「響け!ウェディングマーチ」その8
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機神都市エルベラ最深部、領主の館、その大広間に設えられた円卓。
今夜の大陸記念パーティの用意はあらかた出来ているらしい。
テーブルには既に、山脈地帯では希少な花を飾った花瓶や、
キャンドルが刺さった燭台や、
澱を沈殿させるためであろう、籠のなかに静かに寝かされた酒などが
銀の食器とともに配置されていた。
大広間を昼下がりになって幾分和らいだ太陽光が包む。
その光にわずかな埃の粒がきらめくのが幻想的だった。
ここは山脈だから砂や埃はどうしても入ってくる。
さすがにそれを責めるつもりはない。
ただ、領主ジーンが座る主賓席の椅子、その背後の壁一面をおおう絵画が、
すこしも翳りを見せないのが不思議ではあった。
剣を背負った巨人が荒野を歩いている絵だった。
いや、なにもない荒野だと思われたのは
その巨人のサイズがあまりにも桁違いなためか。
足元にある小さな藪はよく見ると森林だったし。
水溜りは湖で。
巨人が跨いでいる岩の道はこのジュレール大渓谷のようだ。
豪奢な額縁のなかで、大陸を歩いて渡る剣の巨人は、
大胆に勇敢に不敵に孤独に、風に向かって進んでいる。
「…ふん、僕があれだけ苦労して越えてきた渓谷も
この巨人にとってはたったの一歩か。
この絵は来客に対しての皮肉かな、ジーン卿?」
「穿ち過ぎじゃよ。これはただの絵じゃ」
グラスの果実酒をうまそうに飲み干し、老人は意味ありげに笑う。
まったく、僕は飲めないといったのに
まるで意に介することなく自分だけ飲みやがって・・・。
ちなみにこっちのグラスの中身はこの地方の多肉植物を絞ったジュースである。
発泡性の爽やかな甘さ。悪くない。
「──さて、さっそく本題に入るとしようかのう。
早く話を終わらせないとお色直しをしにいった孫が帰ってきてしまう」
「そうだな。まずは互いの目的をはっきりさせておこうか。
僕はこの機神都市エルベラを侵略するために来た蒸気都市ラグネロの刺客、
ジョウ・ジスガルド二等指揮官。
ある程度エルベラの軍事力を掌握した後、本国で待機している本隊を
召喚し、ここを乗っ取る事が僕の役割だ」
堂々とふんぞり返って喋る喋る。まどろっこしい事は嫌いだ。
我ながらスパイとか隠密にはまったく向いてないな、この性格。
交渉の対手ジーンも苦笑い。
「ふむ…しかしこのエルベラは君の故郷のような
膨大な軍事力など有しておらんよ?」
「とぼけるな。僕が欲しいのは幾万の軍隊などではない。
たった3つの力だ。
老軍神ジーン。三姉妹の魔女。そして、伝説の[[孤軍要塞]]。」
ほう、とジーンが唸り、微かに眼を細めた。
孤軍要塞。
それはとある天才建築家の作品で、
一見するとただの街だが、要塞としての防衛力を有する都市群のことである。
世界中でこの幻想の大陸アールヴにしか存在しない20の都市。
嵐の塔――『地底都市ウィダー』
火炎竜――『災害都市ブースター』
女王蜂の晩餐――『養蜂都市ハニカミ』
夏と虫眼鏡――『灼熱都市ウェルダン』
紅真珠の首飾り――『果樹都市チュチュ』
天使の武器庫――『砲吼都市リリン』
竜骨城――『戦場都市ベルファー』
剣の舞――『死霊都市ソーサー』
