「受け継げ!領主の赤き鎧」その17
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「あっ──あいつっ!ユリティースを!ちくしょう!」
「駄目っス!怒り任せに放浪者に挑みかかるなんて分析官として失格ッスよ!」
騒いでいるのは、その光景を岩場の影から見ていた
クラディールとルドルフ軍曹である。
「だけどっ…!あ…あんなのひどすぎるよ…」
「落ち着いて。耳をすましてみるッスよ。ほら!」
無人の荒野、血だまりに倒れ伏す極道女ユリティースから、消え入りそうな声。
「《ヴぇふめっと…しふ・むーな…いれで…れん…ぬる…はいおんはーん…》」
「!!」
詠唱だ!
それも、彼女の、彼女たちのアイデンティティとも言えるあの魔法の──!
「君も唱えるんだ!彼女は君が輪唱してくれるのを待っているッス!」
「──っ、わかったわ!」
修道女は自分の鼻先にかかっている小さな眼鏡をとって投げ捨てた。
涙をぬぐうためだ。
泣いてなどいられなかった。相方が今、あんなに頑張っているのだから──!
青き衣のクラディールは祈るように唱える。
「《えへかとる・じゅあ・くみろみ・るるうぃ!》」
蚊の無く声がしっかりと答える。
「《いぇんだー…びるぼ…すめあごる…!》」
「「《まに・まに・ぴあれー・すろーたー!》」 」
2人の歌声は涙を孕んでいた。しかし同時に、喜びも。
普段は喧嘩ばかりでも、何だかんだと言いつつも、
彼女たちは互いに特別な存在なのだった。
「「《すらー・ねしゅねしゅ・ばりあんと・か・みろー・ぐらいく──》」」
だから、歪ではあるけれどとても必死な、
魂の篭った合唱は美しく融合してゆき、最後には──!
「──《ゆりてぃ!》」
「──《くらでぃ!》」
互いの名を呼び合うようにして、完成する!
【分身】の魔法。
虹色の閃光が、砂色の味気ない風景を塗り替えていく。
魔法はつまらない日常を運命的に彩り、退屈な世界を奇跡的に変えていく力だ。
悲劇をハッピーエンドにしたい──誰もが考えたことのある、万人の願いだ。
切実な祈りだ。
放浪者を止めるためにユリティースがすがりついた、最後の希望だ──!
砂嵐がおさまった頃、無慈悲な放浪者の攻撃で重症を負ったユリティースは、
箒に乗った365人の分身を率いたクラディールに、抱きかかえられていた。
もう惨めったらしく地面に倒れてなどいない。
元恋人の──相方の腕の中で、
甘えるように、血にまみれた胸を隠してちいさく収まっていた。
「よう…相方…。
へへ、あたし、ちょっと疲れちゃったぜ…このまま眠ってもいい…?」
「っ、ばか…!こんなになるまで頑張っちゃって、死んだらどーすんのよ」
「そしたらお前も…異形の魔女から…普通になれて…丁度…いいだろ…」
「~っばかばかばか!いまさら一人になっても嬉しくないわよ!
あんたが居ないと寂しくって死んじゃうもん!
今だから言うけど、私、故郷の丘の白い家で、優しい旦那様とあんたと、
3人で暮らすのが夢なんだからね!」
ははっ…と弱弱しく笑う極道女。
奇遇だな、あたしの夢といっしょじゃん。
「で…あの鎧野郎をぶっ倒す攻略法…見つかったか?」
「っ、もちろんよ」
嘘だ。
傍で見ている鬼軍曹には判る。あの放浪者を倒す術はない。
これからクラディールが向かおうとしているのは回避しようのない死地なのだ。
「…だから安心してゆっくり寝てなさい。
次に目覚めた時、あんたは絶対に平和な場所にいるから」
平和な場所。そこは…
これから滅ぶ予定の機神都市エルベラから遠く離れた場所かも知れないが。
単純なユリティースはあっさりと騙され、
そっか、それなら安心だ──と、幼女のようにやすらかに相方の胸で眠った。
「ユリティース…」
俯いてその瞳を半眼に伏せたクラディールは、
腕の中の魔女をそっと別の分身に託す。
分身は箒に乗って、傷ついた彼女をしめやかに荒野の果てへと運んでいく。
護衛に5人の魔女を連れた姿が葬列のようで。
血を止めようとする無駄な努力が、まるで鎮魂歌のようだった。
葬列。その比喩ははたして正しいのだろうか。
死の淵にいる彼女同様に、いやそれ以上に──
残された彼女にもまた、絶望的な戦いが待っているのに。
その空を見上げ、後ろを向いたまま、修道女は鬼軍曹に問いかける。
「……ねぇ、鬼軍曹さん」
「……なんスか、魔女の長女さん」
「私はエルベラを守りたい。貴方はラグネロを倒したい。
二人の目的は凡そ一致してるわよね」
「まぁ、そうっスね」
「災害を憎む気持ちも一緒?」
「──…ッスね」
「正直、元敵だった貴方をまだ完全には信用できないけど…
災害の渦中では敵も味方もないわ。そうでしょ?
だから協力しあいましょう。私がさっき吐いた嘘を真実にして欲しいの。
鎧を倒す攻略法、一緒に考えて欲しいの。
…ねぇ、どうしたら私達は街を救えるかしら」
鬼軍曹殿はしばし考えて。
「…ここはジョウ君に頑張って貰うしかないな」
と答える。
「ジョウ?」
「ええ、やっぱり、街を救うのは英雄の役目ッスからね。具体的には…」
鬼軍曹ルドルフ・イージューライダーが示した策を聞いて、分析術に長けたクラディールは最初目を剥いて驚き、次に深く思案に没頭し、結局は「そうね…それしかないかも知れないわ!」とその策に賛成した。
「で、でも貴方、よくこんな情報知ってたわね。
機神都市エルベラの、巨大ゴーレム以上に隠蔽された超極秘事項、
老軍神ジーンの最秘奥じゃない!」
「へへ、敵を知り己を知れば百戦危うからずッス。
それに元上司だった最終皇帝は、
他人のヒミツを暴き出すのが大好きなやつだったッスからねぇ…。
ま、得られた情報がこうやってここで機能する、これも運命ってことで!
