日本と外国の「『〇』と『×』の違い」について
春休みということで、マンガを読んでたんですよ。
その中に「何で〇が正解なの?×が正解じゃないの?」ということを訪ねているシーンがあったのです。
それを読んで「え?何言っているんだろう」という気持ちになりました。
日本は技術などは基本外国から持ってきているので、そういうことは外国でも変わってないだろうと考えていたからです。
というわけでなんで違うのか気になったので、ちょっと考えてみました。
...まぁあくまでも憶測なので事実とはだいぶ異なるだろうけど。
まず魔改造に定評のある日本ですが、基礎的なことが180度変わるというのは私が知る限りではありません。
お前などの日本だけで使われているものの意味は結構変わることが多いですが。
さすがに基礎的なことが真逆になったら使っているほうが困るだけですから。
というわけで最初、「〇」と「×」は「正解」「不正解」という意味で伝わったのではなく、「丁」「半」のような二つに分ける意味で伝わったのではないかと。
で、その後、「外国では〇と×は正解か不正解かを分けるときに使うらしい」ということが伝わって、いまのようになったのです。
で、ここからが本題。「なぜ『〇』と『×』の意味が違うのか」
それは「失敗への考え方」です。
なぜそんな考え方になったかというと、『「〇」と「×」の形』です。
「〇」と「×」は、基本文字が書かれている上から書き込みます。
そのとき「〇」だと書かれている文字が読みやすいのですが、「×」だと読みづらくなります。
だから、「見るべきもの」と「見なくてもいいもの」というくくりになっていると考えました。
で、そこで出てくるのが「失敗の考え方」です。
日本人は、「失敗は恥」などという考え方が多く、失敗に対して否定的です。もはや恐れているように感じるくらいには否定的です。
ですが、外国では失敗をそれほど恐れません。恥とも思いません。失敗しても、軽い感じで済ませて、失敗を引きずることは少ないです。
そのことが、「〇」と「×」の認識の違いのもとになっているのでしょう。
日本では、「×」が「不正解」だから「〇」が「正解」になったという感じがします。
失敗をネガティブにとらえて、「×」で読みにくくし、成功を「〇」で強調して隠してしまおうとしたのだろうという考え方です。
日本では、「×」は「見なくてもいいもの」ではなく「見られたくないもの」というというくくりになっていると思います。
しかし外国では、「〇」が「不正解」だから「×」が「正解」になったという考え方と、「×」が「正解」だから「〇」が「不正解」になったという考え方の両方があります。
「〇」が「不正解」だからという考え方だと、失敗したのだからちゃんと覚えられるように強調したという感じで捉えることができますし、「×」が「正解」だからという考え方だと、「正解」したのだから見なくてもわかっているだろうという感じで捉えることができます。
まあ、両方の理由でこうなったのでしょう。
総じて、
「失敗に対してポジティブかネガティブか」
の違いが、そのまま
「『〇』と『×』の違い」
につながっていったのではないかという結論に達しました。
まあ、ここまで語ってきましたが、今は×ではなくvの右側がはねるやつが使われていますし、グローバル化も進んできていますのでこの考察に意味はほとんどないんですがね。
書いてからこれはエッセイでいいのかと10分ぐらい考えてた。
あとチェックマークが環境依存文字だということをはじめて知った。