妖精の風斬り羽――『流浪都市シュツルーフ』
寂れた和音――『黄昏都市トロイメライ』
全てを見通す眼の書――『眼球都市パンドラ』
眠れる巨人――『機神都市エルベラ』
水葬祭壇――『海底都市ピラミッド』
石畳の迷宮――『迷宮都市トゥトトゥ』
静かなる湖郡――『水没都市アナスイ』
波打つ砂丘――『砂嵐都市フィガロ』
月の時計――『停滞都市チクタク』
悪戯好きな妖精――『幻影都市パンジー』
餅を搗く兎――『月光都市メヌエット』
三本脚の鴉――『太陽都市ヤタ』
例えば降り注ぐ溶岩弾だったり。
例えば無限に飛び交う剣だったり。
例えば兵器にも匹敵する植物だったり。
それぞれの都市がそれぞれの防衛手段を持っている。
そしてこのエルベラにもとびっきりの軍事兵器が眠っているはずだった。
眠れる巨人――『機神都市エルベラ』。
不敵に笑う領主の背後に、宗教のシンボルのように掲げられた──巨人の絵。
機神と名づけられたその軍事兵器はおそらく
蒸気都市ラグネロの独占技術であるゴーレム製造と深い関わりがあり、
僕らがその秘密を手に入れたなら大幅な軍力増強に繋がるだろう。
そこに眼をつけた上層部がエルベラ侵攻を決定した。
暴走する蒸気都市にはブレーキがない。
いずれはエルベラを橋頭堡にアールヴ大陸全土を侵攻するつもりだろう。
あいつならそれぐらいはする。
僕は・・・・・・。
僕は椅子から立ち上がり、テーブルの向こうに座る領主へと宣言する。
「エルベラはこの僕がいただくぞ。絶対にだ。
それが僕の目的であり任務なのだ。一歩たりとも引く気は無い」
僕の切った啖呵に、しかしジーンは、
「くっくっく・・・く・・・かぁーはははははっ!
なんと傲慢なお子様よ!
さ、さっきまで死に掛けてた癖によく言うわ!」
…ジーンは年甲斐もなく爆笑した。
ばんばん円卓を叩いて実に楽しそうだ。
まったく、僕も隠密らしからぬ隠密だったが、
こいつはこいつで領主としての威厳や風格には大いに欠けるな・・・。
「エルベラをいただく?かはは、三姉妹のひとりを倒しただけで
相打ち寸前の傷を負っていたではないかw
その傷も先程わしが治してやったばかりだというのに、
まさかその口で脅し文句を言われるとは思わなんだ!
いやぁここまで無鉄砲な馬鹿をみると逆に気持ちがいいわい!」
「軍人というのは基本的に皆 無鉄砲な馬鹿だよ。
そうでなくては戦争など出来ない。
・・・・・・で、ジーン卿。貴様の目的はなんなのだ?
わざわざ僕を治療し館まで迎え入れた意図を教えろ」
ひときしり腹を抱えて笑ったあとで…赤き鎧の領主はふぅと息をつき、
酒を飲み干して天を仰いだ。
運命とはなんと厄介で理解不能で、そして楽しいものよ──と。
唄うように呟いたあと。
僕を見て。
「いいぞ。エルベラは君にやろう」
と言った。
・・・・・・は?
「老軍神たるわしの力も余すところ無く君にあげよう。
孫達もみな君にやろう。
機神都市エルベラの秘密も開け渡す。
全面降伏じゃよ。おおほとんど無血開城じゃないか。よかったのう」
「いや・・・ちょっと待て、本気で言ってるのか?」
なんだこれは、罠か?
「くく、なんなら領主の立場を譲ってやってもいいぞい」
「おいこら、真面目に話さんか貴様っ!」
意味がわからなすぎて焦ってしまった。くそっこいつ、本当に捕らえ所のない・・・!
