79、【怠惰】は正義の味方
一方で服が濡れた男の怒りは益々ヒートアップしていくばかりであった。
コップを倒したと思われる女性は服装を見る限り店員ではなく男と同じく客の一人であるようだが、肝心の店員はこの騒動を横目で見るばかりで止めに入る素振りは全く無い。
「この服の代金、もちろん弁償してくれるんだよなァ?今すぐ払うなら迷惑料込で10万Gほどで許してやってもいいんだぜェ?俺って親切だろォ、お前と違ってよォ。」
「そ、そんな!?そんな額、常に持ち歩いている訳ないじゃないですか!?」
「うるせェ、口答えすんな!!」
「ソフランさん、あのダサい服ってそんなに高いの?」
「見たところモンスター素材ですらないただの布で作られているんじゃないかしら~。高くても3000Gくらいかしらね~。」
「あの男は人を脅す事に随分と慣れているように見える。ああやってふっかけることで全財産をぶんどるつもりだろうな。」
よくある事だ、と付け加えながらやれやれと首を振るトリル。
どこか諦めたような表情のトリルに対してベルは尋ねる。
「助けないの?」
「助けるも何も悪いのはコップを倒した女性の方だろ?一方的にぶんどろうとしたんなら考えるけどよ、口は悪くても内容は謝罪を要求しているだけだからな。」
「そうにぇ。もうちょっとひどい内容だったら助けたかもしれないにぇけどこの程度じゃ個人の責任にぇ。例えば相手がナイフを抜いて脅したりしたら考えるにぇけど──」
「──とっとと払わないとこのナイフがお前の首を貫くことになるぜェ!」
「ひッ!!」
「「「ナイフ抜いてるッ!?」」」
「オイオイ……口と頭、悪いのはどちらか片方でいいってのに。」
「あらあら~。」
流石に男がここまでするとは誰も予想していなかった。
フラグを即回収されたオニキスは当然ながら、むしろベルたちが強硬手段に出るかと思っていたトリルとソフランも男の短気さに度肝を抜かれてしまった。
とはいえトリルとソフランに女性を助ける気は全くなかった。
あの女性を救ったところで自分たちの利益が全くないからである。
非情にも聞こえるかもしれないが、自分たちの収入を増やすためだけに少人数で活動している二人にとっては当然の判断であった。
ベルたち以外にも居た他の野次馬も動く気配はない。
こちらは純粋に刃物を恐れて一定距離を保っているだけだが、店員が今だ止めに入らないのは他の野次馬と同じ理由であろう。
もはやこの場には女性を守ろうと考えている者は存在しない。
二人の少女を除いて。
「来て、『おもいやり』!」
「現れよ、堅牢な光の壁よ!【障壁】!」
ストレージリングからアダマンタイト製の槍を出して装備したベルが走り込み一触即発だった男性と女性の間に入り込もうと体を滑らせ、少し遅れてフェゴールによる防御魔法がベルと女性を優しく包み込む。
生まれたばかりの二人ではあるがガンギルオン大樹海を抜けてきた経験はしっかりと実力に結びついているようで、人を脅して金を奪うような小物のゴロツキ程度の実力しかない男はベルの割り込みをあっさりと許してしまう。
それにしてもベルは大樹海で『蒼天の探求者』のジャンが言っていた『重い槍』のギャグが気に入ったのか、この槍の名前自体が『おもいやり』になったようだ。
「何だァお前はよォ!?」
「正義の味方だよ、ッてゃ!」
「ちッ。」
挨拶とばかりに繰り出したベルの突きによる牽制を避ける為に後ろに飛びのいたゴロツキ男だが、柄の長い槍による攻撃を真後ろに避けようとしたのは失敗であった。
後ろに飛んでいる感覚は確かにあるのに、その速度以上の速さで体に吸い寄せられる穂先。
鋭利なアダマンタイトが自らの体を貫く直前、地面に付く感覚を取り戻した足を横方向に蹴りだした事によってゴロツキ男は何とかリカバリーに成功したのであった。
「こんのォ、舐めやがってよォ……ん!?」
怒りのままに反撃に移ろうとしたゴロツキ男だったがいまだ目の前には槍の穂先が向けられており、それなのにベルは男の攻撃が直接届かない位置に居た。
「ナイフはね、携行性に優れていて服の下とか袖の中に隠して奇襲するのに向いている武器なんだよ。それなのに自分から見せてたらただの短い剣、リーチのある槍にはとっても不利なんだから。」
「くっ。」
ゴロツキ男がベルを刺すには自分に向けられた槍を躱して接近しなければならない。
冒険者や兵士にはごくごく当たり前な事なのだが、ナイフを脅しの道具としてしか使用していないゴロツキ男はその点を全く理解していなかったようである。
さらに運よく一撃を通せたとしてもフェゴールの張った魔法によって防がれてしまうため、ゴロツキ男は完全に積んでいると言えるであろう。
なお実際にはベルの槍に攻撃力が無いので全身全霊のハッタリであるのだが。
手を離れれば重い槍
装備したらただの棒




