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幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File3.佐伯彩音(22) 消息不明の現実逃避
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其之一 -潜入、遊山屋-

 沖の仕事に、変化が起きていた。

 探偵業の大半は浮気調査や素行調査で、人探しなんて依頼はなかなか来ない。ネットワークに劣る個人事務所ともなれば尚更だ。過去数年に遡っても依頼は数える程度なのだが、今年に入って二回も依頼を受ける事になった。


 商売だから依頼自体はありがたい。解せないのは、対象者の足取りだ。

 七月末に舞い込んだ二回目の依頼を調査するうちに、

 またしても対象者が旅行代理店に足を運んだ可能性が浮上したのだ。



「……ようやく行ったか、あんにゃろうめ」

 Tシャツの胸元を摘まんで荒々しく扇ぎ、天津鞍馬の背中を見送る。

 遊山屋近くの喫茶店テラス席に座って、かれこれ一時間は経っただろうか。

 これ以上張り込むと暑さで体調を崩していたかもしれない。張り込みは今日で四日目になるが、実際、これまでの三日間で体重は二キロ落ちている。

 三杯目のアイスコーヒーを飲み干し、天津の姿が完全に雑踏へ消えたのを確認してから、沖は遊山屋へと近づいた。



 ――遊山屋は、怪しい。


 結局、尻尾は掴めなかったが、波戸真澄の失踪には遊山屋が絡んでいると、今でも思っている。

 今回の調査の対象者に関与している可能性も十分考えられるが、やっかいなのは天津鞍馬だ。どうにも、あの男とは相性が悪い気がする。まともにぶつかっても、波戸の件で追及した時と同じ目に遭うかもしれない。

 だから、こうして搦め手から攻めるのだ。

 沖は右手の紙袋を握りしめ、勢いよく遊山屋の扉を開けた。





「おう、邪魔するぞ」

 店内に足を踏み入れると、クーラーの心地良い冷気が体を包んだ。

 カウンターの中には誰もいなかったが、横にある長机で、長髪の少女がノートに向き合っているのが見える。

 向こうも自分に気が付いたようで、立ち上がると、その場で頭を下げてきた。


「お客様ですか。ごめんなさい、今は店の者が席を外しています」

「あー、俺は客じゃない。探偵の沖精一という者だ」

「探偵さん……ですか」

「ちょっと人探しをしていて、話を聞かせて欲しいんだ。お嬢ちゃん名前は?」

「天津朱莉です」

「朱莉ちゃんだな。……これ、お土産」

 そう告げて、クッキー缶の入った紙袋を渡すと、朱莉は再び頭を下げ「お茶を入れますね」と言って、店の奥へと姿を消した。

 ここ数日の張り込みでも見かけた少女だが、小学校五、六年生といったところだろう。天津の子供にしては随分と大きい。

 喋り方や振る舞い分大人びているのも気になった。『事件』という言葉を口にしても、顔色一つ変えなかったのだから、むしろ不自然ですらある。



「お待たせしました。どうぞこちらに」

 当の朱莉が、土産のクッキーとコーヒーを手にして戻ってきた。

 彼女に勧められるがまま長机の椅子に座り、早速クッキーを一枚頬張ってから、沖は話を切り出した。


「実はだね。市内で女子大生が失踪……失踪って分かるかな。いなくなったんだ」

「はい、分かります」

「その子を探しているんだが、旅行代理店に行った形跡が見つかってな」

「それで、このお店を疑われているのですか」

 やはり、朱莉の口調に動揺はない。目付きもどこか冷めている。

 子供らしさがなく、人を不安にさせる反応だった。


「いやいやいや、疑うってわけじゃない! ただ話を聞きたいだけだ!

 ……うまいな、これ」

 大げさに両手を掲げてそう言い、今度はクッキーを二枚同時に食べる。

「別にお嬢ちゃんやお店を責めているわけでもない。

 ただ、そんなお客さんを知ってたら、詳しく教えて欲しいんだよ」

「ごめんなさい、知りません」

「お客さんをの事をバラしちゃ駄目だと思っているのかな?

