彼の窮地を救ってくれたのは、自身のズボラな性格……財布に入れて放置していた、依頼の領収書だった。


 警察署を出た沖は、真っ先に駅へ向かい、博多へと帰った。

 天津が先に開放されているのは知っていたが、彼との再会前にやるべき事がある。

 結局、沖が遊山屋に事件の話をしにきたのは、一週間後だった。





「……私達二人が顔を合わせて、本当に大丈夫なんでしょうかねえ」

 天津はそう言いながら、長机に置いたコーヒーカップを煽った。

 優雅なブレイクタイムの様相に、口で言うような不安は微塵も感じられない。

「いいんだよ。警察は自殺と考えているらしいからな」

「そんな事、どうやって知ったのですか?」

「ニュース見てないのか。『衆議院議員、佐伯陽介氏の娘が変死体で発見』

 なんて見出しでジャンジャンやってるぜ。

 状況的には自殺。遺体は死後数日が経過していたそうだ。

 つまり、お前に協力してもらおうが、してもらうまいが、結果は変わらなかったわけだな」

「私が罪悪感を抱かないように気を遣ってくださっているのですか。

 無用の行為ではありますが、探偵さんもなかなかいいところがありますね」

 と、天津は棒読みで言う。


「んなわけないだろ」

「冗談ですよ。で、探偵さんも自殺とお考えなのですか?」

「いや。この一週間で色々調べた結果、俺は自殺じゃないと睨んでいる」

 そう言いながら、煙草を取りだして咥え、携帯灰皿を長机に置く。

 天津が露骨に睨み付けてきたが、知った事ではない。

 これがなければ、今からする話の最中に声を荒げてしまうかもしれない。

 ただ、その感情の対象は天津ではなかった。



「まず、自殺する理由が分からん。遺書も見つかっていないそうだ」

「なるほど」

「次に、金を貸した闇金業者を特定した。

 直接話を聞いてきたんだが、こいつらは佐伯彩音の行先を把握していなかった。

 多分シロだな。もちろんしらばっくれている可能性はあるだろうが」

「可能性としては、ね。しかし、闇金業者としては、

 逃げた客を捕まえるならまだしも、殺しまでするメリットはないのでは?」

「俺もそう思う。だから多分シロってわけだ。後は、ストーカー客の権藤を調べた」

 そう告げながら、僅かに身居住まいを正す。

 天津の方は、相変わらず優雅な姿勢で話を聞いていた。


「佐伯彩音が勤めていたキャバクラの店長が、多少権藤と縁があるようだったんで、詳しい話を聞いてきたんだが、連絡先は不明だった」

「このところ、キャバクラには来ていないのですか?」

「最近どころか、佐伯彩音が出かけてから今日までの間、一度も来店していない」

「動向不明というわけですか。お手上げですね」

「一応、ローラー作戦という手はある。

 適当に身分を偽って、電話帳で見つかる権藤全員に当たる作戦だな。

 だが、数が多すぎる。権藤という苗字の時点で多いし、県外からくる客も多い。

 田舎村のスナックに来ている客をしらみつぶしにするのとはわけが違うな。

 ……個人で調べるには限界がある」

「……含みがある言い方ですね」

「警察なら、見つけられるかもしれんな」

 そう言って煙草を携帯灰皿に乗せたが、まだ殆ど燃えていない。

 それでも、一呼吸置く事はできた。




「今日になって、佐伯彩音とキャバクラ嬢あやの比較写真が、インターネット上で拡散されはじめた。警察も当然分かっているだろう。そもそも、報道しないだけで掴んでいた情報かもしれん。

