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幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File2.高橋典孝(32) ファンからの現実逃避
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其之五 -思わぬ遭遇-

 伊部は、山間の小さな町だった。

 噂のゴッドハンド、織田敏克(おだとしかつ)氏が暮らしている所で、備前焼の産地として有名らしい。

 電車が町に近づくにつれ、小高い山や田畑が目立つようになり、

 到着した伊部駅で乗り降りする者も、数える事ができる程度には少なかった。

 どうやらこの様子だと、娯楽の類はあまりないかもしれないが、今の自分にはちょうどいいだろう、と思う。



「ここが、俺が一ヶ月過ごす町か……」

 駅舎を出た高橋は、腰をそっとさすりながら天を仰いだ。

 大阪のチームメイト達は、試合に向けて練習を開始している頃だろうか。

 一ヶ月の猶予はあるが、少しでも早くチームに戻らないと、と思う。

 天津は『永住しても良い』と言っていたが、さすがにその選択は難しいだろう。



「お兄さん、どこか行くのかい?」

 ふと、タクシー乗り場で休憩していた中年男性が声を掛けてきた。

 スーツ姿からしてタクシーの運転手だろうが、天津が手配してくれたアパートは徒歩圏内で、タクシーを使うまでもない。高橋は申し訳なさげに顔を左右へ振った。


「アパートまで。と言っても、徒歩で行ける距離ですよ」

「なんだ、伊部の人だったのかい」

「いや、大阪からです。織田先生の治療を受ける為に長期滞在するんです」

「って事はスポーツ選手か? 織田先生の患者には多いんだよ。

 ……そういや、どこかで見たような顔だな」

「いや、俺は……」

 嫌な予感に駆られ、顔を伏せてしまう。

 岡山は大阪ジャガーズのファン圏内でもある。

 名乗ってしまえば『こんな所でサボりやがって』と罵倒されないだろうか。




「思い出した! ジャガーズの高橋典孝じゃないか!」

「……よくご存じですね」

「大スターだし、当たり前じゃないか。

 こんな所にいるとは考えもしなかったから、すぐには分からなかったよ」

「そうですね。本来は、チームで練習しているはずですしね」

「腰を痛めたんなら、そういうわけにもいかんだろうよ」

「えっ?」

 思わず、裏返ったような声が出る。

「織田先生の診療所は、駅前の通りを歩いてすぐの場所にあるよ。

 先に挨拶しちゃどうだい?」

「あ。は、はあ……」

「ほら、ここからでも見えるだろ。年季の入ったレンガ煙突のある建物だ。

 織田先生は兼業で陶芸もやっているんだよ」

 男が指差した先を見ると、確かにそれらしき煙突がある。

 彼に礼を述べ、言われるがままに診療所前まで歩いたが、

 足取りはふわふわとして落ち着かなかった。


 今の男の反応は、ごく当たり前のものだった。

 だがその当たり前が久々だった為に、面食らってしまったのだ。

 これが岡山の県民性だろうか。それとも岡山は関係なく、

 球場以外のファンはこのくらい好意的に接してくれるのだろうか。

 答えは分からない。だが、悪くはないスタートのはずだ。





「……おっと、ここか」

 辿り着いた診療所の玄関は、瀟洒なガラスの引き戸となっていた。

 ガラスにうっすらと映った自身の身なりを整え、診療所の扉を開ける。

 ロビーでは、野球のユニフォームを着た十歳くらいの少年が腰掛けていたが、

