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第四章 外交談義

 フィンシードの前に、二人の男がいた。

 一人はルーンバウム帝国の宰相を務める男だ。

 長年に渡って皇帝ランフォード二世の片腕を務め、巨大な帝国の実務のほとんどを取り仕切っている。

 民衆や軍隊の前に立って鼓舞し、大まかな方針を示すのは皇帝の仕事だが、帝国の未来はこの男の双肩にかかっていると言っても過言ではない。

 影の皇帝と呼ぶ者さえいる。

 名をサラティエルといい、小柄な痩身からはその身に担う責任の重さはうかがい知れない。

 しかし口元に笑みを浮かべたその顔に、フィンシードは油断ならない何かを感じていた。

 そしてその隣にはもう一人の男がいる。

 サラティエルとは対照的に、大柄でしっかりした体躯を鎧に包み込んでいる。

 フィンシードを値踏みするように見つめる視線は、常人なら目を合わせただけで心臓を凍らせてしまうだろう。

 名をアーセナルといい、ルーンバウム帝国の将軍の一人として軍を任される身である。

 隣にいるサラティエルとは何もかもが対照的に見え、宰相の長男である事に一目で気付く者はまずいない。

 しかし軍事だけでなく政治にも明るく、宰相サラティエルの後継として将来を嘱望される人物である。

 一通りあいさつと自己紹介が終わったところで、宰相サラティエルが切り出す。

「このところ、帝都では治安回復の兆しが見られるようになりました。これもフィンシード殿が自警団の結成に尽力していただいたのも一因だと感謝しています」

「礼には及びません。治安回復は帝都に暮らすアストリア人にとっても必要な事です。それに私達はアイデアを出しただけで、功績は全てエドヴァルド将軍の働きによる物です」

「アストリア大使館の方々からは様々なアドバイスを受けたと、将軍から聞いています」

 にやりと笑うサラティエル。

 なるほど、ただ礼を言うだけでも油断のならない人物らしい。

「これからもフィンシード殿には様々な面で協力していただきたい」

「もちろんです。そのためにまず、話し合いの機会を増やしていきましょう。そうすればアストリアとルーンバウムの間にある様々な問題を解決していける事でしょう」

「……バカバカしい」

 そう一蹴したのはアーセナル将軍だった。

 苦々しい顔でフィンシードをにらみつける。

「話し合いによる解決など無意味。あらゆる正義も正論も圧倒的な武力の前には踏み潰されるだけだ。そしてそれに対抗できるのもやはり武力のみだ」

「……………」

「フィンシード殿も戦争中は軍に籍を置いていたと聞いている。貴殿はそれを何度も目にしてきたし、何度もそうしてきたはずだ」

「……………」

 確かにその通りだ。

 今も思い出す、炎に巻かれる館を。

 その館にはフィンシードにとって大切な人がいた。

 それをルーンバウム軍はいとも簡単に踏みにじった。

 戦略的価値もなく、ろくな守備兵もいない館を、特に理由もなく焼き討ちにした。

 そこに住む彼女らに、何の罪があった?

 命乞いの機会も与えられぬまま、焼き殺されるだけの罪があったのか?

 そしてフィンシードは彼らを許さなかった。

 彼らとて故郷に帰れば誰かの大切な息子であり、優しい夫であり、頼もしい父親だっただろうに……。

 フィンシードは黙したまま、サラティエルに視線を向ける。

 帝国の宰相はテーブルに肘をついたまま、息子の非礼をとがめる事もなく、面白そうにフィンシードと息子を見比べている。

 なるほど、そういう事か。

 フィンシードの顔に笑みが浮かぶ。

 試している、そういう事か。

 アストリアとかいう、吹けば飛ぶような小国からやってきた王子。

 それがどれほどの者か、試してみようという事か。

 特に重要な議題があるわけでもなく、ただ顔合わせとあいさつのために設けられたようなこの会談の席。

 そこにはそんな意味が込められていたのか。

 それなら、遠慮する事はない。

 むしろ全力で立ち向かうのが礼儀という物だろう。

「確かに将軍のおっしゃる通りです。あらゆる正義と正論は武力の前に無力です」

「認められるか?」

「いいえ、だからこそ、我々は話し合いで、つまり外交で問題を解決するのです」

「ほう」

「アストリアにはアストリアの、ルーンバウムにはルーンバウムの、それぞれの正義と利害があります。話し合い、互いの立場を理解し、時に譲歩と妥協をしながら、自分と相手の正義と利害を守り、尊重するのが外交です」

