90、【怠惰】とカレーパン争奪戦5
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『二人の少女と沢山の冒険者が屋根を飛び回っている。』
そんな通報や苦情がこの町の数少ない兵士の耳に入るまでには大して長い時間はかからなかった。
屋根の上を通り道にされた家主や踏み台にされた馬車の持ち主、さらにこの騒ぎのせいで商売を邪魔されたと訴える商人など、数多の人々が兵士の元に殺到したからである。
それらの声を聞き届けた彼らは弱き町民を守るため急いで現場に駆け付けたが、そんな彼らを待ち受けていた現実は非情であった。
この町はガンギルオン大樹海と隣接しているため対人戦を主体とする兵士よりも対モンスター戦を主体とする冒険者の方が多く、逆に他国との国境からは離れているために兵士の仕事は門番と町中の巡回、所謂パトロール位であった。
ただでさえ多くは無い数十名ほどの兵士だが休憩や休暇のためにローテーションを組んで職務に当たっているため、実際に町を警護している人員は両手の指で数えるほどしか居ない。
そして警備や荒事の鎮圧が主な仕事となる彼らは総じて金属製の重装備を着用していた。
当然ながら重装備のままでも軽快に動けるように訓練は積んでいるのだが、流石に屋根の上に上ってピョンピョンと動き回るのは難しいだろう。
そもそも屋根の上を人が通っているのが気に食わないから彼らに声がかかった訳なので、町民の模範となるべき彼ら自身が屋根の上を行く姿を人々に見せる訳にもいかないのだ。
先回りをして待ち伏せできるほどの人数が居ない、そもそも先回りできるほどの機動力が無い、そして屋根の上に乗る事すら出来ない。
そんな彼らが縦横無尽に飛び回る二人の少女と冒険者たちを止めることはできるのであろうか?
当然ながら答えは否であった。
だがこれだけは勘違いしないで頂きたい。
彼らは決して無能という訳でも無ければ非力でもない。
今回の事件とただただ相性が悪かっただけ、ただそれだけなのである。
事実として彼らは少女と冒険者を追う事を諦めてはいないし不満を口に出す者も居ない。
何故なら彼らは自らの仕事に誇りを持っているからだ。
負けるな、兵士!
がんばれ、兵士!!
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時刻はまだまだお昼時、ご機嫌に笑う太陽が石造りの建物をジリジリと熱くさせている中でベルと冒険者の逃走劇は今だに続いている。
しかしベルの足はかろうじて動いている状態であり、その後ろを冒険者が付け回しているだけの状況が『逃走劇』と呼べるのかはいささか怪しいものではあるのだが。
とにかく疲労で自身の可愛い顔を歪ませている今のベルには集中力や注意力といったものが少々おざなりになってしまっていたのであろう。
次の屋根に飛び移った後になってベルは適当に移動していた自分のいい加減さを呪うことになる。
「…うそ……屋根が………無い!?」
正面は雑草が生い茂った年季のある空き地、右側には大通り程ではないが馬車が通れる程度の空間がある道が広がっていたのだ。
そして左側に目を向ければこの瞬間を待っていたと言わんばかりの表情をした冒険者がすでに構えていた。
後ろ側については言うまでもない。
ベルの逃げ道は完全に閉ざされたのだ。
疲れと絶望で硬直していると、ベルの乗っている屋根に冒険者としては少々華奢な男が飛び移って華麗に一例をした後、朗々とベルに語り掛け始めた。
「ようやく話を聞く気になったかい、お嬢ちゃん?こっちはちょっと交渉したかっただけなのにいきなり逃げるなんて悲しい気分になってしまうじゃないかよぉ。」
「……交渉に……そんな人数は要らないと…思うんだけどなぁ。」
「まぁまぁ、それについては悪かったよ。今度は気を付けるからさ。」
「…今度じゃなくて……今から気を付けてほしいかな。」
ごもっともである。
「また逃げられても困るから今は勘弁してほしいな。こちらの要求さえ呑んでくれたらすぐに散らばるって約束するから。」
「…どんな?」
いつの間にか交渉ではなく要求になっているが、それに気が付けるほどの集中力は今のベルには無くなっていた。
「我々もそれが貴重な物であることは重々承知しているつもりさ。それでもまだ残っているのであれば譲っていただきたいんだよ。……お嬢ちゃんが持っているハズの、カレーパンをね!」
「……は?」
「…おっと失礼、カレーパンに匹敵するほどの他の食べ物も等しく我々は欲している。説明不足で嬢ちゃんの目を丸くさせてしまってすまなかったね。」
「……は?」
貴重な物だと言うから警戒していたベルはあまりの要求のしょぼさにキョトンとしていた。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔とはまさにこういう表情の事を言うのであろう。
ベルからすれば1DPでポンと出せる程度の食べ物なので貴重なんて感覚はもちろん無い。
つい最近自分のダンジョンで行われていた無限にDPを増やせる実験の事を知らないベルだが、DPは一日50ポイントずつ増えるものだと認識しているので限りのあるものだとは思っているものの1DPが貴重だとは思っていないのだ。
それでもベルの返事はノーであった。
「……良く分からないけど…嫌な奴らには……あげないよ。」
「ふむ、こちらとしても町の中で手荒な真似はしたくないのですよ。」
「…それで?」
「この町の防壁は中々の高さですが、場所によっては家の屋根と同程度の高さになっている場所もあるんですよ。そこからお嬢さんを外に連れ出せば手荒な真似をできるようになるのですがね。」
「…連れ出す時点で……十分手荒だと思うんだけど。」
「大丈夫です、兵士は仕事をしていないようですからね。」
兵士は人知れず頑張っているのである。
ともあれ華奢な男以外の冒険者もニタニタとした表情でベルの乗る屋根に飛び移り始めた。
引きつった顔で後ずさろうとしたベルだったが、すぐにかかとが宙に浮いたような感覚を感じたので急いでその足を止めた。
逃げ場はなく周りも囲まれている、もはやこれまでと諦めかけたベル。
その時ベルの耳に救いの女神たちの声が聞こえてきた。
「そのまま後ろに落ちなさい!アタイたちが受け止めるから安心しなさい!」
「ミスったらゴメンっス!」
「コ、ココアちゃん!?正直に言っちゃダメだと…思うな。」
「…ん。」
その声の方を見やれば四人の少女が布のようなものの四隅を引っ張って広げている様子が確認できた。
正面から迫る目がギラギラした冒険者たちと建物の下で叫ぶ四人の女系冒険者。
ベルはその二つの選択肢から後者を信じて家から飛び降りた。




