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幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File2.高橋典孝(32) ファンからの現実逃避
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其之四 -登録抹消-

 遊山屋を訪れた翌々日、高橋は一軍登録を抹消された。

 福岡コンドルズとの二戦目で、ホームラン性の当たりを好捕した際に体をフェンスにぶつけ、腰痛が我慢できない状態まで悪化したのである。

 大差でリードした七回表、無理する必要がない展開での故障だった。

『状況判断が出来ないようでは困る』と苦言を呈する解説者はいたが、当然ながら『二軍落ちの危機にある後輩の失点を防ぐ為では』と深読みする者はいなかった。

 




『……この度の二軍落ち、誠に残念でしたね』

 高橋からの電話に出た天津は、開口一番、二軍落ちの件を気遣ってくれた。

 社交辞令的な口調で、本心から案じている印象は受けなかったが、今は言葉だけでもありがたい。

 高橋は素直に礼を言い、自宅のベッドに腰をそっと預けなおしてから、話を切り出した。



「今回の二軍落ちで、俺はチームを離脱する事になったよ」

『離脱? 辞められるのですか?』

「違う違う。大阪を出て、岡山の診療所で集中的に腰の治療を受けるんだ。

 備前(びぜん)伊部(いんべ)って町に、ゴッドハンドと呼ばれている先生がいるらしくてさ」

『なるほど。それ程までに重い故障でしたか』

「まあな。……一ヶ月ほどの長期治療になりそうだ」

『随分と時間がかかるものですね』

「いや、治すだけなら一ヶ月もかかったりしないんだがな……」


 一ヶ月間の離脱は、島田が強要したものだった。

 最低限の治療でチームに復帰するのではなく、長期滞在して徹底治療するように、との意向だが、父の件を気遣ってメンタルケアをさせたいのだろう。

 勘違いではあるのだが、ありがたい勘違いだ。




「……とにかく、いい機会だ。じっくり治療してくるよ」

『それが宜しいでしょう。その報告の為に、お電話下さったのですか?』

「いや、本題は契約周りの再確認だ。

 ……天津さんと会った日に、現実逃避プランの契約をしたじゃないか」

『ええ』

「受けられるサポートは、移動手段の手配と、現地での居住施設のみ……

 これは間違いないよな」

『もちろんです。高橋様の名義ではない施設なので、明日には引っ越せますよ』


「ありがとう。次に……契約期間は偶然にも治療期間と同様の一ヶ月……と」

『現地での生活がお気に召されましたら、そのまま永住しても構いません』

「無茶言うなよ。契約を三年半残して引退する事になる。大事件だぜ」

『そうですか。ともかく、現地で暮らしてから考えてみて下さいませ』

「はいはい。……なあ。ところで、今回の怪我、変だと思わないか?」

 本当に聞きたいのはここからだ。

 高橋は表情を引き締め、薄氷を踏むように恐る恐る声を出した。




『何か気になる事でもありましたか?』

「俺、あの晩は完全に冗談のつもりで契約してたんだよ。

 『近々チームを離脱するから、その時の住居を用意します』と言われても、

 そんな予言めいた話を、本気で受け取るはずがないだろ?

 結局、具体的な離脱方法は教えてくれなかったしさ。

 もしも料金前払いだったら、冗談でさえも契約はしなかったよ」

『契約をキャンセルされたいのでしょうか』

「違う違う。本当に天津さんの言うとおりになったし、契約は成立だよ。

 ……でも、それが怖いんだ。冗談が現実になった瞬間は、ゾクッとした」

『偶然の一致とはいえ、あまりにも出来過ぎたタイミングですからね。

 怖いと思われるのも当然です』

 天津は狼狽える事なくそう言った。

 先日の、沖との問答の時にも薄々感じたが、彼はポーカーフェイスで何を考えているのか分からない。ならば、ストレートに切り込む他ないだろう。



「……失礼を承知で聞くけど、天津さんが何か暗躍したわけじゃないよね」

『まさか。ご自身の判断でプレーして故障した結果、離脱したわけでしょう?』

「確かにそうなんだけどな。……悪かった。本当に失礼だったよ」

『あまり悩まれない方がいいですよ。

 岡山へ心も癒しに行くのに、ストレスを溜め込んでは本末転倒です』

「それもそうだな。ありがとう。……だがなあ」

『まだ気になるのでしたら、こう考えてはいかがでしょうか。

 ……契約した晩、願い事を叶える宝珠を、お守り代わりにお貸ししましたよね』

「ああ。確かに借りたな」

『あれが起こしてくれた偶然、とでも考えておいてはいかがでしょうか』

「それはそれで、胡散臭くはあるなあ」

 今度の話は、明らかに冗談だ。

 だが、それでも根拠になれば少しは落ち着く。

 高橋は表情を緩めたが、まだ聞くべき事が残っているのを思い出して、すぐに引き締め直した。




「ともかく、料金は後で振り込んでおくよ」

『宜しくお願いします。宝珠はご返送下さいね』

「分かった。大阪を発つ前に送る。あと、最後にもう一つ。

 制約と代償って、契約書に書いてあったよね」


 そう言いながら、脇机に置いていた契約書に手を伸ばして再確認する。

 契約内容の中には『旅行期間中に、ファンを泣かせない事を誓います』と奇妙な一文が記されていた。


 今回の契約は、バッシングから逃れて羽根を伸ばす為のものだ。

 ただし、有名人である以上、ファンから完全に逃れる事はできない。

 ならばせめて、逃避する姿を露骨に示してファンを泣かせないように……

 そんな天津の要望を受けて結んだ契約だ。



『ええ、守って頂かないと困りますよ』

「当然守るさ。逃避先で気持ちが緩み過ぎたら現実への復帰に苦労する、

 って言い分も、もっともだしな。……ただ、代償って本当に分からないの?」

『残念ながら。時と場合によって、いかようにも変わりますからね』

「……そうか。やっぱり分からないか」


 気味の悪さは、やはり払拭できなかった。

 これには、何か裏があるような気がしてならない。

 もしかすると、波戸真澄という男の失踪にも関連しているかもしれない。

 考えれば考える程不安になるが、天津が先程言ったように、ストレスは溜め込まない方が好ましい。ここは治安大国日本だ。何か起こっても逃れる方法はいくらでもあると考える事にしよう。




「まあ、ファンを泣かせなければ問題ないんだよな」

『そのとおりです。私が言うまでもないでしょうが、本来、プロにとってファンは大切な存在ですよ。家族でもない赤の他人に対して、ありったけの応援をしてくれる人々なのですからね』

「……そうだな。大切なんだよな」

『私のような客商売でも、心中ではどう思っていても、愛想笑いをします。

 お客様相手に、あまり冷たい態度を見せるのは考えものですよ』

 愛想に満ちた口調でそう言われる。

 高橋は思わず失笑したが、反論はしなかった。

『ゆめゆめ、お忘れなきように。では、今夜はこれで失礼します。

 現地での住所等は、また明日ご連絡しますね』

「宜しく頼む」


 ……彼の言う事は、よく分かっている。

 実際、昨年までは彼と同じように思っていたのだから。

 ファンを怖がる今の考え方が、ねじ曲がっているのだろう。

 だが理屈では分かっていても、怖くて仕方ない事に変わりはないのだ。


 これからの一ヶ月で、昔みたくファンを大切に思えるようになるだろうか。

 それとも、別の結果が待っているのだろうか。

 そんな事を考えながら、高橋は終話ボタンを押した。

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