其之二 -中洲-
親不孝通りも中洲も、遊山屋からはそこまで離れていない。
どちらから調べたものかと考えた沖は、天津のスカした態度を思い出し、
若者が集まる親不孝よりも中洲を選んだ。
ランドマークであるアクロス福岡を抜け、福博であい橋を抜ければ中洲に着くが、まだ夜には少し早い。川沿いに並んだ屋台が、少しずつ営業を始めているので、沖は目に入った暖簾を潜った。
「へいー、らっしゃい」
中年店主の挨拶は、事務的な口調だった。
客席では、同年代と思われる黒髪の男と、まだ二十歳前後の金髪の男がラーメンをすすっている。二人ともスーツ姿だから、多分ホストの類だろう。屋台は当たり外れが激しいが、常連がいる店なら色々と期待できるかもしれない。
沖は黒髪の隣の席に座り、チャーシュー麺を注文した。
わざわざとんこつと告げる必要は、ない。
「親父さん、随分早くからやってるね。夕方でも儲かるの?」
ついでだから、一仕事しておいた方が良いだろう。
店主が調理を始めるのとほぼ同時に、雑談を持ち掛ける。
「やらんよりはマシ程度かな。
中洲で働く人達が、仕事の前の腹ごしらえに来る事が多いね」
「じゃあ、メイン客はやっぱり、飲んだ後のシメにくるお客さんなんだ」
「だな。雨が降れば桶屋が儲かる。飲み屋様様よ」
「なるほどねえ。飲み屋といえば、若い女の子に人気があるバーとか知らない?」
「中洲の真ん中にゲームセンターがあるだろ。
あの裏手にあるハートマンってバーが人気らしいよ。
……ところでお客さん、そんな場所を聞いて何しようっての?」
麺を茹でる湯気で、店主の顔は見えなかったが、好意的な表情ではないだろう。
この疑問のかわし方は用意していたが、あえて言葉に窮してみせる。
正直に話した結果、思わぬところで損をする事態は、探偵業によくある事だ。
「……いやあ、実はね。近々、中洲で新規開店するキャバクラがあって、
そこの人事を請け負ってるんだ。だが、ホステスが全く集まらない。
他店から引き抜くのが手っ取り早いが、いざこざは起こしたくないからね。
そういうわけで、夜の街に慣れた素人の子を探しているわけさ」
「なるほど、あんたも大変だね。……はい、チャーシュー麺お待ち」
店主は、隣の客達を一瞥してから、チャーシュー麺をカウンターに置いた。
丼からは、とんこつ特有の痛烈な獣臭がしているのだろうが、
『ラーメン=とんこつ』と言っても過言ではない環境で育っている沖は、特に鼻を曲げる事もなく食事を始めた。まずはチャーシューを口に含むと、旨味をたっぷりと含んだ脂身が弾ける。厚さも申し分なく、この時点で当たりと判断して良いラーメンだ。
「お、うまいな」
「ここのチャーシューはいけるからな。おっさん、いい店に入ったな」
不意に、黒髪の男が話しかけてきた。
箸を止めずに男の顔を見るが、やはり三十代前半の同年代に見える。
おっさん呼ばわりは心外だったが、おっさんになる事にした。
「どうも。お兄さん、ここの常連かい」
「まあね。俺も仕事の前に腹ごしらえしていく口さ」
「仕事は何を?」
「キャバクラのマネージャーだよ。つまりは同業者だ。
引き抜かれたら辛いところだったよ。先輩店への気遣い、感謝するぜ」
「なに。進んで喧嘩を売るのは馬鹿のする事だからな」
そう言って麺をすする。地雷を踏まずに済んだのは完全に幸運だったが、男の品定めするような目付きが、まだ地雷原を抜けていない事を物語っていた。
「おっさんの店は、どこの姉妹店だい?」
「どこでもないよ」
「県外から乗り込んできたわけでもないの?」
「ああ。完全新規だ。バックもなにもない」
「そうか。そりゃあ苦労するぜ。……ちなみに、場所は?」
「未定。候補が複数あるんだが、どこも土地代がキツいらしいな」
「そればっかりは仕方ない」
「ま、小さい店だし、なんとかなるよ。頼りになりそうな先輩とも会えたしな」
「おう。何か困った事があれば、いつでも言いな」