 目が合うと、彼は逃げるようにして診療所から出て行った。

 治療を終えた少年野球の子だろうか。最近は子供も大変だ、等と考えながら受付を覗いたが、人影は見当たらない。奥で待機しているのかもしれない。




「失礼します。どなたかおられますか?」

「ごめんなさい、午前の診療は終わったところです」

 少し大きな声を出すと、すぐに若い女性の声が返ってきた。


「あ……いえ、今日からお世話になる予定の高橋という者です。

 挨拶だけでもと思ったのですが、休憩中でしたら出直します」

「高橋さんでしたか。お待ち下さい、すぐ伺います」

 返答の後、すぐに足音が聞こえ、白衣を纏った若い女性が奥から姿を現した。

 面倒を掛けたようだし、彼女の顔を殆ど見ないうちに、高橋は頭を下げる。


「お忙しいところ申し訳ありません。球団から話が届いていると思いますが……」

「ええ。長期治療される旨、聞いております」

「これはどうも。……そうだ。これ、つまらないものですが」


 足元に置いた鞄が視界に入ると、中にお土産を入れていたのを思い出した。

 箱菓子を取り出し、顔を上げながら女性に差し出たところで、ようやく相手の顔を目にする。

 肌は透き通るように白く、素朴な顔付き。

 首のほくろが印象的な人で、高橋の方を見て静かに、笑って……、





「た、谷崎、ユキ……?」

「そう言われるだろうと思っていました」

 女性は、慌てる様子もなく苦笑した。

 だが、高橋はそうはいかない。彼女に聞きたい事が、次から次へと溢れ出てくる。それらを言葉にできず、ただ彼女の顔を見つめる事しかできなかったが……やがて、違和感を覚えた。




「ほくろ、首の右側じゃなかった?」

「姉は右側でしたが私は左側です。高橋さん初めまして。谷崎ユキの妹、みずきと申します」

「妹? ユキじゃないのか……」

 高橋の声に、少しだけ落ち着きが戻った。

 言われてみれば、歳はまだ二十代中盤位に見える。白衣のネームプレートにも『谷崎みずき』と書かれていた。



「これは失礼。あまりにも似ていたもので勘違いしたよ」

「お気になさらないで下さい。両親からも言われますし」

「だろうな。……ところで、俺とお姉さんの事は……」

「聞いています。大学生の時に付き合われていたのですよね」

 ユキとの日々が脳裏に蘇る。一瞬の事だ。


「まあ……そうだな」

「どんな方だろうと、昔から気になっていました。

 なので、高橋さんが治療を受けに来ると聞いた時は驚きましたよ」

「偶然には偶然が重なるものだな」

「他にも何か偶然が?」

「怪我をした時に、ちょっと……。まぁ、こっちの話だよ。

 それより、お姉さんは元気にしているのかい?」

「……残念ながら」

 みずきは、そう告げながら後ろを向いた。

 表情は読み取れなかったが、声のトーンは明確に落ちている。


「奥に先生がいます。せっかくですので顔を合わせて下さい」

「え? そ、そうさせてもらうけど……

 残念ながら、ってどういう事? ユキに何かあったの?」

「三年前、病死しました」


 谷崎みずきは短くそれだけを告げた。









 ◇









 昔の恋人が亡くなっていた衝撃を引きずらなかったのは、織田敏克のインパクトのせいだろう。


 診察室で高橋を出迎えてくれた織田は、ヤマアラシのような顎髭をたくわえた、小柄な初老の男だった。紺の甚兵衛に下駄履きという風貌で、その点には驚かされる。だが、もっとも目を引いたのは、デスクに置かれている『酒』のラベルが貼られた陶器瓶だった。

