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第五章その10

 エドヴァルド将軍は苛立っていた。

 フィンシードが勝手に大使館に入り込んだ事を部下から報告を受けたからだ。

 ひとつには不測の事態に対応できない部下の不甲斐なさ。

 事態を予見し、対策を立てられなかった自分の不甲斐なさ。

 鉄壁の守りを誇ると思っていた自分の部隊が、易々と突破された。

 いや、鉄壁だったのは正面からだけで、内側からはそうではない事をフィンシードは見抜き、それを証明して見せたのだ。

 そしてもうひとつ、事態をどう収拾するか、見通しが立たない事だ。

 大使館の敷地内はアストリア王国の国内法が及ぶ範囲である。

 下手に手を出せば外交問題になる。

 それなのにフィンシードがすぐ近くにいると安心し、いざという時に独断で敷地内に踏み入る許可を得ていなかった。

 自分が必要な仕事をきちんとこなしていなかったために、こうして指をくわえて事態を傍観せざるを得ないのである。

 フィンシードの勝手な行いにも苛立ったが、この事態を招いた自分自身の甘さにも歯がみせざるを得ない。

 ノックの音の後、入り口に立っている兵士が部屋に入ってきた。

「閣下、フィンシード殿下の妹君がいらっしゃいました」

「何?」

 そうだ。

 フィンシードの妹と部下がいるのをすっかり忘れていた。

 しかし何をしに来た?

 エドヴァルド将軍は不審に思ったが、躊躇する時間は短かった。

 打つ手のない彼に、選択の余地はないのだ。

「通せ」

「はい」

 兵士はドアを開け、フィーナらを招き入れる。

「し、失礼します」

 ぺこんと頭を下げて、フィーナが入ってくる。

 後に続いて入ってきた二人も緊張した面持ちだが、フィーナはそれ以上にガチガチに緊張している。

「フィーナ殿、これはどういう事ですか?」

 日頃は穏和なエドヴァルド将軍だが、どうしても声に微かな苛立ちがこもってしまうのは仕方のない事だろう。

 フィーナはひっと短く悲鳴を上げて、手近にいたシルヴィールに抱き付いてしまう。

「……………」

 エドヴァルド将軍はフィーナを怯えさせた事を後悔し、また内心で傷付いた。

 勝手な事をしたのはフィンシードであり、今、目の前にいるフィーナではない。

 しかし一度口にしてしまった言葉は取り消す事はできない。

「フィーナ様、しっかりして下さい」

「ご、ごめんなさい。ちょっと無理かも……」

「いいですか? フィンシード様はみんなを助けるため、たった一人で賊の立てこもる大使館に乗り込んでいるのです」

「お兄様が……」

「そうです。後の事はフィーナ様にお任せして行ったのです。今ここでフィーナ様ががんばらないと。

 大丈夫です。フィーナ様ならきっとできます。何せフィンシード様の妹君でいらっしゃるのですから」

「……………」

 ぎゅっと手を握るシルヴィールと、じっとうつむくフィーナ。

 そう説得しながら、フィーナの様子を見て、やっぱりダメかも、とシルヴィールは思い始めた。

 仕方ない。

 フィーナ様がダメなら自分がやるしかない。

 ひとつ息を吐き、気持ちを切り替えて決意した時だった。

 フィーナの手を握っていた手がそっと押し返される。

 顔を上げ、再びエドヴァルド将軍に向き合った時、課せられた重責に怯えていた少女の姿はすでになかった。

「閣下、この度は兄が迷惑をかけ、申し訳ありませんでした」

 明瞭な言葉遣いでそう言うと、ゆっくりと、そして深く頭を下げる。

 そうするように説得をしていたはずのシルヴィールも、後ろでハラハラしながら様子を伺っていたアルドも、ぽかんと口を開けていた。

 そして少女を怯えさせた事を悔やんでいたエドヴァルド将軍も二人と同じようにぽかんと口を開けていたが、それでも辛うじて答える。

「い、いや、確かにフィンシード殿下の行ないには戸惑っていますが……」

「閣下には是非ともご理解いただきたいのです。兄は話し合いで事件を解決するため、大使館に乗り込んだのです」

「話し合いで?」

 エドヴァルド将軍の顔に苦笑いが浮かぶ。

「相手は暴力を以て押し入り、人質を盾に無理難題を突き付ける卑劣な賊どもですぞ。話し合いで解決など……」

「兄はできると確信しています。だから単身、乗り込んだのです」

 フィーナはきっぱりと言い切る。

「そして私も兄なら必ずできると信じています」

「なるほど……では、話し合いで解決できない場合はどうなさるおつもりですか? もはや武力で解決するしかないと思われますが、殿下の許可がなければ軍を送り込むわけにはいかないのです」

「ここに兄がしたためた書状があります」

 フィーナが取り出した封筒にはアストリア王家の紋章が刻まれている。

「軍を送り込む事を認める旨、それに伴って発生する損害に対して賠償を請求しない旨、そして人質に危害を及ぼす事なく事件を解決する秘策が書かれています」

「なっ」

 さすがのエドヴァルド将軍もうめき声を上げざるを得ない。

 攻めあぐねる将軍が喉から手が出るほど欲した物を、フィンシードは残していったのだ。

「姫、それをお渡し下さい」

 思わず身を乗り出し、手を伸ばす。

「二時間だけお待ち下さい」

 フィーナも一歩も引かない。

「まずは話し合いでの解決を目指します。二時間待っても兄が戻ってこない、もしくは解決できずに戻ってきた場合、この書状をお渡しします」

「……その言葉に嘘偽りはないでしょうな?」

「ハバラート山の金色の竜に誓って」

 アストリア流の誓いの言葉を口にするフィーナ。

 エドヴァルド将軍は力尽くで書状を奪い取りたい衝動に駆られるが、それこそ外交問題に発展しかねない。

 そもそも事件が大使館内で起きている以上、選択の余地はないのだ。

「わかりました。二時間だけ待ちましょう。その時は必ずその書状をいただきます」

「ええ。ですが兄は必ず話し合いで解決します。二時間経つ前に吉報が届くと思います」

 一礼してフィーナは部屋を出る。

 シルヴィールとアルドも追いかける。

 アルドが後ろ手にドアを閉め、バタンと音を立てた、その時だった。

「こっ、恐かった……」

 フィーナはヘナヘナと崩れ落ちる。

 慌ててシルヴィールとアルドが左右から支える。

「フィーナ様、大丈夫ですか?」

「う、うん、大丈夫だけど……ねえ、私、上手くできたかな?」

「ええ、とても立派でした。あとは部屋に戻ってゆっくり休みましょう」

「ありがとう……お兄様、大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。フィーナ様があれだけがんばったんですから。殿下だってきっと上手くやりますよ」

「そうだよね? お兄様はきっと大丈夫だよね。妹の私が信じないと」

 まだ覚束ない足取りで、フィーナは部屋に戻るために歩き始める。

 あとはフィンシードが賊を説得するだけ。

 残された彼らにできる事は、無事を信じて祈る事だけだった。

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