「それが無意味だというのだ。どれだけ外交努力を続けようと、戦争が起こればたちまち一夜の夢と消える」

「その通りです。しかし戦争を起こさせない事も、止める事も、外交だけがなし得る役割です」

 戦争は常に多大な犠牲の上に成り立っている。

 それは兵士の命であり、食糧や武器などの物資である。

 犠牲を惜しむなら、話し合いで双方の犠牲を未然に防ぐ道があるなら、それは外交の役割である。

 戦争をしないため、兵を引くために双方が利益を見出すために話し合う。

 それが外交の本質である。

 その一方、外交は常に、軍事力を背景に行なわれる。

 例えて言うなら、互いの喉元に剣の切っ先を突き付け合いながら、作り笑いを浮かべ、もう片方の手で握手するような物だ。

 この行いは傍から見ると、恐ろしく滑稽で愚かしい。

 しかしこの剣と握手は、決して切り離して考える事はできない。

 どちらか一方だけが剣を下ろせば、たちまちもう一方の剣に喉を貫かれる事だろう。

 それを恐れるなら、決して剣を下ろす事なく、作り笑いを浮かべながら、もう片方の手で握手を続けるしかない。

 いつか剣を突き付け合っている事を忘れ、作り笑いが本当の笑顔に変わるまで……。

 外交と戦争は全く別の物事のように考えがちだが、一枚のカードの表と裏と言った方が正しいかも知れない。

 両者は決して同時に現われる事なく、しかし切り離す事もできない。

 本質的に同じカードの、ある側面ともう一方の側面に過ぎないのだから。

 相反し、憎しみ合いながら、必要不可欠な、不可分の存在。

 それが外交と戦争と言える。

「アーセナル殿は先の戦争でも将軍として重責を果たしてきた、立派な軍人であるとお見受けします。

 ルーンバウム帝国を守るため、ご自身の信じられる正義を貫くため、あらゆる犠牲をいとわず、ご自身の生命さえ顧みずに戦う覚悟を持った方だと存じています」

「……………」

 アーセナルは無言。

 誰よりも深く帝国を愛し、身命を賭して守る抜く気概を持った男の、無言こそが何よりも雄弁な肯定だった。

「アーセナル将軍が確かな覚悟を持っているように、私も確かな覚悟を持っています。

 話し合い、互いの立場を理解し、時に譲歩と妥協をしながら、自分と相手の正義と利害を守り、尊重する覚悟。

 多くの罪なき民に犠牲を強い、国の経済に多大な負担を与える、戦争という短絡的な手段に頼らない、そして頼らせない覚悟。

 戦争以外の方法で問題を解決する、決して戦わない覚悟……」

「……………」

「それが外交であり、そして『平和』なのです」

 時に人はその言葉の意味を理解もせず、戦争の残酷さ、犠牲の多さを前にして容易く平和を口にする。

 そして戦争の明快さを求める人は、戦争の名の下に失われる尊い命から目を逸らし、平和を求める者を、覚悟なき者とあざ笑い、臆病と罵る。

 しかし平和は容易く手に入れられる物ではないし、戦争の犠牲から逃れようとする臆病者が口にする甘い戯言でもない。

 長い外交努力を忍耐強く続け、互いの立場と利害を理解し、譲歩と妥協を積み重ね合い、その間だけ得られる束の間の安らぎを平和と呼ぶ。

 戦争という単純明快だが、多くの代償を要求する解決手段に逃げない自制心を持ち、確かな覚悟と気概を貫き通し続ける事、それを平和と呼ぶ。

 平和という道程の険しさは、決して戦争に引けを取る物ではないのだ。

「アーセナル将軍は戦う覚悟はお持ちでしょう。ですが戦わない覚悟はお持ちでしょうか?」

 フィンシードはアーセナルを真っ直ぐに見据えて言う。

「くくくくく……」

 突然聞こえてきた低い笑い声に、フィンシードはぎょっとした。

 宰相サラティエルだ。

 今まで二人のやりとりを黙って見守っていたサラティエルが、突然笑い出したのだ。

「ははははは……アーセナルよ、どうやら一本取られたようだな」

「全くです」

 憮然とうなずくアーセナル。

 しかし口元には苦笑いが浮かんでいるようにも見える。

「フィンシード殿、あなたの覚悟のほどはよくわかりました。なるほど、アストリア国王があなたを大使として我が国に派遣したのも納得がいきます。

 確かにあなたは我が国とアストリア王国の取り成すのに相応しい人物に違いない」

「……ありがとうございます」

「ですが、その覚悟のほどを試される機会がこれから幾度でもありましょう。ゆめゆめ油断なされぬ事ですな」

「え?」

 それはどういう事ですか?

 言いかけたフィンシードを、ノックの音が遮った。

 部屋に入ってきた文官がサラティエルの元に駆け寄り、何やら耳打ちする。

 ちらちらとフィンシードの様子をうかがう視線が気にかかる。

「どうやら会談の時間はこれで終わりのようです。名残惜しいですな」

 文官を下がらせて、サラティエルが言う。

 先程までの笑みはとうに消え失せていた。

 静けさの中に凄みをたたえたその顔を、どんな言葉で表現すればいいのだろう?

「フィンシード殿、先程語られた覚悟のほど、拝見させていただきましょう」

 しかしそれは簡単な事だ。

 ただの二文字に誰もがうなずくだろう。

 巨大なルーンバウム帝国を支えてきた、誇りと自信、そしてしたたかさを秘めた「宰相」の顔だと。

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