第三章 大使館の内情
翌朝、大使館の主要メンバーが揃って会議が開かれた。
最初に口を開いたのは、公使のラーカイラムだった。
「大使館の警備を強化した方がよろしいのではないでしょうか?」
昨日、フィンシードらが襲われた事を言っている。
もう一度、同じような事があるかも知れない。
その時のために備えておくべきではないだろうか?
「どうだろう? あいつらは僕の事を知らずに襲ってきたみたいだからなあ……」
襲われた当の本人は、あまりいい顔はしない。
領事部のクリーズが口を開く。
「私もラーカイラムの意見に賛成です。帝国に掛け合って、警備を強化してもらうべきです」
二十四時間態勢で大使館の門を守るのは、帝国の衛兵である。
大使館の敷地内は法的にアストリア王国領内であり、彼らは一歩たりとも踏み込む事はできない。
しかし帝国領内である門の外を守るのは、帝国の衛兵という事になる。
「帝国は治安維持で手一杯らしい。強化を求めても無理でしょう」
答えるのは警備部のデュラム。
「だったら本国に掛け合って、駐在武官を増やすべきです」
アストリア王国領内である大使館内を守るのは、デュラムら五人の駐在武官である。
「駐在武官に仕事を手伝わせている領事部が何を言っているのやら」
にやにやと笑うのは、政務部のハーディング。
「そういう事情であれば、警務部の手伝いも結構です。あとは我々の力でやります」
クリーズは真面目で誠実な男である。
それ故に、時に自分の考えに固執して、頭が固いと思われる事もあった。
厳しい表情になりそうだったが、フィンシードは努めて優しい表情を作る。
「クリーズ、気持ちは嬉しいが、警務部の手伝いはそのままで仕事を進めて欲しい。仕事が進まなくて困るのは、僕や帝国に暮らすアストリアの人間だ」
「……………」
「本国に増援を頼むのも反対だ。あまり多くの駐在武官がいると、何を企んでいるかと帝国の人間から疑われるだろう」
「……………」
苦虫を噛み潰したような顔で黙り込むクリーズ。
重くなった空気を振り払うように、デュラムは笑ってクリーズの肩を叩く。
「俺の所の三人は、そっちの仕事が一段落したら返してくれればいい。それまでは好きなだけ扱き使ってやってくれ」
「……分かりました。そうさせてもらいます」
真面目くさって、クリーズは答える。
「大使館の警備を固めるより先に、治安の事を先に考えるべきだと思う。それには……」
フィンシードが話しているのを遮るように、ノックの音が部屋に響いた。
「よろしいでしょうか?」
アリシアの声だった。
フィンシードが入室を許可すると、アリシアは部屋に入って、深く頭を下げた。
「先ほどパンが焼き上がりましたので、門の外の兵士の方に配ってこようかと思いまして」
「なるほど。良い考えだな」
「それでフィーナ様を借りていこうかと……」
「え? わ、私!?」
これまで文字通り壁の花になっていたフィーナが、いきなり自分の名前を呼ばれて飛び上がった。
「フィーナ、行ってきてくれるか?」
「で、でも……私……」
「大丈夫です、フィーナ様。私もお手伝いしますから」
アリシアがにこやかに微笑む。
「私達もいるよ~」
「そうだよ~」
「………」
入り口の向こうでは、リナ、ルナ、レナのメイド三姉妹もパンの入った箱を抱えて待っていた。
「う、うん……じゃあお兄様、行ってきます」
フィーナは不安そうな面持ちのまま、アリシア達の方に向かっていった。
アリシア達に励まされ、部屋を出る頃には、すでに明るい笑顔が宿っていた。
「よくできた女性ですなあ」
ラーカイラムは感心したように何度もうなずいている。
「そうだな」
フィンシードもうなずく。
兵士の増強が望めないのはどうしようもない。
しかし普段から焼き立てのパンを配ってくれる相手であれば、大使館を守る任務も、よりやる気の出る任務となろう。
この時、帝国の人間であるアリシア達だけで行っていたら、兵士達が感謝する相手、守りたい相手も、アリシア達だけになってしまう。
たとえお飾りだったとしても、アストリアの人間であるフィーナが行く事で、それ以外のアストリアの人間も守りたい対象になる。
フィンシードのような男が行くよりも、フィーナのような可愛らしい少女が行く方が俄然やる気になるのが、男の悲しい性という奴だが。
「ただのメイドにしておくのが惜しいですなあ」
「そうだな」
「いっその事、妃に迎えられてはいかがですか?」
「そうだな……って、おい、何を言い出すんだ」
「いやいや、冗談ですよ。まあ私があと二十歳若かったら、放っておかないのですが」
そう言って笑うラーカイラムは、大使館のメンバーで唯一の妻帯者である。
妻子を故国に残して単身赴任の身だ。
「冗談で済ますには惜しい話ですよ。俺もお似合いだと思いますがね」
ちゃかすように笑うのはハーディングだ。
それを受けて、真面目なクリーズが眉をひそめる。
「だったらお前が結婚したらどうなんだ? その迷惑極まりない女癖の悪さも治るかも知れないぞ」
「それこそ冗談言うなよ。全ての女達に等しく愛を与える事こそ俺の使命。幸福に胸震わせる女こそいても、迷惑がる女など一人もいない」
「その後始末で俺が迷惑しているんだ!」
クリーズの怒鳴り声を片手をひらひらさせてあしらいつつ、ハーディングはフィンシードに向き直る。
「殿下、私はああいうしっかりした女は好みじゃありませんから、安心して妃に迎えて下さい」
「だからしないって」
「ご結婚なさらないんですか? 妹君やメイド三姉妹もがっかりしますよ?」
「どうしてあいつらを喜ばせるために結婚しなくちゃいけないんだ」
美人で、良く気が利くしっかり者で、頭も良い。
確かに妃に迎えるなら、これ以上の人材はいないのは確かだ。
それはわかっている。
わかってはいるのだが……。
「それより、治安の問題に戻るぞ」
やや強引に、フィンシードは話を戻す。
「ひとつ解決策は考えた。自警団を作るんだ」
「自警団? ……なるほど。それは良い考えかも知れません」
真っ先に反応を示したのはデュラムだった。
残りの三人もそれぞれうなずいたり、考え込む仕草を見せる。
正規の軍人ではなく、民間人を組織して警備に当たらせるのが自警団だ。
「それなら人手不足の心配はいりませんな」
しきりにうなずくラーカイラム。
だが年長者らしく、問題点も指摘してみせる。
「しかし軍人でない者を寄せ集めたところで、どれだけの効果が望めますか?」
「任せられるのはせいぜい夜の見回りくらいだろう。それでも小さな犯罪の抑止効果はバカにならないと思う」
「むしろ気を付けなければならないのは、効果が強すぎる場合です」
口を挟んだのは警務部のデュラムだ。
「我々アストリアの人間が集まって何かを始めれば、ルーンバウムの人間の不審を招きます。治安を良くするどころか、対立の種になりかねません」
「自警団を作るのは我々じゃない。ルーンバウムの人間にやってもらう。そこにアストリアの人間も加わる形なら、大きな問題にはならないと思う」
「という事は……」
「エドヴァルド将軍だ。彼に働きかけて、自警団を作るよう促す」
「上手くいきますかね? 彼は誇り高い生粋の軍人です。民間人の手を借りるような方法を良しするでしょうか?」
「そこはそれ……腕の見せ所って奴だ。そうだろ?」
フィンシードが視線を向けると、ハーディングはにやりと笑い、クリーズは苦笑いを返した。