「受け継げ!領主の赤き鎧」その14
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「さて…そろそろ死んだかな」
現在時刻は朝の8:35。 渦巻く炎が風焦がす荒野。
アールヴ大陸の砂漠地帯に隣接しているこの荒野は《銀嶺の果て》と呼ばれる人外魔境で、水分の少なさから碌に草花も生えないような潤い無き場所である。
生存を許されたのは乾燥に強い生物……竜や甲殻獣、巨大昆虫の類のみ。
当然の如く人里などは存在しなかった。
緩衝地帯。
空白地帯。
不毛地帯。
そんな場所だから。
いま其処に佇んでいるのは──
膝を折った黒き鎧の放浪者と、銃を構えた白き軍服の鬼。
西部劇の決闘のように対峙する両者のみであった。
《──────》
ただし、もう2人と数える必要は無いかも知れない。
放浪者は活動を停止していた。もう5分間もである。
炎による酸素欠乏は収まりを見せず――(当然だ、街中と違って消火活動をする者などこの無人の荒野にはいない)――断末魔にあえぐアイロットが、己が身に纏わりつく炎をどんなに振り払っても、彼を中心に沼地のように広がる溶岩流がそれを邪魔していた。
熱が伝わるのであればすぐに茹で蟹のようになって死ねただろう。
しかし彼の鎧の無敵さがその死を選ばせなかった。
苦しみは続き、そして──
力なく膝を折ったままの姿勢で、ついに鎧は動かなくなった。
鉄仮面の眼のあたりに灯っていた赤い眼光は消失し、呼吸のたびに上下していた巨体も完全に沈黙。これは皮肉すぎる比喩かもしれないが…彼はまさに抜け殻のようになっていた。
「人間災害と呼ばれた超越者の死因を、“窒息死”なんてキーワードで語るのはやや無粋かも知れないッスねぇ」
《──────》
ざん!とライフルの銃剣を、もう動かなくなった鎧の前の大地に突き立てて。
「へへ、だから墓標にはただこう刻んでおくッスよ。
『放浪者アロウ・アイロットここに終焉す』と」
災害は眠るものでも死ぬものでもなく、終わるものだからね――。
珍しくそんな洒落た事を言う。
鬼軍曹ルドルフ・イージューライダーはこの時、
控えめにいってもかなり浮かれていた。
勝ち誇っていた。油断をしていた。
ある意味、この災害を停止させたこと──機神都市エルベラを守ってしまった事──は、言葉で誓った故郷への裏切りを裏付ける裏表なき自分への第一歩だったからだ。
あの最終皇帝との喧嘩がはじまる。
これはその前哨戦であり、第一の花火。
火事と喧嘩は穢土の花──
などという諺を思い浮かべて、鬼軍曹殿はくつくつと笑ったりもした。
(いいねぇ──久しぶりッスよ、こんなに血が熱くなるのは!)
神獣らしい不敵さで、嬉しさで、楽しさで、面白さで彼はぞくぞくしていた。
この後エルベラに帰り、戦争が始まる前に、放浪者が求めて止まなかった薬菜飯店のジェラートでも賞味してみるか──
と、そんな皮肉めいた事さえ考えていたかも知れない。
ところが――。
《──────にや。》
なんでも乗りこなす彼でも、やはり調子にだけは乗ってはいけなかったのだ。
容易に足元を掬われ転落は避けられない。
裏切り直後のハイテンション故に、普段なら絶対に犯さないミスを鬼軍曹殿は犯してしまった!
「──ッッ!!!???」
溶岩を派手に跳ね飛ばしてがばと起き上がった黒き鎧が、その巨体で鬼軍曹殿を押し潰さんと襲い掛かってきたとき、あろうことか咄嗟に自分が一番信頼する異能力を発動させてしまったのだ。
電撃を伴った茨のビジョンが鎧に巻き付く!
秘の手綱!
究極にして万能の操縦桿!──しかし!
「しまっ…」
瞬時に操縦能力が無効化されて、手綱はただの綱になった。
こうなってしまえば後は膂力の強い者が制動権を握れる。
綱は綱でも、溶岩に足を膝まで捕われた放浪者にとって、それは脱出の鍵を握る命綱となるのだった!
*《どっせぇぇぇえええーーーーーーーーーーーーいっ》
乱暴に強引に力任せに! 2mを越す全身鎧の巨人は、茨を幾重にも拳に巻きつけて、その先にある錘――鬼軍曹殿――ごと思い切り振り回した!
モーニングスターを扱うかのような、人を人とも思わぬ破壊活動!