 あとはキャバクラ路線で辿れば、権藤までは一直線だろうよ」

「……探偵さん、さっき『警察は自殺と考えているらしい』と、言ったばかりじゃないですか」

「最初から『事件性がある』なんて本当の事言ったら、

 警察の目を気にして、話も聞かずに追い出そうとするだろ。

 でも、お前は関係者だ。もしかしたら俺の話を聞いて、何かひらめくかもしれん。

 ……今日来たのは他でもない。今回の事件の真相を明らかにする為なんだ」


 そう告げて、タバコのフィルターを噛みしめる。

 やはり、苛立ちが沸き起こってしまって仕方がない。



「なにせ、佐伯彩音が不憫だからな。

 比較写真は、政治家・佐伯陽介を非難する為のものだったんだ」

「佐伯彩音様の尊厳は、とばっちりで踏みにじられたわけですか」

「それだけじゃない。佐伯陽介が、政治家職よりも家族を優先する男であれば……人並みの愛情を持っていれば、借金問題は起こらず、今回の事件は起こらなかったはずだ」

「それで、いわば敵討ちのつもりでお調べになっているわけですね」

 天津は何も言わずに目を細めた。

 和やかな表情のはずなのに、蔑みの感情がはっきりと伝わってくる。


「しかし、それは警察のお仕事でしょう? 私よりも警察に相談するべきでは」

「それじゃあ、俺の気が済まないんだ。自分で明らかにしたい!」

「無意味でしょう、それは」

「分かっている! 俺のエゴなんだよ!!」


 思わず立ちあがりながら、怒鳴り声をあげる。

 ……結局、こうだ。いつも感情が高ぶるのを抑えられない。

 いや、今回は普段よりもたちが悪いだろう。

 この苛立ちは、天津でもなく、佐伯陽介でもなく自分に向けるべきなのだから。

 佐伯彩音が命を落とす前に見つけてやれなかった、三流探偵の自分に向けるべきなのだから。



「だから、お前の考えを聞かせてくれよ、天津!」

「お話する義理はありませんね」

「佐伯彩音はお前の客でもあったんだぞ!」

「迷惑です。お引き取り下さい」

 天津は有無を言わさぬ口調で言った。

 普段から冷淡な男ではあるが、この日は特別その感情が伝わってくる。

 頭に血が上っている沖でも、これ以上の滞在が無意味なのは分かったし、

 自分自身、この問答が苦しくもある。

 それでも食い下がろうかとも考えはしたが……、

 結局、沖は何も言わずに遊山屋を出た。






 



 ◇









 遊山屋から出るのと同時に、どっと疲労感が押し寄せた。

 だが、ここで茫然としているわけにもいかない。頭を振って気持ちを切り替え歩きだすと、天神駅側の歩道から、私服姿の天津朱莉が歩いてくるのが見えた。

「あ、沖さん」

 声を掛けようか迷っているうちに、こちらに気が付いた朱莉が近づいてくる。

「こんにちは。ご無沙汰しています」

「やあ。どこかに遊びに行ってたの?」

「図書館へ勉強です。……あの、この間はお義父さんがご迷惑をお掛けしたみたいでごめんなさい」

 朱莉はそう言うと、礼儀正しく頭を下げた。

 一方の沖はすぐに返事が出来ない。天津が、広島での件をどこまで朱莉に説明しているのか聞いておけばよかった。

 とりあえず、余計な事は言わない方が良いだろう。



「いやいや、どうってことはないよ」

「沖さん、今日もお店に来てくれたんですか」

「そんなところ。もう帰るけどね」

「じゃあ、喫茶店でジュースおごってくれませんか?」

 思わぬ言葉が飛び出した。

 ジュースくらい、何の問題もないが、彼女がそれを求める理由が分からない。

 黙って目を丸くしていると、朱莉は、先日張り込んだ喫茶店の方に足を進めながら話を続けた。



「この前、クッキーを全部食べた埋め合わせをするって言ってくれましたよね」

「あ、確かに言ったけど……。じゃあ、食べ過ぎた事は許してくれるの?」

「許してあげます。行きましょう」

 小学生に主導権を取られるのは、不思議と不快ではなかった。

 喫茶店に入ると、先日張り込んだ時に注文を受けた女店員がレジにいる。

 彼女は朱莉も知っているらしく、怪訝な表情で沖を一瞥したものの、

 結局はアイスコーヒーとミックスジュースの注文を受け付けてくれた。



「朱莉ちゃん、防犯ブザーとか持ってるの?」

「持っていますけど、なにか」

「いや、なんでもない」

 そんな雑談を交わしながら、二階の窓際席に座る。

 冷房が効いていて快適な空間だった。

 張り込みの時もここに座れば良かったと、今更ながらに思う。




「それじゃあ、ご馳走になります」

「どーぞ。急にジュースが欲しいなんてどうしたの」

「ジュースというより、お話したかっただけです」

 朱莉はそう言うと、両手でグラスを抑えてストローを口にした。

「お話ねえ。夏休みの宿題なら他所を当たってよ」

「そんなのじゃありません。天津さんの事です」

「……そう来たか」

「良かったら、これからも遊山屋に来て、天津さんとお話してくれませんか?

