「受け継げ!領主の赤き鎧」その18
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「その英雄というのが僕な訳だが、さて…。
どうする?そこの汚物まみれのばっちい花嫁さん」
「じょ、ジョージ様が我慢できずに吐くからでしょ!
ひどいっ!こんなヒーロー前代未聞です!」
合流した分身の魔女から話を聞き、腕組みをして思案にふける僕と、
その美しい金髪にこびりついた胃液を、可愛らしいフリルのハンカチで
猛烈に拭きながら抗議する怒れるチルティスだった。
場所はエルベラと荒野の中間地点。
もう早朝とも言えなくなった時刻の太陽の光を深緑の屋根が覆う、
森林の中のすこし拓けた広場。
切り株に刺さったまま忘れ去られた古い斧。
可憐な花、夏の朝露に濡れた蜘蛛の巣、時折見え隠れする小鹿。
美しい広場の上空は僕らが墜落した跡を示すように樹木の枝が折れてて、
地面には大鷲の羽が散らばっていた。
そのなかで立ち往生してる花嫁衣裳と全身鎧。
──放浪者と魔女のバトルが行われている場所は、まだまだずっと先だった。
「まったく、こんな中途半端な場所で変身の魔法が切れてしまうだなんて、貴様の無能も極まったものだな? これでは姉のピンチに駆けつけてやることも出来ない。がっかりだ、大鷲だったときにくれてやった褒め言葉は全て前言撤回させてもらうぞ。このゲロまみれのヒロイン略してゲロインが」
「ちきしょー、酔いが直った途端にこの悪口の嵐…!
笑顔がかわいいのがまた憎たらしーです…!絶好調なところ申し訳ありませんが
変身が解けたのはいったい誰の所為だと思ってるんですかっ!?
YESその通り100パーセントジョージ様が精神集中を乱してくれたおかげですっ!
猛省を促します!」
「ふふん、僕の辞書に反省という文字はないのだ。
ついでに後悔も未練も自粛もない」
「その辞書は落丁本ですっ!!!」
いまにも噛み付かんばかりに歯をむき出して唸った挙句、チルティスはやっと僕に抗議をするという行為の虚しさを悟ったらしくため息ひとつ吐くとその場にしゃがみこんで、花嫁衣裳のあちこちについた汚物を丁寧にぬぐい始めた。
大事な極楽鳥花のヴェールにまで少しばかり被弾したのかも知れない。
「やぁん、シミになって取れないですよっ」などと呟いてすんすん泣き出す始末だった。
ふむ、誰の仕業だか知らないが世の中には酷いことをするヤツがいるもんだ。
紳士な僕ならそのヴェールを汚したり、ましてや切り裂いたり踏み躙ったりなど絶対しないのにな!(きっぱり)
「うう…ごめんなさいオジイチャン、
チルティスは嫁入り前なのに汚されてしまいましたっ…」
「結婚して責任は取ってやる。問題は無い」
「ありまくりですっ!
何処の世界にヒロインの背中で嘔吐する主人公が──んむむっ!?」
いい加減うるさいので、僕もまたポケットからくまさん柄のハンカチを出して花嫁の口に詰めた。
「んむー!」
「それ貸してやるから拭いていいぜ。
…で、分身の魔女、貴様の情報は本当なんだろうな?」
僕が話しかけたのは、心臓を潰されたユリティースを輸送中、仲間たちから一人だけ離脱して僕らを探し、森林の破れ目からこの広場に降り立った、青き修道女クラディール──
──に、そっくりな分身の魔女だった。
分身。
以前に敵として触れ合ったときにはほぼ会話を交わさなかったので判らなかったが、どうやら最大1070名まで増やせるこの分身は、司令塔であるユリティース・クラディール本体の言葉を追従してただ繰り返すだけのクローンだったらしい。
戦闘能力は本体と同じだけど、自発的に思考することは稀な素体。
言わば分身の魔術を唱えた瞬間にこの世に生まれた赤子のようなものなのだ。
だから、僕らの目の前、草の地面に女の子座りをしているこの分身も、子犬程度の知能しかないご様子で、
「うなー」
というのが、そのクラディールと同じ顔をした生まれたての魔女の返事だった。
「……」
僕は無言で魔女の鼻をつまんだ。
「うなっ!?」
「……」ぐいぐい。
「うにゃにゃにゃー!なー!」
叫んで魔女は僕の手を跳ね除け素早く逃げる。
切り株の影に身をかがめて(ぜんぜん隠れてないが)尻を突き出し、
「フーッ!フーッ!」と威嚇。
まるで猫だった。
頭を抱える。
「やれやれ、まいったな…貴様、与えられた伝言以外は喋れないのか?」
「のかーっ」
姉の分身がいじめられてるのを可哀想に思ったか、切り株にしゃがみこんだのはチルティスだ。怖くないよと微笑んで、首を傾げて語りかける。
「んむー?」
まだハンカチ口に詰めてたのかよ。取れ。
「んむー」
「んむー!」
「んむんむんむ」
「んーむー」
会話成立すんな…。
子犬程度の知能の魔女と、頭をヴェールをのっける飾り台だと思ってる花嫁。
2人に増えたバカを相手に僕は深々とため息をつくのだった。
「…じゃあ、さっきの伝言をもう一度再生してくれよ。それなら出来るだろ?」
「ろー」
恐らく僕の言葉の末尾を繰り返してるらしいその声と共に、魔女は元気に右手をあげて答えた。ぐぐっと両手を握り締め、目を瞑り、ふるふると肩を震わせて「んんんん…」と何かの準備をする。
そして次に顔をあげた時には、驚いたことにあの猫のような好奇心に満ちた眼の光までが彼女そのもので、表情から声から仕草から、何もかもそっくりな状態で、身軽にぴょんと立ち上がった。
ほほう、と面白がっている僕の鼻先に指をつきつけ、長い長いメッセージを再生し始める魔女。
「──はあいジョウ君っ!そして我が妹ちゃん!
ぐっもーにエブリバディッ、元気してたかな?
唐突だけど君らがコレを聞いている時には私も相方も軍曹さんも皆すでにやられている筈よ。
魔女の三姉妹、その長女として情けない限りだわっ」
唇を噛んで悔しがる仕草まで似ていて、なるほどまさに分身の魔法だなと思う。
思わずしげしげと全身を眺めてしまった。
本物にやったら怒られそうだが、いま分身はメッセージを再生するのに夢中だ。
「時間がないわ。さっさと種明かしをしましょう。聞きたいことはある?」
と自分で聞いておきながら、魔女は自分の耳に手を添えて
「え?放浪者アロウ・アイロットの黒き鎧について教えて?
あはんしょーがないわね!それじゃお姉さんがおしえてア・ゲ・ル☆」
と勝手に話を進めやがった。
うぜえ…。
いやまぁ、これはあくまで一方通行の伝言なので双方向性は無いのは判っているんだが。
それでもうぜえ。
初めに聴いた時は地味にひっかかりそうになった。
まぁ、なにはともあれ解明編だ。
おふざけはここまで。
分析術を持つクラディールにとっても、非力な僕にとっても、
情報こそが唯一にして絶対の武器なのだ。
その情報を──姉から僕への決死の手紙を、真剣に受け取らなくてはならない。
あの放浪者に勝つために。
僕が…元スパイであったとしてもなお…
この街を救う英雄であり続けるために、だ!




