表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻影旅行代理店 遊山屋 ~現実逃避の旅、29泊30日プラン~  作者: 加藤泰幸
顧客File2.高橋典孝(32) ファンからの現実逃避
10/31

其之二 -十年来の親友-

「どーせ大阪の水が合わないんだろう! 今日はしっかり食えよ!!」


 居酒屋の個室に入るなり、沖精一は、高橋の背中を豪快に叩いてきた。

 半年ぶりに見た彼の顔は、相変わらず実年齢よりも老けて四十歳手前に見える。

 ホームベース型の輪郭と、昭和の顔をイメージさせる太い眉のせいで、そう感じるのだろう。だが、ぎょろついた目付きからは、若々しい力強さを感じる。昔からエネルギッシュな男だった。


「沖に心配されるとは、俺も落ちたものだな」

「なにぃ!? 三年の時に故障して三軍降格したオメーのリハビリを手伝ったのは、誰だと思っているんだ!」

「はいはい、あの時はありがとうよ」

 高橋が大げさに頷くと、沖はふんぞり返ってメニューを眺め始めた。



『そろそろ福岡の飯が恋しいだろう』


 それが今日のお誘いの理由らしいが、おそらく沖は、自分が精神的に追い込まれている事を薄々察している。不用意には踏み込んでこないが、とりあえず激励しようと、この席を設けてくれたのだろう。

 人情家。沖を一言で表現するなら、その言葉がしっくりくる。

 思い返せば、初めて口をきいた大学三年の頃から彼はそうだった。



「リハビリしていた時は、腰以外にも不安要素があったなあ。

 監督は三軍落ちした選手を気に掛けないし、取り巻きも姿を消してさ。

 話し相手がいなくて、いきなり独りぼっちになったような気がしたよ」

「無理もない。部員数は百人以上で、練習場が違う選手とは話す機会がないから、

 それまでの間、俺らみたいな万年三軍選手とは話す機会もなかったしな」

「そんな言い方するなよ。別に見下してたわけじゃない」

「分かってる、分かってる!」

「……でも、三軍で浮いていたのは事実だったな。

 沖も、そんな俺によく声を掛けて、リハビリを手伝う気になったもんだ」

「よくって……困ってそうな奴がいたら、声を掛けるもんだろうがよ」


 そうするのが当然、と言わんばかりの口調で沖は言う。

 こんな奴だから、自分がプロ入りを決めた時、泣いて喜んでくれたのだろう。

 一方、自分も暇を見ては、沖の練習に付き合うようになったわけだ。




「……そういや高橋。お前、最近腰はどうなんだ?」

 沖が、席付属のタブレットで注文を入力しながら尋ねる。

「最悪だよ。大学の時みたく、じっくりリハビリしたいな」

「すればいいじゃねぇか」

「そうもいかないよ。四年分の年俸が確定しているFA選手だから、

 試合に出ないと給料泥棒になる」

「でも故障は別だろう。選手生命にもかかわるぞ。しっかり休め」

「まあまあ。明日は頑張るから、テレビで応援してくれよ」

「心苦しくて見る気が起きんよ。

 ……一度、お前を批判するボードを掲げているファンが映ってな」

「そうか。そんなにボロクソな扱いなのか」

 思わず、自分に対する失笑が漏れてしまう。

 コンドルズファンとジャガーズファン、どちらの行為だろう。両方かもしれない。



「……ファンの反応、お前も気にしてるんだな。

 辛いなら愚痴って構わんぞ。少しは楽になるだろ」

「気持ちはありがたいが、楽になるのも一日だけだ。

 その都度お前に愚痴るわけにもいかんさ」

「あまり思いつめるなよ。大体、ファンなんて現金な奴らなんだよ。大学時代もそうだったろ? 追っかけの女の子達、三軍に落ちたお前には見向きもしなかったじゃないか」

「そうだったな。……谷崎(たにざき)ユキも消えたしな」

 ふと、嫌な記憶が蘇る。

 それでも、哀愁に浸りたいのだろうか……話を止める気はしなかった。




「三軍落ちした時に、彼女に捨てられたと言ってたな。その子の事か?」

「うん。ユキも元々は俺の追っかけでさ。

 大学は違うけど、雰囲気がいい子だから付き合ったんだ」

「そんなにも美人だったのか」

「顔付きは地味というか、素朴だったかな……

 ただ、透き通るような白い肌と、首の右側にあるほくろが印象的だった。

 いつも静かに笑って、健気に応援してくれる良い子だったよ」

「でも、捨てられたわけだ」

「ああ。三軍落ちした後は、一切連絡に応じなくなってさ。

 家に行っても引っ越してて、結局、自然消滅」

「それが今でも忘れられない……か」

「女々しいと思うか?」

「いや。むしろ女は過去を振り返らない。反対に男の哀しみは後からくるからな」

「哀しみとか、そんなんじゃないさ。

 ……ただ、同じ時間を過ごしたんだな、と思うだけだ」

 ふん、と鼻で笑って天井を仰ぐ。

 沖もそれ以上茶々を入れず、暫く無言の時が流れた。



 高橋は、思う。

 

 三年時の故障が無ければ、ユキとは結婚していたかもしれない。

 少なくとも、高橋はそのつもりだった。彼女は初めて肌を合わせた相手だった。

 そうして伴侶を得ていれば、彼女の為に奮起し、ファンのバッシングにも耐えられたのではないだろうか。

『誰かを守りたい』という気持ちは、自分の原動力なのだ。


 だが、ユキは消えた。父も蒸発した。

 高橋は、たった一人で重圧に耐え続けなくてはいけないのだ。

 もしくは、あの少女が言うように、逃げ出すという選択肢もあるだろうか……。


 



「……話は変わるんだが、ここに来る前、変わった女の子と会ったよ」

 特に深い考えはない。雑談のつもりで高橋は口を開いた。


「なんだ、三十過ぎのオッサンのくせして、逆ナンされたのか」

「馬鹿。小学生くらいの子だよ。その子、なぜか俺の考えを見抜けるんだ」

「何を考えていたか知らんが、偶然じゃないのか?」

「偶然じゃないよ、あれは。あと『悩みがあるなら、親がやっている旅行代理店に来い』みたいな事も言っててさ。なんだったのかなあ、あれ」

「旅行代理店……」

 話を聞いた沖の目付きが、ギラリと輝いた気がした。

 それから、注文の品が届くまでの間、沖は妙に無口になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