 でも事件が起こってるかもしれないんだ」

「知っていても、言いません」

「しかし、そこをなんとか」

「頼み込まれても駄目です。……あと、そのクッキー私まだ食べてないんですが」

「えっ、あっ、うそっ!?」

 朱莉に突っ込まれた時には、最後のクッキーは沖の口の中に入っていた。

 気まずそうに噛み砕きながら朱莉を見れば、彼女の冷めた瞳は、遺憾の意を含んだジト目へと次第に変わっていた。

 そんなにクッキーを食べたかったのか、と思う。

 どうやら、彼女に対して妙な先入観を持っていたらしい。




「……沖さん、何笑ってるんですか?」

「あ、ああ、すまない! じゃあ、残りのクッキー取ってきなよ」

「そんな食いしん坊みたいな事できません」

「そうなの? 俺ならするけど」

「おじさん、食いしん坊……」

「えっ? なに?」

「なんでもありません。……聞かれている事も、もう絶対に答えませんから」

 どうやら、ドジを踏んでしまったようだ。

 仕方ない。また天津がいない時を狙うしかない。


「悪かったよ。今度埋め合わせするからさ」

「期待しないでおきます」

「じゃあ、今日はこれで。お父さんに宜しく……

 ああ、それは駄目だな。お父さんに宜しく言わないでね」

「いえ、天津さんにも報告します」

「天津さん? お父さんを苗字で呼ぶの?」

「私、養子なんです。

 ……色々あって本当の親に捨てられて、縁あって天津さんに拾われました」

 聞き捨てならない言葉が耳に入る。

 沖は口をきつく引き締め、真剣な表情で席に戻った。



「拾われたって、含みがある言い方だな」

「言葉の綾ですよ」

「まさか、天津に虐待とかされていないよな?

 困った事はないか? ちゃんと愛されているのか?」

「もちろん、虐待なんてされていません。困ってもいませんよ……」

 朱莉は、全ての質問に答えなかった。

 尻切れとんぼになった語り口に、躊躇の意志が感じられる。

 悩むような事態なのか、と問おうとしたのだが、その前に朱莉は話を再開した。



「……愛されているかどうかは、私はよく分かりません」

 朱莉の小さな肩が、目に見えて落ちる。

「天津の野郎め」

「あ、違うんです。天津さんが悪いわけじゃないんです。

 本当の親に捨てられたから、そもそも愛情がよく分からないんです。でも……」

「でも?」

「天津さんと一緒に暮らせて、私は幸せだと思っています。本当に、本当です」

「そうか。……幸せか」


 思わず、安堵の溜息が漏れる。

 沖の勘は、この少女の発言には偽りはないと判断した。

 探偵としての勘の的中率は並だが、沖精一としての勘は滅多に外れない。

 今回の勘も外れておらず、天津は朱莉を愛していると願いたいものだった。



「……難しいもんだよな。愛情ってのは」

「はあ」

「なんでもない。それより、最後にもう一つだけ。

 ここ二週間で、天津が出張に行く事はあったかな」

「それは、ありません」

「……天津は遊山屋に釘付け、か」

「私が、なんですか?」


 その声は、背後から聞こえてきた。

 ……こうも早く戻ってくるとは。

 露骨に嫌な顔をして、首だけで振り返る。

 店の扉の傍では、案の定、怪訝な表情を浮かべた天津鞍馬が立っていた。





「……お前が来る前に、仕事を終えたかったんだがな」

「まるで泥棒みたいな発言ですね」

「言ってろ。それより、愛想笑いくらいできんのか?」

「探偵さんは、高橋様とは違って、お客様ではないようですので」

 どうやら嫌われているようだが、それはお互い様だ。

 なにせ、天津は高橋に危害を加えようとしたかもしれない男なのだ。

 苛立ちが伝わらないよう、沖は長机を軽く叩いた。

 多分、軽いと思っているのは自分だけだろう。

 

「……そら、座れよ。こうなったらお前にも話を聞かせてもらうぞ」

「私の店なのに、なぜ探偵さんが命令するのですか……」

 天津は口をとがらせながらも、沖の隣に座った。

 それが合図になったかのように、朱莉は勉強道具を回収して奥へと姿を消した。本当によくできた子である。




「で、何の御用でお見えになったのですか?」

「人探しだ。佐伯彩音という女子大生を知っているな?」

「知りませんね」

「道を尋ねられた最近の若者でも、もう少し考えたふりはするぞ」

「続く言葉も、その若者と同じです。人探しなら警察に相談してみては?」

 天津はスーツのポケットから扇子を取りだし、自身を扇ぎながら言った。

「色々あって、警察はご法度な件なんだよ。

 佐伯彩音は天神女学院の四年生だ。市内在住、年は二十二歳になったはずだ」

「天神女学院といえば、県内屈指のお嬢様大学ですね」

「写真も借りているが、随分と気品ある女だ」

「探偵さんとは対照的で」

「いちいち茶々を入れるな。で、さる筋から、この佐伯彩音と連絡が取れないと依頼を受けたんだ。二週間前から連絡が取れないらしい。自宅にも戻った形跡はなく、大学にも出ていないそうだ」

