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第一章その3

 やがて馬車は一軒の洋館の前で停まった。

 ルーンバウム兵が守る門の間を抜け、敷地内に足を踏み入れると、そこはもうアストリア王国だった。

 大国ルーンバウム帝国の首都の一角を切り取ったように忽然と出現した、アストリア王国の小さな役所。

 それがルーンバウム帝国駐在アストリア王国大使館。

 建物まで続く道の左右に、人の列ができていた。

 自分を迎えるために、全職員が出てきたらしい。

 大げさな事だ、とフィンシードは思う。

 しかし新しい角出の時なのだから、多少大げさに思うくらいでちょうど良いのかも知れない。

「ようこそ、殿下。アストリア王国大使館へ」

 その中から一人の中年の男が進み出てきた。

「君は公使の……」

「ラーカイラムです。以後、お見知り置きを」

「ああ、頼りにするよ」

 若い人材が揃った大使館メンバーの中で、ラーカイラムは最年長になる。

 大使に次ぐ公使という役職で、普段はフィンシードを補佐し、時には大使代理として働く事になる。

「お久しぶりです、殿下」

「デュラムか。久しぶりだな」

 続けて進み出てきたのは、見知った男だった。

 先の大戦の時、フィンシードの副官を務めていたデュラムだ。

 これからは駐在武官として、フィンシードを始めとする要人警護に当たる。

 気心の知れた相手という事で、最も頼りにする事になるだろう。

「初めまして、殿下。領事部のクリーズです」

 続けて進み出てきたのは実直そうな青年だった。

 領事部はルーンバウム帝国に住むアストリア人の生活を守る業務を担当している。

「フィンシードだ。地道で大変な仕事だろうが、がんばってくれ」

「もったいないお言葉です」

 さらにもう一人、進み出てきた者がいた。

「初めて御意を得ます、殿下。政務部のハーディングと申す者です」

 そして道化師のようにおどけた仕草で深々と礼をする。

「こら! ハーディング! 控えろ!」

 すかさずクリーズが叱責の声を上げるが。

「いや、いい」

 フィンシードはそれを片手で制した。

「……なるほど。殿下は堅苦しいのが嫌いなお方だとデュラムが言っていたが、本当らしい」

 ハーディングは人を食ったような笑みを浮かべる。

 クリーズが刺すような視線を向けていたが、意に介す素振りさえ見せない。

「俺としてはそういう人の方がやりやすい」

 政務部はルーンバウム帝国内や諸国の情報を集め、また交渉や折衝に当たる業務だ。

 ハーディングのように、状況に応じて様々な態度を使い分けて有利に事を運ぶ能力も必要になるだろう。

「よろしく頼む、ハーディング」

「こちらこそお手柔らかにお願いします、殿下」

 そして二人は握手を交わした。

 次の人物が進み出てくる。

「初めまして、殿下。経理部のマリアベルです」

 進み出てきたのは、腰まで届く長い髪が印象的な優しげな女性だった。

 外見からは想像も付かない事だが、アストリア王国でも数少ない女性官吏であり、その中で周囲から一目置かれるほど有能な人物といえば、彼女しかいない。

「ああ、君が噂の……」

「どのような噂でしょうか? 殿下?」

「いや、悪い噂じゃなくて……」

「いいんです、慣れてますから」

 にこやかに笑い、優雅に一礼してマリアベルは一歩下がる。

 代わりに進み出てきたのは、やはり女性だった。

「………」

 ただ黙って、彼女は一礼した。

 質素なメイド服を着ている。

 それだけで彼女の身分や立場は察する事ができた。

「初めまして。こちらでメイド長を勤めさせていただいております、アリシアです。これからは殿下や皆様の身の回りのお世話をさせていただきます」

 そして顔を上げる。

 にこやかに笑いながら、黒曜石の瞳の奥には凛とした光が宿っている。

 大使館に勤めるメイドは現地で雇ったルーンバウムの人間だと聞いてはいた。

「あの……殿下?」

「……いや、何でもない」

 見とれていたのか、少しの沈黙があったようだ。

 誤魔化すようにひとつ咳払いをしてから声をかける。

「フィンシードだ。よろしく頼む」

「かしこまりました」

 一礼して、アリシアは下がっていく。

 フィンシードは改めて、自分を迎える人々の列を見た。

 期待や不安、羨望といったそれぞれの感情を込めた視線が、自分一人に向けられている。

 アストリア王国大使フィンシード以下、秘書フィーナ、公使ラーカイラム。

 参事官デュラム以下、警備部五名。

 参事官ハーディング以下、政務部五名。

 参事官クリーズ以下、領事部五名。

 参事官マリアベルの経理部一名。

 専属の薬師一名に通信部三名。

 そしてアリシア以下、ルーンバウム人のメイド四名。

 この計二十七名がルーンバウム帝国駐在アストリア王国大使館の陣容だった。

 アストリア王国の命運を託すには、あまりにも心許ない人数と思えるだろう。

 しかし戦争は終わり、時代は変わったのだ。

 情報を集め、武力に頼る事なく、粘り強く交渉に当たり、様々な問題を平和的に解決する外交の舞台において、心強い戦力になってくれるに違いない。

 戦わない事。

 そして戦わせない事。

 今この時、ルーンバウム帝国を舞台に、フィンシードの新たな戦いが始まる。

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