第五章その13
そして大使館には平和が戻った。
散らかった部屋はすぐに片付けられ、何事もなかったかのようにいつもの日常が始まる。
アボット達は逮捕され、取り調べを受けながら裁判を待つ身となった。
そしてフィンシードはハーディングを連れて、この事件での賠償を請求する交渉に臨む。
ルーンバウム帝国の交渉団に対し、ハーディングは強気の態度でまくし立てる。
事件が発生したそもそもの原因は、ルーンバウム帝国軍が治安を維持できていなかった事にある。
さらに大使館周辺の警備を担当しながら賊の侵入を許し、その後も大使館を取り囲むだけで、人質を救出して事件を解決する事ができなかった。
フィンシードの活躍で事件が解決できたから良かったようなものの、ルーンバウム帝国軍の失態は明白である。
多額の賠償金と共に、エドヴァルド将軍ら治安担当者の厳しい処罰を強く求めた。
始めは勢いに飲まれて、口をぽかんと開けてハーディングの発言を聞いていたルーンバウム側交渉団一行だったが、やがて要求の厳しさに気付いて蒼白になり、そして真っ赤になって反論する。
ルーンバウム側交渉団はいくつかの和解案を用意してきたが、ハーディングの要求とは大幅にかけ離れていた。
多額の賠償金はただでさえ厳しい帝国の財政事情に関わってくるし、治安担当者の処罰も治安が悪化している現状を考えれば、現場に与えるダメージは計り知れない。
そして何よりも、大国であるルーンバウム帝国が小国のアストリア王国に膝を屈したように見られては国王の権威に大きな傷を付けるし、そうなれば交渉団の一人一人の将来の安泰にも関わってくる。
帝国の意地とプライドにかけて飲むわけにはいかないのだ。
次々と叩き付けられる罵声と反論のひとつひとつを、ハーディングは冷笑さえ浮かべて受け流し、帝国軍を痛烈に非難する。
怒り心頭、交渉団はますますいきり立つが、帝国軍に落ち度がある以上、なかなか論破できない。
フィンシードは交渉団の五人を向こうに回して一歩も引かないハーディングを、ただ黙って見ている。
たまに交渉団の方から意見を求める声もあったが、フィンシードは笑ってはぐらかすだけで、まともに答えようとしない。
交渉開始から二時間ほどが過ぎ、交渉団もハーディングも疲労の色が濃くなってきた。
意見も出尽くし、議論は平行線のままだが、ここらで休憩に入るべきではないかという考えが一同の頭をよぎり始めた頃だった。
これまで黙っていたフィンシードが口を開く。
ハーディングの主張する通り、帝国軍が治安維持や大使館の警備、事件の解決などで失態があったのは明白である。
しかしそれをあえて許そうと思う。
戦争が終わり、ルーンバウム帝国とアストリア王国は平和への道を歩み始めたばかりである。
両者の間にしこりが残るような和解案は、平和の妨げになる。
ひと時の感情と目先の利益に囚われ、長期的な信頼関係を築くという最も重要な課題を見失ってはならない。
まず賠償金は形ばかりの低額に、治安担当者の責任は問わない。
そして大使館を不法占拠したアボットら賊の罪を問わない事をお願いしたい。
フィンシードの提案は、交渉団の面々に沈黙をもたらす。
定額の賠償金と治安担当者の責任を問わない事は、交渉団にとって喉から手が出るほど求めていた物である。
しかし賊を無罪放免にするとはどういう事なのか?
人質を取られ、大使館を占拠されたフィンシードは賊を厳罰に処する事を求めるのが当然だが……。
問われて、フィンシードは笑って答える。
ルーンバウム帝国とアストリア王国、両国は長年に渡る戦争で多大な犠牲と恨みを募らせてきたが、今は戦争が終わり、平和な時代となった。
戦争の恨みを忘れ、両国の長期的な信頼関係を築くために、今回の帝国軍の非を許す。
アボットら賊も戦争の被害者であり、アストリア王国に恨みを抱くのも無理はない。
戦争が終わって平和な時代が訪れた以上、彼らの罪も同じように許されるべきではないか?
そう発言したフィンシードに、食ってかかったのはハーディングだ。
帝国側に不手際を認めさせ、賠償金と治安担当者の処罰を獲得しなければ、傷が付くのはアストリア王国の権威である。
一歩たりとも譲ってはならない。
いいや、それは違う。
譲りがたい一歩だからこそ、譲って得られる代価も得がたい物になる。
気が付くと、交渉団とハーディングが繰り広げていた論戦が、いつの間にかフィンシードとハーディングの間に移っていた。
そしてこれまでハーディングを相手に苦戦を強いられていた交渉団は、自然とフィンシードの援護に回るようになる。
そこで、休憩にしましょう、という言葉が出てきた。
フィンシードとハーディングが一礼して出て行くと、残された交渉団の面々は集まって話し合いを始める。
問題となるのは賊の罪を問わない事だ。
交渉団の権限の範疇を超えている。
相談の末、宰相サラティエルに伺いを立てる事にした。
代表格の一人が部屋を出て、大急ぎで駆けていく