第三章その3
「それで」
駆け付けたフィンシードは渋い顔で言った。
「そんなつまらない用事で僕は呼び出されたのか?」
とはいえ、シルヴィールに直接の上司がいない以上、大使館のトップであるフィンシードが出てくるしかないのはわかっているのだが。
「つまらないとは何ですか!」
声を荒げたのは怪我をしたのに治療してもらえなかったアルドで。
「つまらないのは突き指というお前の怪我だ」
つまらなさそうに言ったのは留守にしていた薬師のシルヴィールだった。
低レベルな言い争いが再発しそうになる。
フィンシードはため息混じりに、居合わせた三人に目を向ける。
「クリーズはどう思う?」
「そうですね……アルドの意見に正当性があるように思います」
クリーズが自分の意見を述べると、アルドは得意げに胸を張った。
ただし、クリーズが「まあ突き指程度で騒ぎ立てるのもどうかと思いますが」と付け加えるまでだったが。
「なるほど。ハーディングは?」
「俺もクリーズと同意見です。緊急を要する事態に、薬師が不在というのは困ります」
それからさらに「突き指が緊急を要する怪我かどうかは別として」と付け加えたので、やっぱりアルドは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「じゃあ……」
フィンシードが顔を向けると、リナは驚いて顔を上げ、おろおろする。
「……一応、リナの意見も聞いて良いかな?」
「え、えっと……私もお二人と同じ意見です。シルヴィールさんにはいてもらわないと……」
「まあそうだろうなあ」
フィンシードはシルヴィールに視線を向ける。
「何か反論はあるかな?」
「……………」
シルヴィールはひとつため息をつくと、フィンシードに向き直る。
「お願いがあります。殿下と二人で話をさせてもらえませんか」
「……僕と?」
「はい。できれば他の者には聞かれたくない事です」
「……………」
フィンシードが目配せする。
「殿下、私達は仕事に戻って良いでしょうか」
巻き込まれた三人を代表してクリーズが言う。
「そうだな。その方が良いな」
「ではそうします」
四人は食堂を出て行く。
アルドだけが不審そうな目でシルヴィールを見て、出て行った。
四人が出て行き、ドアが閉まるのを確認すると、シルヴィールはフィンシードに向き直る。
「殿下、私には大切な使命があります。医務室にこもっているわけにはいかないのです」
「そう、さっきからそれを知りたかった。君は一日中出歩いて、どこで何をしている?」
「……………」
シルヴィールは言い淀む。
しかし顔を上げると、意を決して口を開く。
「殿下だけに打ち明けます。私は魔法使いです」
「魔法……使い?」
思いもしなかった言葉を聞いて、フィンシードは面食らった。
かつてこの大陸には魔法と呼ばれる力と、それを行使する魔法使いという人が存在していた。
しかし長い戦乱の時代、魔法は時に重宝され、また同時に恐れられ、ついには姿を消したとされていた。
その「絶滅種」にお目にかかる事ができるとは、まして自分のお膝元である大使館の中にいるとは、さすがのフィンシードも思いも寄らなかった。
「私の使命は、失われつつある魔法の歴史と遺産を集め、記録し、後世に伝える事です。そのために医務室にこもっているわけにはいかないのです」
「……君を派遣したのはオルセン師か?」
フィンシードが挙げた名前は、アストリアの宮廷薬師の名前である。
アストリア王国の薬師の中心人物であり、彼の意向のなしに大使館に派遣する薬師を選ぶ事はできない。
「そうです。私が魔法使いである事は秘密にしなければなりません。しかしもしもの時は、殿下にだけ正体を明かして助力を求めるように言われました」
「……………」
フィンシードは無言で天井を仰ぎ、オルセン師の人の良さそうな笑顔を思い出す。
子供の頃、熱を出してオルセン師に看てもらった時も、その笑顔の裏側では苦い薬を飲ませる方法を考えていたように思う。
そしてシルヴィールを送り出した時も、やはり人の良さそうな笑顔だったのだろうか?
「わかった。アルドは何とか説得してみよう」
フィンシードは立ち上がり、アルドを呼ぶために歩きかけるが、立ち止まって振り返る。
「それとひとつ言っておく。周囲の理解を得たいと思うなら、強引に自分のやり方を押し通すより、妥協して一歩引くべき時もある。時間を無駄にしたくないだろうが、結果的にはその方が研究もはかどるはずだ」
「………」
シルヴィールは黙り込んでいる。
フィンシードの言葉に納得したのか?
それとも何か別の考えがあるのか?
その様子を気にかけながら、フィンシードはアルドを呼んでくる。
「話はまとまりましたか?」
開口一番、アルドは言った。
「それなんだけどね。どうだろう? シルヴィールには午前中は医務室にいてもらって、午後からは自由、という事にしては」
「殿下がそうおっしゃるならそれでも構いませんが……」
アルドは困惑顔になる。
「どうして午前中だけなんですか? 一日中が筋じゃないですか?」
「いや、それはしかし……」
問い詰められて、シルヴィールが返答に困る。
「シルヴィールには僕が用事を頼んでいたんだ。僕自身が動きづらい時に」
え!?
と、アルドとシルヴィール、二人ともが驚いて息を飲む。
「本当ですか!?」
「あ、いや……実はそういう事だったんだよ、うん」
シルヴィールはフィンシードの機転を察してもっともらしい顔を作る。
「内密の用事だからシルヴィールもはっきりと言えなかったんだ。僕のせいでいらぬ誤解を生んでいたのなら謝るよ」
「そうだったんですか……いえ、私の方こそ知らなかったとは言え、今まで失礼な事を……」
「いや、いいんだ。それとこの事は内密の事だから、大使館のメンバーを含めて他言無用という事で頼むよ」
「は、はい。わかりました」
「殿下、ひとつよろしいでしょうか?」
シルヴィールが小さく手を挙げて言った。
「なんだい?」
「確かにアルドの言う通り、医務室に誰もいないのは不安でしょう。そこで私に助手を付けて、午後からはその者を置いておくというのはいかがでしょう」
「……それも良い考えかも知れないが、誰が助手をやるんだ? 本国から誰か呼び寄せるほどでもないし」
「大使館のメンバーから選べばいいと思います。本職と兼務という形で。もちろん本人の意思と上官の許可が前提ですが」
「それなら止める理由はないな」
フィンシードが了承すると、シルヴィールはアルドに向き直る。
「アルドはそれでよろしいか?」
「……どうして僕に聞くんですか?」
「元々はお前が言い出した事じゃないか」
「まあ確かにそうですが……ええ、反対する理由はありませんよ」
「よし、言ったな。覚えておけよ」
シルヴィールはにやりと笑う。
フィンシードはその笑顔を不審に思いつつ、尋ねる。
「ところで助手だけど、心当たりはあるのかい?」
「ええ、適任が一人いますから、その点についてはご心配なく」
「……………」
シルヴィールのいう「適任」が誰なのかさっぱりわからず、アルドは首を傾げた。