第一章その2
ルーンバウム帝国の後継者争いに端を開いた戦乱の時代は百年に渡って人々を苦しめた。
大陸を制する六つの国は長い戦乱の末に疲弊し、田畑は荒れ、人民は苦しい生活に喘ぎ、平和を望んだ。
そして帝国歴五百二十三年、六カ国は停戦協定に合意し、各地で繰り広げられていた戦争は幕を下ろした。
それから五カ国はルーンバウム帝国に使節を送り、戦乱の時代の傷跡を癒し、その後の平和な時代を築くための指針を定めるべく話し合った。
そして六カ国の代表による、二年間に渡る激論と駆け引きの末に合意に至ったのが、いわゆる「六カ国条約」であった。
これまでの武力による問題の解決から、話し合いによる平和的解決という方向に大きく梶を切った「六カ国条約」の中で、一つの画期的な制度が作り出された。
五カ国はルーンバウム帝国に常駐の外交使節団を派遣し、これによって可及的速やかに問題解決を図る事としたのだ。
五カ国の中の一つに、アストリア王国という小国があった。
霊峰ハバラート山と、そこに住むドラゴンを崇め、守護する部族から発展した、山岳地帯の小さな国である。
山岳地帯故に守りは堅く、長い戦乱の中で何度もルーンバウム帝国に攻め立てられながら、ついに寸土を侵される事なく停戦を迎えた。
しかし兵士を中心に多くのアストリア王国の民が命を落とし、停戦を迎えてなお軍部を中心に和平に反対の声を上げる者は多い。
その中心にいるのが、第二王子ライナスである。
冷静で頭は良いが、感情より理性を優先し、どこか人間味に欠けると評される事もある彼だったが、停戦間際に婚約者をルーンバウム帝国軍に殺されてからは一変した。
声高にルーンバウム帝国を非難し、父であり、和平を推進するアルバート国王や、兄である第一王子シルセスとも意見を対立させる事になった。
第二王子ライナスは前線に出る事こそ少なかった物の、後方で軍を支援し、軍部からは信望が厚かった。
対して第一王子シルセスは穏やかな性格で軍部との関わりが浅く、文人や国民からは人気が高かったが、軍部からはあまり受けが良くなかった。
軍部の中には、アルバート国王の後継者には、第二王子ライナスの方が相応しいと影でささやく声も少なくない。
和平派と反対派の対立が深刻化する中で、第三王子フィンシードの立場はさらに微妙だった。
戦争中は前線で軍を率いて戦い、ルーンバウム帝国相手に数々の功績をあげながら、停戦を迎えると和平派に回った。
戦場で共に戦った軍部の人間にとってはそれは裏切り行為に見えたし、和平派にとっては、軍部の人間は信用できるように思えなかった。
和平派と反対派と、両者から疑い非難の眼差しを向けられながら、フィンシードは自分の考えを曲げようとはしなかった。
家族や友人を殺され、今日まで仇敵と憎んできたルーンバウム帝国と、明日からは積年の恨みを捨てて手を取り合って生きていこうと言われて、はいそうですか、といきなり従えるはずもない。
前線で戦ってきたフィンシードだから、兄ライナスや和平反対派の彼らの気持ちは痛いほどわかった。
まして戦争で命を落としたライナスの婚約者は、フィンシードにとってもかけがえのない、大切な人だったのだ。
しかし前線で戦ってきたからこそ、もう家族や友人を失う悲しみや憤りを繰り返さないためには、憎しみや恨みを捨て、和平の道を選ぶ他にない事もわかっていた。
和平派と反対派の対立が深刻化していく中で、フィンシードは次第に孤立し、両者の対立を傍観するようになっていった。
そんな中で六カ国条約が成立し、ルーンバウム帝国に派遣する大使の人選が行なわれ、白羽の矢が立ったのがフィンシードだった。
推挙したのは第二王子ライナス。
表向きはそんな素振りは少しも見せないが、反対派の彼としては、和平派でありながら軍部に信望のある弟は目障りな存在だったに違いない。
そしてアルバート国王と第一王子シルセスもこれを承認した。
和平派の彼らにとって、大使にはそれなりの人材を派遣したかったろうし、宮廷で孤立を深めるフィンシードを不憫に思ったのかも知れない。
和平派と反対派が対立する様を、そして何もできない自分を歯がゆく思っていたフィンシードにとって、願ってもない話だった。
窮屈で、日に日に居心地が悪くなっていく宮廷に閉じこもっているより、新天地ルーンバウム帝国に出て、故国を遠くから眺め、視野を広げながら、和平に直接関わっていく事こそ自分の成すべき事のように思えた。
かくして、ルーンバウム帝国駐在アストリア王国特命全権大使フィンシードが誕生する事になった……。
「……もう! お兄様! 聞いているんですか!? 」
「え? ……ああ、すまない。考え事をしていた」
フィンシードは妹の声で我に返った。
場所は王宮から帰る馬車の中。
向かい合って座った妹フィーナは、ただでさえ幼く見られがちなのに頬を大きく膨らませて、ますます幼く見えた。
「まあいいですけど……やっぱりルーンバウム帝国の街並みは、アストリア王国とはだいぶ違いますね」
「そうだな」
「人が多いし、地面はきれいな石畳だし、坂道も少ないし……」
見慣れぬ異国の街並みに、フィーナは目を輝かせている。
フィーナのこんな笑顔を、しばらく見ていなかった気がする。
戦争や政治の上での対立のために不幸な目に遭うのは、何も男ばかりではない。
むしろ女性だからこそ、自分の意志とは無関係にその身に不幸が降りかかる。
フィーナには同年代の友達が何人もいたが、宮廷での対立が深まるにつれ、親が違う立場という理由で付き合う事を禁じられ、気まずい関係になっていった。
口では平気だと言って気丈に振る舞うフィーナだったが、時折、笑顔の影に寂しさが見え隠れすると、その度にフィンシードは胸を痛めた。
そして大使就任が決まると、フィンシードはフィーナを秘書として同行させる事を願い出た。
この明るく純真な妹が政争に巻き込まれて胸を痛めるのを、いつまでもそのままにしてはおけない。
ルーンバウム帝国だって理想郷とはほど遠いだろうが、遠く離れた故国に置いてくるよりは、自分の側にいた方がずっと安心に思えた。
最初は難色を示した父アルバート国王だったが、ついには娘のためを思って了承した。
「お兄様、ルーンバウム帝国にはたくさんの女性がいますから、きっといい人が見付かりますよね?」
「……フィーナ、一体、何を言い出すんだ?」
「お兄様が早く身を固めてくれないと、妹は安心してお嫁に行けないんですから」
「不肖の兄の事は放っておいてくれ。お前まで行き遅れるぞ」
フィンシードがうんざりして言うと、フィーナは子供っぽく頬を膨らませる。
「お兄様は顔も良いし、性格も優しくて素敵だし、頭だって良いし、剣の腕はアストリア王国一、しかも王族の一員なのに、どうして結婚できないんですか?」
「まあ、それはあれだ……俺が結婚できないままおじいさんになったら、フィーナと結婚するしかないな」
「そうですね。良い相手がいない同士、くっついた方が……って、それじゃダメじゃないですか!」
……少なくともこんな会話をしている内は、兄も妹も結婚どころか恋人なんてできるはずないか。