さぁオイラ達は条件が整うまでひたすら悪あがきの時間稼ぎをするッスよ。
覚悟はいいかい?」
「愚問だわ!乙女の鉄則・第7条『覚悟とメイクは常にしておけ』ってねっ!
相方が残してくれた365の分身の魔女、
決してムダにはしないわよ!」
ぶわっ!と乾いた風を巻き、魔女と鬼の乗った箒が浮かび上がる。
[[魔剣ポール・リード・スミス]]。
リッケンバッカーとは違う4弦の低音弦楽器だ。
またも、マイペースに歩く災害に対して何度目かのアタックが行われるようだ。
まさしく悪あがきの時間稼ぎ。
…でも。
「待ちなさい放浪者アロウ・アイロット!」
「機神都市エルベラには侵入させないッスよ!」
《また君たちか。しつこいなー…
…って、あれっ? な、なんか――増えてない?》
──その通り、今度は
365人(負傷者護送で-5人)+鬼軍曹殿の超連続アタックなのだ!
悪あがきもここまで来れば大したものである!
空を埋めるだけでは飽き足らず、かなりの数の歩兵部隊まで残して、
分身の魔女の人海戦術は荒野を埋め尽くしていた。
もはや無人の荒野とは呼べまい。
振り返った放浪者はその光景に圧倒される。
「へへ、こちらは放浪者さんの来訪に反対派のエルベラ市民の皆さんッス。
いやぁたくさん集まっちゃってるッスねぇー」
「ふふ、もはやデモ活動よねー。
ここはわがまま言わずに大衆の意見に従ってみたら?署名もあるわよ?」
もちろん嘘。両者ともにしれっとしたものだ。
《あ、あんたら性格わるいよ!なにその数の暴力!》
力づくで我を通す放浪者も良くないが、考えてみれば人海戦術で我を通す人間界の掟というのもなかなか暴力的なものがある。
子供のやり方以上に大人のやり方は汚い。
幼いアロウ・アイロット、ある意味はじめての社会経験だった。
いや、もちろん多数決などに従うアイロットではないが……。
しかしこの場合──心理的な圧迫感より際立つのが、純粋な戦力密度である。
魔女ユリティースの雷撃だけでかなりの後退・停滞を余儀なくされていた放浪者だったが、もしこの分身した魔女たちの猛攻を受ければ、それこそ果てしなく何処までも押し返されてゆき、目的地エルベラを目指すことが出来なくなるかもしれない。
「ところで、魔女の長女さん、どうッスかこのシチュエーション!
例のあの台詞を言う絶好の機会だと思わないかい?」
「あは、私もちょうどそれを考えてた所よん」
ふたりはにやりと顔をあわせて、多数の分身とともに放浪者へ向き直る。
全員で。
「「「「「「ここを通りたくば私達を倒していきなさい」」」」」」」
《ず、ずっるー!そして汚ぇー!
その台詞は少数が多数の敵に向かって言う言葉でしょおっ!?》
「はてさて」「なんのことだか」
《とぼけ方まで息があってるよ…魔女と鬼って嫌なコンビだなぁ…》
黒き鎧はがっくりと肩を落とす。
乾いた風が吹き渡って、
彼の遥か頭上にいる魔女たちのくすくす笑いを運んできた。
地域住民からの迫害など日常茶飯事、というのが冒険者の常であるが──
この荒野を埋め尽してのデモ活動。
ここまで力ずくで抵抗されれば普通は撤退を考える。
いや、考えるまでもなく撤退すべきだろう。
《くっそー何でだろ、ちょっと火の粉を払っただけなのに、
蜂の巣をつついたみたいな騒ぎになっちゃった…
ま、蜂を皆殺しにしないと甘い蜂蜜は手に入らないし、しょうがない、か》
問題は。
放浪者アロウ・アイロットがまるで“普通”から程遠い存在であるという一点。
顔をあげてさっぱりとした口調で決断する。
《わかった、戦ろう。
面倒臭いけど、再試合を受け入れてやるよ》
まばゆく白い軍服の鬼軍曹ルドルフとのバトル、放浪者の勝利。
深紅に染まった極道女ユリティースとのバトル、放浪者の勝利。
そして第3ラウンド。
青き衣、透き通る白い髪、首に架けた十字架。
分身の魔女、分析術の使い手、魔剣ポール・リード・スミスを装備した修道女。
ジュレール・クラディールとのバトル、開幕。
(といっても──)
(わたしの負けは既に決まっているようなものだけどね)
戦闘前の昂ぶったテンション故に鬼軍曹とふざけあってはいたものの、彼女の分析術は冷静に己の敗北を予感していた。
相方を踏み躙られて以降、彼女の頭の中に満ちているのは、
研ぎ澄まされた刃の冷たい感覚。
負けると知ってて戦う、悲壮なまでに純粋な覚悟。
全身全霊を目の前の放浪者に注ぎながら──
その一方で、ユリティースを運んでいる遠く離れた5人の分身の魔女たちを操り、猛スピードで仲間の下へ向かわせる。
負傷者を救うために。
そして勝利への鍵となる情報を、英雄に届けるために。




