終章
「いらっしゃいませ。『ハバラートの虹』亭へようこそ!」
フィンシードらアストリア大使館一行を、店の前に立ったソフィアは笑顔で出迎えた。
「やあソフィア。開店おめでとう」
「ありがとうございます。これも王子様とみな様のおかげです」
そして深々と頭を下げる。
コレットとソフィアの店は、二人の努力も実ってようやく開店へとこぎ着けた。
今日は開店を控えてのプレオープンという事で、大使館メンバー全員を迎えての夕食会を催す事となった。
「……『虹』になったんですね」
アリシアが声をかける。
コレットとソフィアの二人が初めて大使館に来た時は、「滝」だったのだが。
「ええ、アストリアとルーンバウムの架け橋になるようにって、姉が」
「ハバラートの滝は水量が多いから、雨上がりじゃなくても晴れた日には虹が架かる事があるんだ」
フィンシードが付け加える。
「そうなんですか……一度行ってみたいですね」
アリシアはいつものようににこやかに笑う。
「さあみなさん、中にどうぞ」
ソフィアはドアを開ける。
「ど~も~っ、いらっしゃいませッス~!」
コレットが駆け寄ってきて抱き付いてくる。
……一番最初に入ってきた妹に。
「お、お姉ちゃん!」
「どうしてソフィアちゃんが一番最初に入ってくるの! 王子様かクリーズさんが最初だと思ったのに!」
「あーっ、姉妹で仲良く抱き合ってないで、早く中に入れてくれるかな?」
そのクリーズがため息混じりに言う。
「おっと、そうだったッス。『ハバラートの虹』亭へようこそ! さあみなさん、入って入って!」
店内は暖かみのある内装で、椅子とテーブルが所狭しと並べられていた。
それぞれ適当な席を選んで座っていく。
「忙しそうですけど大丈夫ですか? もしよろしければお手伝いしますけど」
アリシアがメイド三姉妹を連れてコレットに声をかける。
「いやいや、それには及ばないッス。今日は開店前の練習を兼ねてるから、むしろ悪いところがあったら遠慮なく教えて欲しいッス」
「そうですか……では今日は楽しませていただきます。みんな、こっちに座りましょうか」
「は~い」
「楽しみで~すっ」
「……………」
アリシアと三姉妹は四人で隅のテーブルをひとつ占領する。
一方、アボットは三人の仲間と久々の再会を果たしていた。
「お前らも大変だなあ」
「そうッスねえ。でも俺らはこの仕事、初めてじゃないし」
「ああ、そうだっけ」
「こらーっ! 野郎ども! 無駄話してないできりきり働けーっ!」
そしてコレットが今日も吠える。
「へいっ! 姐さん!」
「誰が姐さんだっ! シェフと呼べシェフとーっ!」
……まあ何だかんだと上手くやっているようではある。
そしてフィンシードはフィーナとラーカイラムでひとつのテーブルを占領している。
フィーナは何となくそわそわした様子で、ずっと向こうのテーブルに視線を送っている。
その先にあるのはアリシアとメイド三姉妹のテーブルだった。
「……行ってもいいんだぞ?」
「え? い、いいえ、私はお兄様の秘書ですから、ずっとそばにいます」
そう言って背筋をびっと伸ばしたりする。
「まあ今回はフィーナもがんばったんだし、公式の場じゃないんだから。遠慮なく行ってくればいいよ」
「そ、そうですか?
……ではみんなアストリアの料理の事は知らないでしょうから、教えてきますね。
ええ、私が行きたいから行くわけじゃありませんから」
などと無駄な言い訳を並べ立てる。
「行きたくないなら無理にとは言わないぞ」
「いえ、行ってきます! すぐに行ってきます!」
フィーナは席を立つと、笑顔でスキップしながらメイド三姉妹の待つテーブルに向かっていく。
……店内が狭いから、途中何度もつまづいていたが。
「優しいお兄様ですなあ」
ラーカイラムはにやにやと笑っている。
「……うるさいぞ」
妹に甘いと、自覚はしている。
自覚しているんだから、別にいいじゃないか。
……あれ? 向こうのテーブルは四人がけじゃないか。
フィーナが行って五人になったら、一人余るな。
込み入った店内をまるで何事もないかのように、真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる女性の姿が一人。
「お隣、よろしいでしょうか?」
アリシアだった。
「……まあいいけど」
「それでは失礼します」
優雅な仕草でフィンシードの隣に座る。
隅のテーブルに視線を向けると、フィーナと三姉妹が顔を寄せ合って、こちらをちらちらとうかがっている。
……まあいいか、今回はフィーナもがんばったんだし、あいつらへのご褒美だと思えば。
「ややっ、それでは年寄りはこれで退散します」
ラーカイラムは気を遣ったつもりなのか、そそくさと席を立つ。
おーい、そんな事、頼んだ覚えはないんだが。
大使館で唯一の妻子持ちの中年は、空いた席を探して混雑する店内を徘徊したが見付からず、ソフィアが椅子を持って来てくれて、ようやく自分の居場所を確保する事ができた。
「さてみなさん、お酒と料理も行き渡ったところで、店長のソフィアちゃんから挨拶があるッスーっ」
「ちょっとお姉ちゃん! 挨拶するなんて聞いてないよっ!」
勝手極まる姉の司会進行に抗議する妹の声は、盛大な拍手にかき消される。
新米店長は泣く泣く挨拶を始める。
考えながらなのでたどたどしい挨拶だったが、心のこもった感謝とお礼の言葉はみんなの胸を温かくする。
「ソフィアさんが店長だったんですね。てっきりお姉さんの方が店長なんだと思ってました……あ、どうぞ」
「自分は料理に専念したいんだってさ。経営とかよくわからないし、だって……ありがとう」
フィンシードはアリシアが酒を注いでくれたジョッキを手に取る。
酒はアストリア産の麦酒である。
輸送コストがかさむ関係で国内より割高な値段になるが、それでも故郷の味を懐かしもうという人は少なくないだろう。
「それではソフィアちゃんの挨拶が終わりましたので、続いて王子様からお言葉をいただくッス」
「ぶっ」
ジョッキに口を付けていたフィンシードは、麦酒を吹き出す。
周りからは盛大な拍手と一緒に笑い声が溢れた。
……いや、店長が挨拶した時点で予想しなきゃいけなかったんだが。
フィンシードは立ち上がり、ひとつ咳払いをする。
それだけで店内は静まり返り、全員の視線が集まる。
人々を苦しめた長い戦乱の時代が終わり、アストリア王国とルーンバウム帝国を含む六カ国が迎えた平和の時代は、まだ産声を上げたばかりだ。
フィンシードが大使に就任してから、これまで様々な問題を解決してきたし、これからはさらに多くの問題を解決していく事になるだろう。
ルーンバウムに来た当初、フィンシードはその身を川に流される一枚の木の葉のように頼りなく思った。
今、目の前にはアボットを加えた二十七人の大使館メンバーと、「ハバラートの虹」亭の五人が集まり、期待を込めた視線をフィンシードに向けている。
圧倒的な時代のうねりの中で、この人数はあまりにも少なく、頼りない。
しかしこの仲間達となら、流れに飲み込まれる事なく、乗り越えていける気がする。
自分に何ができるだろう?
この仲間達のために。
この国と祖国の未来のために。
まずは伝えよう。
これまでの感謝を。
今ここにある幸福を。
そしてこれからの希望を。
自分の言葉で。
フィンシードはそっと息を吸い、口を開いた。