第三章その2
それから数日後の事。
クリーズとハーディングは食堂のテーブルの片隅で顔を突き合わせていた。
真面目で頭の固いクリーズと、不真面目で女好きなハーディングと、性格は正反対で言い合いになる事も多い二人である。
しかし二人の付き合いは大使館設立以前の和平交渉の頃からで、互いの実力は認め合った仲だ。
息抜きと称して抜け出し、食堂の片隅で仕事で意見をぶつけ合い、時にはハーディングが下世話な冗談を言ってはクリーズにたしなめれるのが日課になっていた。
そしてアリシアかメイド三姉妹の誰かが通りかかり、紅茶を煎れるのも日課になっていた。
「今日は何を話してたんですか?」
メイド三姉妹の長女リナが紅茶のカップを差し出す。
礼を言ってカップを受け取り、クリーズは答える。
「エドヴァルド将軍にかけ合って、自警団を作らせるんだ。どう説得すればいいか話し合っていたんだ」
「上手くいかないんですか?」
「そうなんだ。将軍はプライドの高い人だから。市民の力を借りるのはプライドが許さないと言うんだ」
「頭の固さで言えば、クリーズにも引けを取らないな、きっと」
ハーディングが口を挟む。
「どういう意味だ!?」
「ぶつけたらどっちが先に割れると思う?」
「あははっ。クリーズ様に負けないなら、将軍も相当なんですね」
悪乗りしてリナも笑って答える。
「お前らなあ……」
などと話し合っているが、これまで何度か行なわれた交渉も、全く手応えがないわけではない。
将軍は簡単には首を縦に振ってはくれないが、それでもこちらの話にはきちんと耳を傾けてくれている。
治安を回復させたいという思いは将軍も同じはず。
粘り強く話し合いを続けていれば、きっと色好い返事が期待できるはずだ。
「あーっ! もう!」
大きな声を上げて、若い男が入ってきた。
ひえっと小さな悲鳴を上げて、リナはテーブルの影に隠れてしまう。
「こら、アルド! 大きな声を出すな。リナちゃんが驚いてるじゃないか」
「も、申し訳ありません、クリーズ様……ごめんね、リナちゃん」
平謝りして、アルドは席に着く。
優しい顔立ちで、体格もやせ気味だからそう見られない事も多いが、アルドは駐在武官の一人である。
領事部の手伝いをしているからクリーズとも親しい。
「何かあったのか?」
「聞いて下さいよ、クリーズ様。剣の稽古で怪我をして、シルヴィールさんのところに行ってきたんですが、留守だったんですよ」
シルヴィールは大使館専属の薬師である。
薬師であるから、その役目は大使館メンバーの健康管理、怪我人や病人が出た時の治療という事になる。
しかし実際のところ、大使館メンバーの大半は健康な若者だから、専属薬師の仕事は今のところ開店休業状態だという。
それを良い事に、シルヴィールは与えられた医務室を空にして、ほとんど毎日どこかへ出歩いているという。
「それは災難だったな。で、怪我は大丈夫なのか?」
「ええ、まあ……」
「どうした? 怪我したのか?」
「うわっ!」
アルドは驚いて飛び上がった。
「シ、シルヴィールさん……」
「一日歩いて疲れた。リナ、冷たい麦茶をもらえるかな?」
「は~い」
シルヴィールは妙齢の女性だが、髪型も服装も、おおよそ身なりに気を遣っている物とは思えない。
そして今、椅子に座る仕草も「どかっ」という擬音が似合う勢いである。
「シルヴィールさん、今までどこへ行ってたんですか?」
「ん?」
詰め寄るアルドに、シルヴィールは気だるそうに返事をする。
「どこに行こうと私の勝手だ。それとも何か? いちいちお前に報告する義務があるのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「なら黙っていろ。時間の無駄だ」
「………」
シルヴィールはにべもない。
リナが麦茶を持ってきて、シルヴィールに渡すが、殺気だった雰囲気を感じ取ったのか、クリーズの背中に逃げ込んでしまう。
とばっちりは怖いが、成り行きは気になる、というところらしい。
「ついさっき、剣の稽古で怪我をしたんですよ。看てもらおうと行ってみたら、留守だったんですよ」
「それはすまなかったな。で、怪我はどこだ?」
「いや、それは……」
頭のてっぺんから爪先まで、くまなく探す。
しかし左手を背中に隠した事で、かえって見付かってしまった。
シルヴィールは乱暴にアルドの左手を掴んで、目線の高さに引っ張り出す。
「……何だ? これは?」
「ええと……その……」
「当ててやろうか? 突き指だろ」
「………」
アルドは黙り込む。
沈黙はすなわち、肯定だった。
「バカバカしい。突き指ごときで大げさな奴だな」
他の三人が混ぜっ返す。
「ただの突き指か。つまらんなあ」
「しかも包帯巻いて手当てしてある突き指ですよね」
「まあ突き指でも怪我は怪我だしなあ」
「突き指突き指言わないで下さい!」
アルドは椅子から立ち上がって怒鳴る。
「だいたい、突き指だから良かったようなものを、命に関わる大怪我だったらどうするんですか!?」
「確かにその通りだな、突き指ならともかく」
「突き指くらいなら平気だが、それは困るよなあ」
「ですよね」
「だから突き指突き指言わないで下さい!」
シルヴィールはやれやれとため息をつく。
「大使館の外に出れば、薬師なんていくらでもいるだろ」
「だったらあなたは何のためにここにいるんですか!?」
「うっ……」
今度はシルヴィールが返答に窮する番だった。
「どうなんですか? 薬師が患者を放り出して出歩いて、何の意味があるんですか!?」
「そ、それはだな……私にも色々と事情があってだな……」
「仕事を放り出すほどの用事ってのは何ですか?」
「ええい、しつこい奴だな。乙女のプライバシーを詮索するな!」
「乙女って歳ですか!?」
二人の言い争いはヒートアップしていく。
クリーズがリナにフィンシードを呼びに行かせて、この低レベルな言い争いは後半戦に突入する事になる。