「まぁ落ち着け・・・今度はわしの目的について話そうか。
実はわしはいま後継者を探しておる。
最近、跡継ぎのつもりで育ててきた孫娘たちが領主になるのは嫌だと言いおっての。
じゃあ将来の夢は何かと問うてみたら、3人が3人とも
『かわいいお嫁さん♪』と来たw 困ったもんじゃろう?」
「突然そんな世間話をされた僕が反応に困るわ」
「冷たいのう、年寄りの話は辛抱して聞くものじゃぞ・・・
まぁそんな訳で、わしには力のある後継者が必要なのじゃよ。
渓谷の門を突破できるくらい強く賢い後継者がな。
できれば孫娘と結婚して2人でエルベラを守ってくれたら言う事なしじゃ。
誰かそんな男に心当たりはないか・・・とそんな事を
先程チルティスと話したら、くく、あやつめ顔を赤くしおったわw」
「は?顔を赤く?風邪か?」
「ニブいぞジョージ様よ。いや、これからは婿殿と呼ぶべきかな」
婿?
そのとき、僕の背後にあった大広間の扉が、ゆっくりと開いた。
いままでわずかに差し込んでいた陽光が、扉から奔流になって溢れ出し、
ジュースのはいったグラスに反射する。
まぶしさに顔をしかめ振り返る僕。
領主が立ち上がり「おっ、花嫁のおでましじゃ」と言った。
赤い絨毯のうえをゆっくり進む、純白のドレスの花嫁。
最初に着ていたものより長い。
肩もすっぽりと覆われ、肘まである手袋で肌がみえない。
スカートは咲き誇る花のように幾重にも布があり、
上品さを失わない程度に長く、床の上を滑る。
手にはブーケ。赤い花弁にトゲのある緑の茎が映える花束。
極楽鳥花のヴェールだけが、
いつもと変わらない様子で、彼女の淡い金髪を彩っていた。
「えへへ・・・おめかしして来ました。いかがでしょうか?」
ジュレール・チルティス。
・・・確かに着替えてくるとか言っていたが、
それはなんの理由があって着てたのかわからない
あの邪魔っけな花嫁衣裳を脱いでくるという意味だと思っていた。
まさか別の花嫁衣裳に着替えるとは・・・
もしかしてこれが私服なのか? 馬鹿なんじゃないかこいつ?
いや。
問題はそこではなく、普段の衣装から、
より本格的なウェディング・ドレスに着替えてきた事だった。
まるでこれから誰かと…結婚でもするかのような…。
「どうかねジョウ・ジスガルド君。うちの孫のことをどう思う?
贔屓目にみてもなかなか美人じゃし、胸もあるぞ?」
側に来ていたジーンがニヤけながら僕の肩に手をおいた。
馴れ馴れしい。その手を払う。
「おいジーン。まさかとは思うが・・・」
「そのまさかじゃ。
君には故郷を捨ててチルティスの婿になって欲しい。
そうすれば領主の座も魔女も孤軍要塞もくれてやる。
君がエルベラの人間になればエルベラもまた君の味方になる。
な、合理的じゃろ?」
「えへ、これからも末永くよろしくお願いします、ジョージ様」
「ふ──ふざけるなぁあああああああっ!!!」
僕の怒鳴り声はしかし、ジーンが指先を振ることで鳴り響いた
盛大なウェディング・マーチによって、かき消されていった。
この時はまだ恋など知らず、
僕と結婚しようなどと言うチルティスの気持ちだって
まったく分かっちゃいなかったが。
故郷を捨てるなどもってのほかで、
ジーンの言葉など本末転倒した戯言としか思えなかったが。
結局、僕と彼女は夫婦になる運命にあったのだろう。
最終的に僕は蒸気都市ラグネロを裏切ることとなる。
だが、それはまだ先の話だ。
その前に──この夜の大陸記念パーティで、
僕は実に実に実に厄介な相手と出会わなくちゃならない。
裏切りのきっかけとなったこの日に。
よりにもよって。
僕の母親と、
僕の教育係と。
そして僕が裏切らないための監視役の少女──ミコト。
3人の援軍が、はるばる蒸気都市ラグネロから、
僕を助けに来てしまったのだ。