男はそう言いながら、ポケットから名刺を取り出してカウンターに置いた。
名刺には、流暢なフォントで古賀猛と名が記されている。
店名の方は聞き覚えが無かった。おそらくグループ店ではない。
つまり、蟲毒の壺の隅で震えていたところに、もう一匹虫が入り込んだので警戒していたのだろう。格下だと思わせるのは正解だった。
「ありがとう。悪いが、俺はまだ名刺を用意していなくてね。今度連絡するよ」
「なんでも聞いてこいよ。人手不足だけは、力になれんがな」
「お兄さんの店も、それが悩みなんだ」
「先月の頭までは上手く回ってたんだよ。
だけど、人気があった女の子が逃げちゃって。勘弁してほしいぜ、まったく」
「バックレはきついな。どんな子だったんだい?」
「普通だよ。非番の日は自分もホストクラブに入り浸る、よくいるホステスだ。
ただ、面接に来た時は、お嬢様、って感じの真面目そうな子だったから安心していたんだが……」
「お嬢様……?」
聞き捨てならない言葉に箸を止める。
なるべく平穏を装いながら古賀を見ると、彼は乱雑に側頭部を掻きむしった。
「うちの店名で検索してみな。『あや』って子が出てくるが、そいつの事だ。
もしも見かける事があれば、すぐに連絡をくれ」
「まさか、俺が共犯になるような事を、女の子にするつもりじゃないだろうな」
「ないない。他にも聞いている奴がいるんだし、そんな事するわけないよ。
……なあ、親父。俺、そんな奴じゃないよな」
「へえ」
店主の声は消えてしまうような声で頷いた。
古賀の店の規模はともかく、バックは面倒な所なのかもしれない。
隣に意識を向けつつも、スマートフォンを取り出して確認してみれば、
濃ゆい化粧の女が出てきた。それでも、彩音だと特定できる。
どうやら、ゆったりとラーメンを食べている暇はなさそうだ。
「……顔だけじゃ判別できないかもな。
もう少し詳しい事情を知りたいが、あやが逃げ出したのはいつ頃だ?」
「二週間ほど前かな。あれ以来、連絡しても反応がない」
「行き先に思い当たりはあるのか?」
「それもないなあ。ただ、アパートにもいないから、
引っ越したか、実家に帰ったのかもしれん」
「じゃあ、逃げ出す前に変わった様子はなかったか?」
「それなら、知ってるよ」
そこで、金髪の男が初めて口をきいた。
だが、金髪は視線を古賀の方に向けている。古賀が頷くのを確認してから、金髪は舌足らずな喋り方で話を続けた。
「あやに入れ込んでる権藤って客がいるんだけど、
最近、入れ込み具合がストーカー並になってたんだよ。
俺、客引きやってるんだけど、そいつが毎日あやの出勤情報を聞いてくるんだ。
もう、うぜぇのなんの。
『あやは枕するのか』とか『自宅はどこなんだ』とかも聞かれたよ」
「権藤の話か。上客ではあるけれど、確かに執着心が凄いよな」
「マネージャーもご存知でしたか」
「ああ。俺も、あやから相談を受けた事があったんだよ。
切るにはもったいない客だから、相談は聞き流したけどな」
まるで、世間話でもするような喋り方だし、珍しいケースではないのだろう。
ストーカーが仮に事件を起こしても、この街や彼らにとっては些事なのだ。
沖は奥歯を強く噛みながら、それでも質問を続けた。
「……権藤の住所は分かる? 写真は?」
「ないよ、そんなの。小太りのよくいる中年オヤジとしか覚えてない」
「そうか……。とにかく、あやを見かけたら連絡するよ。……親父さん、勘定」
サイフからクシャクシャの千円札を取り出し、店主に突き出して屋台を出る。
ストーカーの情報が必要になれば、古賀にいつでも聞ける。
それより、今は遊山屋に戻る事が先決だ。
天津を締め上げて旅行先を聞きだせば、今日中に彩音と会えるかもしれない。
会えるのが明日になった結果、ストーカーに先手を打たれでもすれば、後悔してもしきれないだろう。一件目で情報を得た幸運が持続する事を願い、沖は来た道を走りだした。