ぶちぶちぶち!と茨が切れて、反動で放浪者は溶岩から抜け出す。
さらにその反動で鬼軍曹殿の視界が天地逆転して(つまりは投げ飛ばされて)遥か頭上に荒野を戴く状態になったとき、彼はいまだ混乱しているのか、間違った方角に頭をフル回転させていた。
…った!やっちまったッス!
完全防御を謳う敵に操作系能力を使うなんて──
いや違う、咄嗟のことで──普段なら──だめだこれ言い訳ッス──
わぁ。頭上に溶岩の沼が見えるッス。
これからあれに墜落するんスかねぇ。
ってヤベェよ。何ぼんやりしてるッスかオイラは!
しかし摩訶不思議、放浪者さんはあの酸欠状態からどうやって立ち直った?
っていうかわりとマジで死んでなかった?
可笑しいッスねぇ。
ジョウ君の事といい、死人が奇跡的に生き返りすぎッスねぇ。
いや──運命が捻じ曲げられすぎと言うべきか。
ってかもー「言うべきか…」とかいいから!格好つけてる場合じゃねーッス!
厨二病なのはポーズだけにしとかないと!余裕のあるフリもうやめッス!
とにかく今は必死で生きt
うわぁあああもうすぐ其処に地面がぁあああっ!!!!!!
まだ彼女もいないのに死ぬのは嫌ッスぅー!助けておやびーん!
0.12秒。
何故かラスト付近で急速に小物っぽくなりながらも流石に鬼軍曹殿、走馬灯さながらの思考速度である。そしてその優秀な頭脳がどろどろのマグマに真っ逆さまに飲み込まれる衝撃シーンは果たして、彼の体を抱きしめるようにして受け止めた両の腕によって奇跡的に回避することができた。
またも奇跡──ではあったが。
「ふぁあああああーーっ!おわー、きょほー!かにみそー!…って、あれ?」
「どんな叫び声だ」
革のボンテージに包まれた両腕で鬼軍曹殿を軽々と、赤子でもあやすようにお姫様だっこする影。
逆光で見えにくかった顔が(いつもするように眩しそうに眼を細めると)だんだんとはっきりする。
深々と被った魔女の帽子。
しゃぎしゃぎにシャギーの入った艶のある前髪。
すっきりとして余計なものが一切ない、美の化身のような姿。
同時に、あまりにも互いにとって互いが異質な…醜悪な化物のような姿。
「お…おお…来てくれたッスか…」
「まぁな」「まぁね」
そして声を揃えて。
「「エルベラを守護するのは私達の役目だもん」」
体の中心線を走る罅。
左右で違う服。
彼女たちが彼を乗せて空を飛んでいる、ツインネックのエレキギター。
──それは領主館《エンガッツィオ司令塔》を二番目に飛び出た戦力。
──にして、恐らくナンバーワンに最大規模の戦力。分身の魔女!
呆れ顔の極道女ユリティースと、
込み上げる笑いを噛み殺している修道女クラディールである!
「助かった…。へ、会議ではいろいろ酷い事を言って悪かったッスね。
今は君達が神々しく見えるッスよ!
今なら尻に敷かれてやってもいい!
いやさ是非敷いてくれ。オイラが君の鹿になろう」
どこかの変態のような台詞であったが、彼なりの真面目な感謝の意だった。
風に鬣を遊ばせながら、魔女たちの手をとり、もっと若い頃はさぞプレイボーイだっただろう端整な顔を近づける。
お姫様だっこの体勢からだからすごい密着感だった。
俄かにどぎまぎしてしまう魔女。
「な──なんだよお前意味わかんねーよ!
だいたい何考えてかにみそとか叫んでたんだ?超気になるぜ!?」
とユリティース。
「私的には『きょほー!』も気になるけどね!?」
とクラディール。
「死ぬ前にもう一度食べたいものについて考えてたッス!」
と素直に告白する鬼軍曹殿。
食べたかったのは薬菜飯店のジェラートではなくかにみそだったらしい。
「そんな死への恐怖が入り混じった言葉だったの!?」
「それにしても何故最後の晩餐にかにみそを…?」
「“好き”に理由はないッスからねぇ」
へへ、と相好を崩して笑う。
そんな子供っぽい表情に妙に母性本能を擽られる感覚を覚え、
「ま、まぁいいや、とにかく下に降りるぜ!」
と魔女たちはあわてて地表に降り立つ場所を探した。
その間も、声は揃えず、心を揃えて。
(危ない危ない…こいつは敵なんだから……。
惚れちゃだめ惚れちゃだめ…きゅんとなんかしてない…)
呪文のように言い聞かせても手遅れだったかもしれない。
駄目人間に惚れるのは、彼女たちの困った癖のひとつである。




