第五章その11
フィンシードは大使館の廊下を歩いて行く。
ただし、二人の賊に左右を挟まれ、剣を突き付けられて、だが。
普段は一人で、あるいはフィーナを連れて、安心して歩いていた廊下を、今はまるで囚人のような扱いで歩いている。
それでもフィンシードは普段そうしているように、胸を張って堂々と歩く。
自分は頭を下げて許しを請い、大使館と人質を返してもらうために来たわけではない。
互いの利益と権利を守るために、大使館と人質を取り戻す交渉をするためにやって来たのだ。
戦争に敗れた虜囚のように、小さくなって相手の顔色をうかがう事などない。
改めて左右の賊の様子を観察する。
二人とも顔は緊張に強張り、手にした剣は先端が微かに震えている。
……わずかに距離が近い右側の男に一歩踏み込み、剣を持つ手を押さえると同時に鳩尾に拳を打ち込む。
剣を奪い取ればこちらの物だ。
動揺して対応が遅れるであろう、もう一人の男はどうにでも料理できる。
ろくに訓練を積んでいない賊を取り押さえる事など、フィンシードにとって造作もない事だ。
そこまで想像を組み立て、フィンシードは苦笑いと共にそれを振り払う。
力尽くで事態を解決するつもりがあるなら、最初から自分一人が丸腰で乗り込む事などしない。
エドヴァルド将軍に全てを任せ、兵士を送り込んで収拾を図っていただろう。
恐らく正規に剣技を学んだわけでもなく、身に余る重大な事態に緊張し、可哀想なくらいに震えている二人の男。
そう、自分は大使館と人質を取り戻すためだけにここに来たわけではない。
どのような事情かは知らないが、人質を取るのに失敗して途方に暮れているであろう、この哀れで滑稽な賊達を救うために、ここに来たのだ。
そして通されたのは食堂だった。
長いテーブルの向こう側、入り口から一番遠い側に浅黒い肌の男が座っている。
左右に数人の賊を従え、不機嫌そうな表情でフィンシードを見ていた。
「お前、あの時の……」
「何だ、お前らだったのか……」
二人は同時にため息混じりの声を漏らした。
フィンシードが大使に着任してまだ日も浅い頃、エドヴァルド将軍を訪ねた帰りに賊に襲われた事があった。
まさかこんな形で再会するとは、フィンシードも賊も夢にも思わなかった。
「ちっ、あの時、痛い目に遭わせておけばこんな事をする必要もなかったのに」
「無茶言うなよ。十人がかりでデュラムとミーティアの二人に追い返されたくせに」
「う、うるさい!」
顔を真っ赤にして賊のリーダーは怒鳴る。
その後、ひとつ咳払いをして改めて名乗る。
「俺はリーダーのアボットだ」
「アストリア王国全権特命大使フィンシードだ。よろしく」
手を伸ばして握手をしたいところだが、二人の距離は遠すぎた。
「で、アストリアの大使様が俺達みたいな下々の者に何の用だ?」
「その前に、まずは人質の無事を確認したい」
「それはできないな」
「できない? どうして?」
「どうしてって……その必要はない」
「必要ないって事はないだろう? 人質が今のところ無事で、君達がその命を握っている。だから僕達は手出しできないし、交渉の余地がある。違うか?」
「……………」
「そうか。人質はいない。いや、いるにはいるが、地下のワイン蔵あたりに閉じこもっているから、手出しできないんだろう?」
「……………」
アボットは黙り込むが、すぐに舌打ちし、苦々しく認める。
「ちっ、屋敷中、片っ端から調べまくったのに人っ子一人いやしねえと思ったら、やっぱり地下に隠れていやがったのか」
アボット以外の賊も、やっぱりそうか、畜生、と騒ぎ始める。
「そうか。みんなは無事か。それは良かった」
フィンシードは安堵のため息を漏らす。
「武器を捨てて投降しろ、アボット。これ以上の抵抗は無意味だ」
「……………」
「わかっているんだろう? 人質がいない以上、無理な要求を通す材料はない。お前達の身を守る盾だってない」
「……………」
「人質がいないと知って、僕はほっとした。みんなが無事だったからだけじゃない。お前達も助ける事ができるからだ。