 沖さんなら、天津さんとお友達になってくれるんじゃないかな、と思って」

「俺が? あの薄笑い野郎と?」

 朱莉は、沖の目を見つめながら言った。

 なぜ彼女がそんな考えを持ったのか、とんと見当がつかない。

 理解できたところで、無論、友達になんかなりたくもない。




「……天津って、やっぱり友達少ないの?」

「誰かの家に遊びに行った事はありません。逆に遊びに来る人もいませんでした」

「そりゃ納得……いや、同情するが、俺もお断りだな」

「理由、教えて下さい」

 間髪入れずに食い下がられる。

 普通の小学生なら、適当に駄々をこねるところだろう。

 朱莉は単に大人びているわけじゃなく、頭の回転が速いようだった。


「性格が合わない。自分で言うのもなんだが、直情的な俺と、いちいちスカしたがる天津じゃ、何か口を利くたびに相手をイラつかせるからな」

「そこを合わせて頂けませんか?」

「お断りだね」

「ブザー、鳴らしますよ?」

「それだけは勘弁してくれ」

 朱莉は、数秒間沖を見つめたが、返事はせずに残りのジュースを飲み干した。


「……朱莉ちゃん、自分で分かってるよな。理不尽なお願いだって」

「はい」

「って事は、それなりの理由があるんだろう?」

「前に話しましたよね。私は天津さんの養子だって」

「そうだな。聞いた」

「……天津さん、壁がある人なんです。心を開いてくれないんです」

「安心しろ。朱莉ちゃんだけじゃない。あいつは周囲すべてを壁で覆ってやがる」

「あ……ちょっと違います。本当に壁がある人なんです」

 朱莉はそう言って顔を伏せ、暫く黙り込んだ。

 おそらくは、この沈黙にこそ無理強いの元凶が隠れているのだろう。

 そんな事を考えているうちに、やがて朱莉は沖を見つめ直して、グラスをテーブルに置いた。





「……変な話を、すると思います」

「いいよ、話してくれ」

「私……周りの子とは、ちょっと違うみたいなんです。人の心が分かるんです」

「……ほう」

「でも、考えている事が全部分かるわけじゃありません。

 相手が悩みを持っている時だけ……上手く言えないけど、それが見えるんです。

 辛い、苦しい、逃げたい……どんな気持ちでも、悩みなら見えてしまうんです」

 勘が鋭いとか、心理学に長けているとか、その手の話ではないようだった。

 内容を聞く限りでは、冗談としか思えない。

 だが、朱莉の表情は真剣そのもので、気が付けば沖の背筋も伸びていた。



「見えるって、実際に形があるのかな」

「その人を見ていると、心の中に窓みたいなものが見えます。

 それで、窓から苦しそうな声が聞こえるんです」

「もしかして、勝手に流れ込んでくるわけ?」

「私がそうしようと思わないと、見えません」

 彼女の説明に、少しだけ安堵する。

 負の感情が濁流のように押し寄せていたら、大人でも耐えきれないだろう。


「だから、なるべくは見ないようにしています。

 ただ……前に一度、好奇心で天津さんの心を見ようとしたことがあったんです」

「無理もない。一緒に暮らしていれば、何かの拍子でそうなる」

「ありがとうございます。……でも、見えなかったんですよ」

「……ふむ」

「なんだか、窓の奥にぼんやりとした悩みのモヤがあるのは分かったんです。

 でも、その前に厚い壁があって、声が全然伝わってこなかったんです」

「それで、本当に壁がある、ってわけか」

「……変な話をして、ごめんなさい。私、おかしいですよね」

「一般的じゃないとは思う。でも、世の中、もっとおかしい奴がいくらでもいる」

「優しいですね、沖さん」

 朱莉が初めて笑った。彼女に一番似合う表情だと沖は思った。




「……天津さんは、私にも、他の誰にも言えない悩みを持っているんです。

 あ、別にそれを聞きだしたいわけじゃありません」

「分かってるよ。天津の辛さが和らげれば……って考えてるんだろう?」

「そうです。……でも、私じゃ力になれない気がして……。

 それで、沖さんみたいな大人が友達になってくれたらなって、考えたんです」

「朱莉ちゃんの気持ちは分かったが、俺、間違いなくあいつから嫌われてるぞ?」

 そう言いながら、つい先程のやり取りを思い出す。

 半ば八つ当たりのような言葉を言い残してきたのだ。

 天津は気に入らないが、事件追及の件では、自分に非があると思っている。

 そんな奴がノコノコ店に来たとして、天津が良い反応を返すはずがないのだ。



「大丈夫です。私、天津さんと仲良くなれる裏技を知っているんですよ」

 朱莉はそう言うと、予習済みの必勝問題に答えたがる子供のように手を挙げた。

「なんか友達になる方向で話が進んでるな」

「駄目でしょうか?」

「友達は駄目だ。それだけは絶対にお断りだ。だが、俺もあいつには用事があるから、また遊山屋に行っても良い。ついでに裏技とやらをやっても良い」

「ありがとうございます。裏技というのは……」

「ああ、その前に」

 手のひらを突き出して、朱莉の言葉を遮る。


「朱莉ちゃんも、今より天津と仲良くなる事な。

 なんだかんだで、あいつは朱莉ちゃんのを嫌ってない気がする」

「……だったら嬉しいです」


 まったく、最近の親というものは皆こうなのだろうか。

 彼女といい、佐伯彩音といい……親に愛されていないなんて、悲しすぎる。

 沖は、自身の表情を隠すように、アイスコーヒーの入ったグラスを煽った。

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