 驚いているところへ、みずきが「休憩中は陶芸をしているんです」と教えてくれた。

 なるほど、恰好は確かに陶芸家のそれだ。

 ……しかし酒は不要ではないだろうか。




「おお、よく来たな! 俺が織田敏克だ。腰が悪いんだって?」

 織田の第一声は非常に陽気だった。

 心なしか、鼻の周りが赤いようにも見えるが、地顔なのか酔っているのか判別がつかない。


「は……はい。状態については、球団からレポートを送っていると思いますが……」

「みずき君、そんなの届いてた?」

「昨日届きましたよ。お渡ししたはずですが……」

「そうだっけ? どっかにやっちまったかも。はっはっ!」

 織田は首を反らして大笑いした。

 どこか沖に似ているような気がして、安心したが不安にもなる。



「ま、ええか。どっちにしろ触診して様子を診るんだからよ」

「宜しくお願いします。できれば早く治したいのですが……」

「焦るな、焦るな。本格的な治療は明日からだ。

 ちなみに、腰痛とはどれくらいの付き合いになる?」

「高校二年の時に痛めたから……十五年くらいです」

「だましだましで今日までやってきたってか」

「大学の時に一度爆発して、治療に一年間を費やしましたけどね」

「なるほど。その時に俺のところにくれば、こいつですぐ治してやったのになあ」

 織田はそう言うと陶器瓶を手に取り、自身の肩を叩いてみせた。




「陶器瓶……瓶で圧迫掛けたりするんですか?」

「アホ。酒マッサージだよ。俺の得意な施術だ」

「さ、酒マッサージ……?」

「度数の高い日本酒を、患部にブァーッとぶっかけて揉みほぐすんだよ。

 コイツは効くぜえ。岡山産の雄町って酒米を使った日本酒で、

 口に入れずに使うのが勿体なくは……」

「ち、ちょっと、織田先生」

「うん?」

「失礼ながら……酒をかけると効果的なのですか」


 高橋は微かに眉をひそめながら尋ねた。

 織田の医者らしくない井出達と、未体験の治療方法に疑問を抱いたのだ。

 酒マッサージを知らないわけではない。過去、それを受けて復活した選手がいたはずだ。だが、医療の発達した近年ではあまり聞かない手法で、オカルト治療のように思えてしまったのだ。




「なんだ、不安か?」

「え、ええ……」

「だろうな。『漫画じゃないんだから』と、治療を拒否する客もたまにいる。

 お前さんだって、チームを一ヶ月も抜けるんだし、

 適当な治療で無駄足を踏むわけにはいかないよな」


 まさしく、そのとおりである。小さくではあるが、はっきり頷く。

 それを受けた織田も、膝の間に酒瓶を置いて、高橋をじっと見つめてきた。




「んじゃ、説明してやろう。日本酒をかけるのは患部を暖める為だ。

 急患がきても、俺は患部を暖める事があるよ。それくらい日本酒は使えるんだ」

「応急処置は冷やすのが一般的ではないんですか」

「RICE処置か。確かに炎症を抑えるのは基本だ。だがそれは自己修復機能を抑える事にも繋がる。場合によっては暖めた方が良いんだよ。そうすると、どうなるか分かるか?」

「いえ、全然……」

「暖まった箇所の血管が拡張する。

 すなわち循環を促進させ、老廃物を効率よく押し流す事ができるってわけだ」


 告げられた答えは、想像以上に理に適っていた。

 印象で判断した自分を恥じつつ、同時に彼の持つ知識に内心舌を巻く。



「……なるほど。失礼しました。先生の言われるとおりかもしれません」

「気にするな。お客さんは不安がって当然なんだ。陶芸の世界でも同じなんだよ」

「陶芸も……?」

 高橋がオウム返しにすると、織田は手にしている陶器瓶を高々と掲げてみせた。


「うむ。……みずき君が説明したとおり、俺は兼業で陶芸をやっている。

 陶芸の世界では、実は俺がお客さんなんだ。不安で仕方ないお客さんなんだ」


 先生なのに、お客さん。

 意味はよく分からないが、首を縦に振って話に聞き入る。




「備前焼は、窯の形、気候、温度、焼成時の配置……

 そして当然、使った土の状態によって、様々な景色が生まれる。

 同じ焼き上がりは絶対にない。全ては『先生』たる陶芸の神様の匙加減よ。

 一方『お客さん』たる陶芸家は、焼成中、やきもきしながら窯を見守るんだ。

 それこそ、どんな治療なのか、本当に大丈夫なのかと不安がる患者みたいにな」

「どの世界でも、受ける側は不安を抱く、ってわけですか」

「左様、左様!」


 織田はそう言うと、からからと元気に笑い、陶器瓶を顔の傍で振ってみせた。

 釣られて、高橋も頬が緩んでしまう。

 どうやら、この人に診てもらえるのは幸運のようだ。






「あっ、先生! なに飲もうとしているんですか!」

 唐突に、みずきが声を荒げる。

 いつの間にか、織田は顔に寄せた陶器瓶を口に咥えようとしていた。




「みずき君、いいじゃないの。ちょっとだけ」

「駄目です。午後の診察もあるんですから!」


 ……幸運のはずだ。……多分。

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