投降しろ。まだ誰も傷付けていないなら、許し合う事ができる。帝国に働きかけて罪を軽くしてやる事だってできる」
フィンシードは熱心に訴えかける。
しかしアボットは立ち上がると、手の平をテーブルに叩き付けた。
「今さらそんな事、できるか!」
リーダーの突然の怒声に、賊ら一同は飛び上がる。
「ルーンバウムとアストリアは、長年に渡って戦争を続けてきた。犠牲になるのはいつも俺達貧しい庶民だ。
無理矢理戦争に駆り出され、多くの罪のない庶民が見知らぬ異国の地で命を落としたんだ」
両手をテーブルに突き、頭を振るアボット。
「俺の兄貴もそうだ。アストリアに戦争に行き、命を落とした。ここにいるみんなもそうだ。それぞれに父親や兄弟、友人や親戚の、どれかを失っている。
街中でアストリア人とすれ違う度に、死んだ兄貴の事を思い出す。怒りで胸がはち切れそうになる。何もかもメチャクチャにしたくなるんだ!」
「……………」
「あんたやここの奴らに恨みはない。しかしアストリア人と同じ空を仰ぐ事はできない。それが俺達の答えだ」
アボットは何度も何度もテーブルを殴り付ける。
黙ってアボットの言葉を聞いていたフィンシードの耳に、やがてすすり泣く声が届き始める。
「アボット……お前達の気持ちは痛いほどわかる」
「わかるものか!」
「わかるさ。僕も同じだから」
「え? それじゃあ……」
「亡くしたのは兄の婚約者だ」
そしてフィンシードにとっては初恋の人だ。
陽だまりのような優しい笑顔は、今もまぶたの裏に焼き付いている。
血の滲むような修行の後、傷の手当てをしてもらい、互いに愚痴をこぼしあった静かな時間は、今も胸の中を満たしている。
しかし、それは永遠に失われてしまった。
ルーンバウム帝国の、とある一部隊の蛮行が奪い去った。
……戦争が奪い去っていったのだ。
「戦争において、どちらか一方が加害者で、もう片方が被害者という事はない。
どちらも加害者で、そしてどちらも被害者なんだ」
「……………」
「長年、戦争を続けてきた二つの国だ。
恨みもある。
憎しみもあるだろう。
そのために僕らがいる。
互いの気持ちを話し合い、理解して手を取り合うために、僕達はこの国に来た」
「……………」
「復讐して何になる?
復讐は何も生まない。
復讐しても、大切な人は帰ってこない。
大切な人を失った心の空洞は、復讐では決して埋まらない」
今も思い出す。
炎に巻かれ、焼け落ちていく館を見た瞬間、フィンシードの胸の中にも炎が燃え上がった。
憎悪という名前の、どす黒い炎だ。
燃え上がる心の命ずるまま、フィンシードは剣を振るった。
頭の中は悲しみに真っ白になっても、長年の修行で刻み込まれた剣技を、身体はしっかりと覚えている。
殺し方を、屍の山の築き方を、忠実に再現していく。
そして斬り尽くし、殺し尽くし、憎悪を向ける矛先をなくした時。
煙と血の臭いに包まれた屍の山の上に、今にもバラバラになりそうな身体で立ち尽くしたフィンシードには何も残されていなかった。
虚しさだけがこみ上げ、胸を埋め尽くそうとしていた。
「復讐の果てに待つのは、復讐の連鎖だ。
永遠に続く殺し合いだ。
止めるなら今しかない。
戦争が終わった、今しかないんだ……」
「黙れ!」
怒声が響く。
アボットではない、今まで黙って二人のやり取りを聞いていた別の男だ。
「俺達はまだ負けてない!
アボット、この男を人質に取るんだ!
アストリアの王子を人質にすればまだ……」
「やめろ!」
男をアボットが一喝する。
「なあ、王子さんよ。
ひとつ教えてもらいたい事がある。
今も俺達は憎しみを抱いている。
大切な人を失った悲しみは、恨みは、決して消えやしない。
消せやしないんだ。
どうすればいい?
どうすれば復讐の連鎖を止める事ができる?」
「胸の中に押し込めろ。
墓の中まで持って行け。
それが復讐の連鎖を食い止める、ただひとつの道だ」
「……………」
アボットは唇を噛み締め、うつむく。
投降を決断する声が絞り出すように漏れ出たのは、それからしばらくの時間が経ってからだった。