 そう話しながら、大学をついでのように扱うのに違和感を覚える。

 むしろ、先に異変を察知したのが大学側で、依頼者は大学から相談を受けて、やっと佐伯彩音に連絡を取ろうとする程に淡泊だったのだ。


「さる筋とは、親御さんですね」

「どうしてそう思う?」

「わざわざお金を払って行方を探す依頼主は、他にいないでしょう」

 言われてみれば、それもそうである。

 情報を引き出すのなら、こちらも相応に踏み込む必要があるが、発言には気を付けた方が良さそうだった。



「……まあ、そこはお前の想像に任せる。

 で、関係者を当たっていると、大学の友人が貴重な証言をしてくれたんだ。

 なんでも、彩音は一ヶ月ほど前に、旅行代理店に入り浸っていたそうだ。

 近々、長期間の旅行に出かける予定だ、とも語ったらしい。

 ……どこかで聞いた事がある証言だなあ。うん?」

「そうですね。当店のお客様ですよ」

「あっさり吐いたな、おい」

「当然です。

 失踪者ではなく、お客様ですから、存在を秘匿する必要もありませんものでね」

 ならば最初から言えよ、と突っ込みたいのは山々だったが、彼の機嫌を損ねるわけにもいかないので言葉を飲み込む。

 多分、こちらの出方を伺ったのだろう。警戒する理由があるのかもしれない。




「佐伯彩音様と知り合ったのは、四週間ほど前でしょうか。歓楽街のバーでした。

 旅行代理店を営んでいる事を話すと、興味を持って頂けまして」

「バー? お前が? この店みたいにジメジメした場所がお似合いだぞ」

「むしろ夜の町へはよく出かけますよ。何分、お酒が好きでして」

「で、今はどこにいる」

「県外です。長期間旅行プランにご契約頂き、二週間程前に旅立たれました。

 期間は一ヶ月ですね」

 連絡が取れなくなった期間と一致する。

 問題なく覚えられる情報だったが、念の為に手帳を取り出して、メモを取る。


「期間は一ヶ月……と。具体的な場所は?」

「それ以上は言えません。お客様の個人情報ですから」

「失踪しとるんだぞ」

「それは探偵さんの視点でしょう? 私から見ればただの旅行者です」


 明らかにはぐらかされている。話が核心に迫る気がしない。

 天津と相性が悪いのは事実だが、そもそも彼自身が人を喰った男のようだ。

 ならば、せめて佐伯彩音の安否だけでも引き出すべきだろう。





「……質問を変える。

 彩音に対して、高橋の時みたいに変な約束は取り付けてないだろうな?」

「ああ、制約と代償ですか。契約絡みですから、教えられませんね」

「高橋に聞いたぞ。『大切なものを失う』のが代償らしいな。

 具体的に何が起こるのかは高橋も知らなかったが、俺はこう睨んでいる。

 ……波戸真澄もその契約を結び、お前に大切なものを奪われた結果、失踪したんじゃないか……とな」

「先日も申し上げましたが、私はそもそも波戸真澄さんを存じておりません」

 天津は、仰ぐ手を止め、扇子を打ち鳴らしながら言った。

「それならそれでいい。今、知りたいのは佐伯彩音の方だからな。

 ……いいか、もう一度聞くぞ。佐伯彩音に変な約束をしていないな?」

 返事は、なかった。

 代わりに、扇子が打ち鳴らされるペースが速まった気がする。



「勘違いされちゃ困るが、現時点ではお前はシロだと思っている。

 その裏付けを取りたいんだよ」

「どうして私がシロだと?」

「お前が彩音に代償とやらを支払わせるなら、彩音の旅行先に出向く必要がある。

 だが、お前のここ二週間のアリバイは、朱莉ちゃんが証明してくれた。

 もちろん、短時間で往復できる場所なら話は別だがな」

「……探偵さん、嗅覚だけはあるようですね」

「ほう。喋る気になったか」

「……私が彼女に危害を加えていない事はお約束します。

 旅行に出かけられてから今日まで、会ってもいません。

 お答えできるのはそれだけです」

 天津は扇子をピシャリと閉じながら言った。

 これ以上の情報提供は本当に拒むようだが、問題ない。

 即座に交番へ駈け込まずには済んだし、行方の手掛かりも掴めた。





「続きはまた今度といこう」

「ご遠慮下さいませ」

「軽口ばかり叩きやがって」

 一応、目礼だけはして席を立ち、天津の反応は確認せずに店を出る。

 再び熱気に包まれるが、陽は沈みかけていて、眉をひそめる程の暑さでもない。

 沖はポケットからタバコを取り出し、火を灯しながら頭を回転させた。





 ――お嬢様が、歓楽街。


 歓楽街くらい誰でも行くだろう。その点に違和感は抱いていない。

 むしろお嬢様特有の悩みが原因で、入り浸っている可能性もある。危惧しているのはそのケースだ。

 その原因と失踪に繋がりがあるとすれば、あまり良い事態にはならない気がする。

 


「繁華街といえば、親不孝か、中洲だな……」

 ふう、と煙を吐いてから、低い声で呟く。

 目を狩猟犬のようにギラつかせ、雑踏へ身を投じようとする。

 さあ、探偵の仕事の時間だ――

 ……そんな事を考えているところへ、不意に肩を叩かれた。






「君、路上禁煙地区って知ってるかい」

「……お巡りさん?」 


 かくして、沖精一の財布からは、福沢諭吉が二人失踪した。

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